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2024年6月の13件の記事

2024年6月30日 (日)

「人生のみちくさ」を松木郷の「みちくさ」で!

 昨日(6/29)の足尾・松木郷は晴れ、朝8時30分の気温は27℃でした。今日は「みちくさ」の模様替えをしようと思い、先輩方に呼びかけて4人が手伝いに来てくれました。コーヒーを飲みながらのよもやま話の中では、20年間も森づくりをやってきたシニアは森の生長をみたくなる。そんな時には、気軽に奥さんと一緒に「みちくさ」にやってきたい。出会った人とは”人生のみちくさ”をゆったり話すことができるといいね!、と高橋アドバイザーから投げられました。5

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7 そんな気持ちを持ったシニアたちは「人生のみちくさ」を楽しもうと、そのベースハウスの整理整頓の話し合いを行い、そして、2025年本実施の「エコ散歩in足尾」では緑と紅葉が輝き、空気がおいしい森を歩いてもらい、歩いた方々の「人生のみちくさ」のひとつになってほしいと願いました。1_2  そんな思いを皆で持ちながら、部屋の整理を汗だくになって進めました。森づくり作業詰め所、舎人の別室、コンテナからはスチールロッカーを運び入れ、書籍や物品の整理を行いました。さらには「みちくさ」内外では、自然観察やお茶、食事そして軽音楽を聴きながらひと休みなどが可能なスペースを設けました。3   室内の整理が少し落ち着いた頃、2人の青年が「みちくさ」に立ち寄ってくれました。丹平治沢をアタックしてきた帰りでの立ち話しになってしまいましたが、元気な二人は植樹活動にも興味がありましたので、「みちくさ」の室内外が整った頃にはゆっくりと話をしたい若者でした。

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 「みちくさ」の整理整頓は、若者からお年寄りが気軽に立ち寄って頂ける場所になるように行いました。ドコモ専用の増幅器で携帯利用可能ですし、洋式の水洗トイレもご利用できます。木陰のベンチの利用、ハンモックでひと眠りすることも可能です。読書やラジオ等を聴きながらひと眠りなど、自然界の恵みをいただきながらリラックスできるようにしました。「みちくさ」の舎人一同、皆様のお出でをお待ちしています。

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10   今日の舎人は坂口、橋倉。手伝いのメンバーは高橋、鎌田、山本、済賀のみなさん。報告は橋倉喜一でした。 

2024年6月28日 (金)

足尾から世界へ「森は友だち」を発信!

 今日は、足尾から世界へ「森は友だちだ!」を叫びました。叫んだのは、13か国の14名のJICAの観光研修生でした。天気は小雨でしたが、植えられた苗木にとっては最高の植樹日でした。

P6281886 ご存じのように観光事業の源は自然界と人との繋がりによる結晶の賜物です。その体験をしてもらおうと、私たちはJICAの皆様をお待ちしていました。用意された苗木は、煙害の前にこの地に生えていたふるさとの落葉広葉樹です。P6281899

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F 研修生の母国では、異常気象で生活が脅かされていますので、皆様は、真剣に丁寧に木を植えました。植樹後に、研修生から一本の木を植えた感想を全員で共有しました。P6281896  エジプトから来た研修生は、熱波によって多くの巡礼者が亡くなっていることを振り返りながら、森を育てることの大切さを感じたようです。最後に、JICA一行と私たちは、「森は友だち」だということを合言葉にすることができました。P6281907 研修生と別れた後、私たちは、苗木が動物に食べられないように幹の周りにネットを巻きました。研修生の皆様、未来を生きる合言葉・「森はともだち!」をお忘れなく。またお会いしましょう。“山と心に木を植える”楽しいひとときを過ごせることができ、ありがとうございました。(報告 坂口真理)

2024年6月26日 (水)

第5回総会が盛会し、森づくり20年目へ

 6月22日(土)、東京都品川区の目黒さつきビル会議室において第5回総会を開催し、目黒さつきビル会議室とZoomによるオンラインを繋いで行いました。

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24062217_1 13時、小黒運営委員の司会で総会が開会され、総会には正会員372名中258名の参加(委任状含)があり、会員の3分の1以上の参加を確認し、総会の成立が宣言されました。議長には神奈川県ファンクラブの木之下貴弘さんを選出し、議事進行が行われました。

