“繁栄”とは、“幸せ”とは何か、を問う敗戦70年の夏
森の草木たちはすべての生きものの命を育むために猛暑に耐えながら秋の準備をしています。
暦の上では立秋を迎えましたので、高山の森では恵みの季節を迎える準備をしているようです。
偉大な自然の恵みに寄り添っていかなければ生きられない私たちですが、一部の政治家や一部企業は原発に寄り添って生きていく選択をしました。
昨日(11日)、川内原発1号機が再稼働しました。国民の半数以上が「再稼働反対」の声を無視して、九州電力が政府の後押しを受けて、永久的に市民の命と暮らしを奪うことに繋がる「原発回帰」の社会へ一歩を踏み出してしまいました。
国会では、“国民の命と暮らしを守る”、と繰り返し答弁している安倍首相ですが、想像つかない自然の脅威には技術力で、周囲の国々からの「脅威」には軍事力で、そこに貫かれていることは、“日本国の繁栄のためには、市民の犠牲は想定内”ということでしょうか。
敗戦70年を迎えようとしている今、人間社会は生物社会の小さなコミュニティーに過ぎないことを基底に据えて、“繁栄”とは何なのか、“幸せ”とは何なのかをはっきりさせたい。
そして、「自然の力と人間の力を信じて」“原発に頼らない森と生きる暮らし”が最高の幸せなのだ、という社会を考えていきたい。(理事 高橋佳夫)
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