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 主催者あいさつに立った桜井代表からは「今年1月1日に発生した能登半島地震。大変な犠牲を強いられた能登半島地震の住民の皆さんに、改めてお悔みとお見舞いを申し上げます。私も過日、能登半島の視察をしてまいりました。視察の案内していただいたのは珠洲原発を作らせない運動を長年にわたって支えてきた北野進さんという元県議でした。彼は「志賀原発を廃炉に!訴訟原告団」の団長でもあります。この命を守ることの大切さと原発とは共存できないということが、能登半島地震において改めて認識させられたと思います。原発が仮に珠洲市にできていたとすれば、大変な犠牲を出したであろうし、その先見性と愛郷心に基づいて原発を作らせない運動を支えてきた皆さんに改めて敬意を表したいと思います。」等、の話がありました。

20240622_130512 以降、議事次第に基づき第1号議案:2023年度活動経過報告、第2号議案:2023年度収支決算報告、会計監査報告を行い、第3号議案:2024年度活動方針案、第4号議案:2023年度剰余金の処理、第5号議案:2024年度予算案が提案されました。

 質疑では、4月から舎人となり、つながりを作っていく。シニアからタスキを受け継いでどう受け継いでいくのか活動をしながら勉強していく(栃木県・Yさん)、能登半島視察に行って、報道では報じられない現地の様子を五感で掴み取ってきた(栃木県・Fさん)、生物多様性が失われ、野生動物と人間の接触が増加していることや森林破壊やの開発など人間の活動が野生動物の生息地を奪い、彼等との軋轢が生じている。気候変動は昆虫の生息地や生態系に影響を及ぼし、その結果毛虫の増加に繋がっているのではないかと思う(宮城県・Hさん)、この19年間、森ともや企業・団体の皆さんのおかげで事業は成功し、豊かな森が出来てきた(東京都・Mさん)、今後具体的に20年後、30年後にどのよな森を作るのか、それを担うヒト・モノ・カネはどうするのか、必要のなくなった道具はどうするのか、一緒に考えていきたい(栃木県・Hさん)2021年11月にファンクラブを結成。若手の組織化が課題(神奈川県・Tさん)、中倉山ブナ保護の際に、希望のブナと親子の対面をすることが出来た。孤高のブナにはパワースポットとしてパワーをもらったり、どんなに厳しい条件でも人間は生きるしかないと言うことを伝えている(茨城県・Sさん)、環境省の水俣病被害者に対する対応はひどい。人の心が病んでいる。南相馬市鎮魂復興市民植樹祭に参加し、1年目の職員が植樹リーダーとして頑張っていた。足尾の森を見てもらいたい(神奈川県・Yさん)、能登半島地震では、幸いなことに志賀原発は稼働していなかった。しかし、地域住民は道路の寸断などで10日以上孤立し、今もまだ不自由な生活を送っている方々がいる。13年前に南相馬市では東日本大震災と東電福島第一原発事故を経験した者として、安全神話から崩壊した今、本当に原発の再稼動が必要か、また新設は必要なのか?私は絶対にNOだ。(福島県・Iさん)、植樹などへの継続参加することで仲間も増えてきた。若い仲間をつくっていく(秋田県・Tさん)、足尾の森の活用として、通信制もしくは通信制サポート校の高校生へアプローチはできないか(栃木県・Tさん)、足尾の森をどの様に生かすのか、若い人に託すのかを考えている。人工物の世界と自然物の世界の違いを感じてもらいたい(栃木県・Yさん)木を植えることが地球に恩返し。初めは1人だったが仲間が増えている。里親植樹をした人が愛情かけた木がどれだけ生長したのか、無視した木はどうなったのかを草刈りをしに行く際に見てもらう(東京都・Nさん)、会場とZoomによるオンラインでの参加者と一体感を感じながら13名から発言をいただき、方針案を強化していただきました。

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Imgp0022 運営委員会からのまとめで清水副代表からは、「古河機械金属さんから借りている55,611㎡の土地に79,379本の木を植え、400人の方の酸素を供給している」、「今月7~8日に中村アドバイザーと森の調査に入った。宮脇方式で森をつくり、現在高木層と亜高木層ができている。次の課題は低木層と草本層が作られれば、本物の森になるということでした。皆さんと20年間森づくりをしてきて、一つ森の成長点に達した。今後どのように育樹活動をしていくのかを見ることができた」等の答弁がありました。24062211

 その後、第6号議案:運営委員、会計監査員の選任を提案し、全ての議案に満場一致で賛成をいただき、承認をされました。新たな体制については下記のとおりです

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<運営委員会>

  代   表 桜井勝延

  副 代 表 清水卓

  運営委員  井上康、大野昭彦、小黒伸也、小林敬、田城郁(新)

<会計監査員>

  笹沼信男、梁島幹雅(新)

<アドバイザー>

   大山寛恭(新)、川端省三、倉澤治夫、高橋佳夫、中村幸人、山崎 誠

◆退任をされました大山博延前運営委員、高橋よし子前会計監査員、大変ありがとうございました。

 第5回総会に参加された正会員の皆さま、見守ってくれた賛助会員の皆さま、森ともの皆さま、そして活動を支えて下さったすべての皆さまに感謝申し上げます。森びとプロジェクトは今年度も、“山と心に木を植えて”いきます。

(報告:運営委員 小林敬)

2024年6月25日 (火)

真夏日の中で草刈りに汗を流す

 6月25日(火)作業集中日。みんな到着が早く、済賀さんと橋倉さんは打ち合わせの前に、「森ひろば」の駐車スペースの草刈りをしてくれました。

Img_0001 今日の松木郷の天気は晴、8:30気温は25℃、朝から暑い日射しです。

Img_0018 今日の責任者・大野さんから作業の提起を受け、28日行われる「臼沢西の森」でのJICA東京の研修者(発展途上国の政府観光担当者)が植樹体験する準備班と「民集の杜・東」の散策路に竹で組んだ通路を設置する下準備の草刈り班に分かれての作業になりました。

 打ち合わせ中に大きなスズメバチが飛んでいましたので、柳澤さんが「蜂ジェット」を吹きかけて退治してくれました。いよいよ蜂に注意しながら作業する季節になってきました。

Img_0005 「臼沢西の森」班は、スコップ、篠竹、麻ひも、鉄筋を担ぎ上げ、植樹地に穴を掘り、黒土を入れマゼマゼするのですが、石ころが多く大汗をかきながらの作業でした。篠竹を刺し、麻ひもを竹に結び付けておきました。当日は、移植ゴテでも苗木を植えられるように作りました。。

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Img_0011 歩きやすくするためと植樹後のマルチング用に通路の草刈りをしました。かなりの蒸し暑さで汗が流れ落ちてきます。水分を十分に取り、休憩をしていると爽やかな風が心地よくながれてきます。Img_0014

Img_0013 その後、先日草刈りをした「臼沢西の森」階段右エリア、上から18段目から草刈りのつづきを行いました。下から見上げ「大きくなったなあ」「あんな急斜面の所をよくここまで育てたなあ」とスタッフは自画自賛していました。Img_0017

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 午後は、「民集の杜・東」散策路の竹柵を作る方法について、本間さんから「ななこ垣(魚子垣)」という方法はどうかと提案がありました。「それでいこう」となり、竹を2m×3cmに切り割く作業を始めました。

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Img_0027 作業中、竹はどのようにして割くのかと言われ、「はて(・・?)」となりました。下の写真では、節の下が黄色のほうが「下」になるとのことでした。

Img_0028 下の写真のように割った竹を組んで通路の柵を作ります。

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 14時頃になると、気温は31℃、西の空には黒い雲が湧いてきています。15時前ですが、少し早めに今日の作業を終了しました。本日の作業者は、大野さん、本間さん、山本さん、橋倉さん、矢口さん、済賀さん、柳澤さん、坂口さん、山田さん、筆者・加賀でした。(報告:加賀春吾)

2024年6月18日 (火)

気候変動対策への国連事務総長の熱意に応えたい

20240618足尾・松木郷に踏ん張るヤシャブシ

「化石燃料業界の多くはロビー活動や法的な脅し、大量の広告キャンペーンで気候変動対策を遅らせようとする一方で、恥知らずにもグリーンウオッシュ(環境に配慮していると見せかける)を行ってきた」と強烈に業界の広告戦略を批判しているのは国連事務総長(6/17『毎日新聞』)。この記事を読んで、気候変動対策を訴え続けている事務総長の熱意にどう応えるのか。難しいことや大きなことはできないが、20年間の森づくりで学んできたことは発信できる。

 そのひとつは、私たちは森に寄り添って生きているという現実を体感することから始まると思う。例えば、「植物は光に向かって動き、植物は生涯に渡りずっと生長し続け、変化していく周囲の環境と調和し、途方もない形態をつくる。また、体内組織の水分を調整することによって体の堅さを変え、言語なしでもコミュニケーションが可能だ。その方法は化学物質を放出したり、他の生物(細菌、菌類、動物)と関係をも築く。地中では化学物質を放出して樹々の防衛機構を作動させる。菌糸と根は養分と糖分を分かち合っている」という研究結果を、森を散歩しながら体感してみることができる。

 ちなみに、樹々のパワーのひとつに人体の自然免疫力を高められることも研究済みである。森林浴の効果のひとつに、ナチュラルキラー細胞によって体内のウイルス等を退治する機能が高まるという。

参考資料:『ロボット学者、植物に学ぶ』著者バルバラ・マッツォライ、白揚社

(森びとアドバイザー・高橋佳夫)

2024年6月16日 (日)

「みちくさ」の模様替え第一歩

 6月16日、足尾に向かう途中では小雨も降っていました。鹿沼市を過ぎ日光市に入ったところでは、ソバの白い花が一面に咲いていました。もう直ぐ夏の新ソバが楽しめそうです。Img_0001 足尾に着くと、ヤマボウシの花が少しですが咲き始めています。

Img_0029 「みちくさ」に到着。9:00、天気は晴れてきました。気温25℃。久しぶりに「仁平村長」が日向ぼっこをしました。

Img_0010 今日は、橋倉さんの提案で「みちくさ」内のリニューアルを進めることにしました。先ず、双眼鏡などを置いている、南側の棚を撤去することにしました。板を止めている長い木ねじをインパクトで抜いていくのですが、下からねじを回して抜くので寝転んでやらなければなりません。大きな体の筆者にはキツイ姿勢で汗が滴り落ちてきました。撤去したところに、社務室にあったスチール製書棚を軽トラに積み設置しました。

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 午前の作業は終了。昼食にしようとしていると二人の訪問者が訪れました。外国の方です。「ヤバい!英語は全く駄目だ。」と思っていると、流暢な日本語で安心しました。スンダさんというご夫妻でジャンダルム方面にハイキングに訪れたそうです。埼玉県蓮田市に住むインド人の方で、28日にJAICの方々が植樹に来ることを伝え、植える木の英語名で教わりました。Img_0019

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 午後は、「みちくさ」北側(道路側)の棚の撤去をすることにしました。棚に置いてあるものを段ボール箱に片づけてから、40分ほどで撤去が完了しました。Img_0025

Img_0028  午後になるとムシムシとしてきました。気温は28℃とそれほど高くないのですが、湿気が多く風も余りないので不快感が増し、梅雨入りも間近のような気がします。

 今日は一組の訪問者だけでしたが、中々逢えない外国の方と繋がることが出来ました。またのご来訪を申し上げております。

本日の舎人は、橋倉さん、筆者加賀でした。(報告:加賀春吾)

2024年6月15日 (土)

可愛いい子鹿に出会いました

本日の足尾・松木は、8時45分の気温28度、晴天でした。

お湯を沸かしてる間に、窓を全開にし、雑巾でテーブルやトイレを綺麗に拭きました。終わるころにお湯も沸き、コーヒーを飲みながら舎人内容の打合せをしました。今日は、私が家で育てた80本のコキアと初雪草9本の苗を植えることにしました。

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まずは、植える場所、「こころの園」西斜面の上段の草刈りを行い、30cmの穴を掘り、黒土を混ぜ、手際よく約50本植えました。11時30分頃に、小柴さんが手伝いに来てくれましたので、みちくさから広場に降りる階段の柵の内側に初雪草を丁寧に植えました。

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区切りがついたので昼食にしました。外は31度でしたが、みちくさ内は爽やかな風がすり抜けて涼しく感じました。午後は、松木渓谷の奥の方に歩いて行った方が数人いたので、戻って寄ってもらう事も考えて、山田さんには植えたコキアの水やりをお願いしました。

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小柴さんはみちくさ周囲、筆者は「こころの園」内の草刈りを行いました。手入れ時間があまりなかったので草刈りは一部分だけでした。本日は、松木渓谷に入る人はパラパラいましたが、帰りにみちくさをしてくれる方はいませんでした。

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今日の一番うれしかった事は、作業小屋の軒下の日陰に生まれて間もない子シカを発見したことです。近くであいさつをしとも小鹿は逃げませんでした。15時ごろに再び小鹿を見に行くと直射日光が子シカに当たっていたので、小柴さんがサクラの木陰に運んでやりました。すると立ち上がり歩きだして「民集の杜(西)」の方に歩いていきました。私たちは親シカに逢えることを願いました。

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最後に打ち合わせなどを行い、みちくさを終了し帰途に着きました。お疲れ様でした。

 本日の舎人は、山田、小柴、大野でした。

<報告は大野昭彦>

2024年6月11日 (火)

森の涼しさに助けられ、作業は順調に終了!

Dscn0092 今日の足尾・松木郷は、雲一つない快晴でした。朝8時30分の気温は19℃、昼の暑さが気になる陽気でした。

Dscn0056  今日の森作業責任者の済賀スタッフから、①6月9日に開催された「南相馬鎮魂復興植樹祭」の報告、②6月1~2日の「能登半島大地震」被災地への視察、③6月2日の「笑いヨガの会」の皆さんによる植樹等の報告がなされ、筆者からは、6月7~8日の「足尾の森の観察会」報告を行いました。      森作業については、午前中の涼しいうちに「臼沢西」の幹ガード張りと草刈りを行い、午後の暑い時間は、涼しい森の中で「竹の散策路」作りを行ないました。

 幹ガードは、雨が降る中で植樹をされた「笑いヨガの会」の皆さんが出来なかった作業を代わりに行いました。また草刈は、階段の右側上から17段を行いました。

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Dscn0081  午後は「民集の杜・北」に移り、大きく育った木々達が作ってくれる日陰で涼しい森作業が出来ました。「眼鏡橋ルート」は、あと半日で完成予定です。

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Dscn0089 今日のトピックスは、「臼沢西の杜」入口に立てておいた看板が熊(子熊?)によって破壊されていました。爪痕が残り、一部ねじ曲がっていました。済賀スタッフが手際よく応急処置をしてくれました。

Dscn0059  Dscn0085 また、作業通路脇でアシナガバチが一生懸命巣作りに励んでいました。作業中気を付けなければならない時期が来ました。

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  夏の様な暑さの中でも、涼しい顔でやり遂げたメンバーは、鎌田、田村、矢口、加賀、柳澤、済賀の皆さん、報告は、橋倉でした。

 

 

第12回南相馬市鎮魂復興市民植樹祭開催

 9日、第12回南相馬市鎮魂復興市民植樹祭が開催され、1,200名以上が参加し、21種類20,000本の苗木にいのちを吹き込みました。天気は曇り、気温は25℃、風が強く吹いていました。

Dsc00610_2 ここ南相馬市では、2011311日に発生した東日本大震災と東京電力福島第一原発事故により、南相馬市では636名の方が犠牲になりました。高盛土にはがれき等を活用した海岸防災林に被災した方々の一人ひとりの思いや祈りを込めて植樹を行い「鎮魂の森」をつくり、震災の経験や教訓を忘れずに後世に継承する場をつくるために、「いのちを守る森の防潮堤」の実現を目指しています。 今年から森びとは、植樹リーダーの任は行わず、参加者として南相馬市の行う復興計画の一つである命を守る森の防潮堤づくりを応援していくことになり、私たちの後任には南相馬市民が中心で作る南相馬市鎮魂復興市民植樹祭応援隊(通称:応援隊)が就いて、引き継いで下さっています。

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 開会宣言に立った実行副委員長である応援隊の松林英夫代表からは、全国各地からこの植樹祭に参加をしてくれている紹介がされ、鎮魂復興の祈りを込めた植樹祭へ心を一つにする開会宣言がされました。

20240611_063202_2 植樹会場に移動をし、植樹リーダーである市役所職員等が心構えとして一つひとつの作業(植樹説明・苗木運搬・植樹・マルチング・ロープ張り・集合写真撮影)を区切り、参加者の協働作業で最後まで丁寧に植えよう!を徹底していました。 今まで植樹リーダーを担い、じっぐりと植樹をすることのなかった森びとインストラクターも心なしか興奮をしている様子でした。

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 また、9年前に東京都内の駅街頭で配布したポット苗の里親になっていただいた遠藤さんより預かったスダジイを南相馬に持参し、いのちを守る森の防潮堤に植樹をしました。Dsc00384_2

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 遠藤さんより受け取ったJR東労組東京地本の副委員長・対馬さん、森びとの済賀さん、坂口さんがいのちを吹き込んでくれました。Dsc00469

 当日の開催にあたり、応援隊の方々は6日より前段準備に携わっていました。毎年、市内外から来る参加者が滞りなく植樹をできる環境を作っていただきましてありがとうございました。

(報告:運営委員小林敬) 

 

2024年6月 5日 (水)

地震大国・日本では原発と共存はできない

 今年1月1日、石川県で震度7の揺れを観測する大地震が発生し、建物の倒壊や津波の被害などで死者は240名以上、地盤の隆起は最高4mが確認をされています。運転停止となっている志賀原発のある志賀町は最大震度7を観測し、1号機・2号機共につなぎ目に亀裂が入るなど一部の危機から油が漏れる不具合が発生しました。石川県が定めた避難計画では、志賀原発から30キロ圏内にある市町村のうち北側は能登半島方面へ、南側は金沢方面へ避難することになっています。しかし、今回の地震で原発から30キロ圏内の7路線は通行できない状況になりました。あらゆるリスクを想定して避難計画はつくられたものですが、自然災害はそれをも超えてくるということであり、原発の再稼働には大きなリスクがあることを実感せざるを得ません。

Photo 現地に立ち、被災地から現実を学ぶため、一般財団法人日本鉄道福祉事業協会と森びとプロジェクトとの共催で脱原発・脱炭素社会への課題は何かを掴み取り、広く社会に訴えていくべく、6月1日~2日に4名が能登半島地震視察へ向かいました。

 初日は志賀原発のある志賀町に向かいました。志賀市は震度7を記録しており、町役場の敷地内外には亀裂や隆起が目立ちました。

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Photo_6 2日目は、2003年に凍結された珠洲原発建設計画の反対運動を中心で闘われた円龍寺の住職・塚本真如さんに同行していただきました。珠洲市に向かう道中では途中から激しい亀裂や段差が目立ち、土砂崩れにより片側通行の箇所がありました。

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Photo_9 珠洲市に入ると、1月1日の地震直後と思うほど復興とは程遠い状況を目の当たりにしました。5か月が経過し、TVや新聞で報道をされることが少なくなっています。意識をしないと風化してしまう恐ろしさを感じるとともに、なぜ復興は進まないのか疑問に感じました。建物は甚大な被害を受けたため、建て直しをするために公費解体を待っている状態で、石川県では申請の1%ほどしか済んでいないと言います。

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Photo_12 その後、高屋地区に向かいました。この地区では、道路が寸断され、津波と海岸の隆起によって海路での避難もできず、一時孤立状態となっていました。

Photo_13 海岸に向かうと、陸域が広がり、白い部分が多くみられますが、ここは海の中だった場所です。子供のころ、塚本さんが遊んでいた場所で、変わり果てた様子に気を落とされているように映りました。

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 続いて、塚本さんの円龍寺に向かいました。本堂やご自宅にも入らせてもらいましたが、そこは生々しい様子で5か月経過した現在も時は止まったままでした。お寺の立て直しをするための公費解体の申請について尋ねると「最後で良いんです」と、まだ申請を出していないそうです。自分のことよりも周りの住民の方が先にという姿勢に、どうしようもできない悔しさや無念さを感じました。

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Photo_29 高屋漁港は2mほど隆起しました。漁船が停留していますが、岸壁から船に乗り込むことができないほどの高さでした。地震前は黒いゴムのあたりまで海水が来ていたそうです。船も出航することができずに困っていました。

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Photo_28 一昨日(3日)早朝、輪島市と珠洲市で震度5強の地震が発生しました。地震大国・日本では、原発と共存できないことがハッキリとしています。能登半島地震によりいのちと生活が脅かされ、特に高屋地区などではさらに避難ルートや支援物資、通信手段なども途絶えました。珠洲市に原発が建設されなくて良かった、志賀原発が稼働していなくて良かったと実感できます。塚本さんたちが原発建設計画阻止の闘いで貫き通した"最後までやり抜くこと”を捉え返し、脱原発・脱炭素社会に向けて発信をし、行動していきます。

(報告:運営委員・小林敬)

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