カテゴリ「森の声」の168件の記事

2009年3月27日 (金)

心に木を植える議論を創りだそう!

P3270616

 今日の毎日新聞に宮脇昭先生と山田英生さんの対談記事が載っていました。訴えは未来の子どもたちへのメッセージでした。そこで宮脇先生は、「地球上では、森をはじめとした緑の植物が、太陽の光のエネルギーによって二酸化炭素を吸収し、酸素を放出する唯一の生産者であり、人間も微生物と同様に植物によって生かされている一存在にすぎません。今、世界的な経済危機がいわれているが、我々の本質である生命の次元から見れば、株券や札束という紙切れの問題です。大事なことは、今の大人社会の影響により、バーチャルな世界に生かされている子供たちに、紙切れの尊さを教えることではなく、生の命の尊さ、はかなさ、厳しさ、素晴らしさを教えること。」と言っていました。
 今日は、明後日に開かれる第4回通常総会の資料づくり・準備を行い、準備はほぼ終わることができました。総会では、宮脇先生が新聞紙上で訴えていることを、森づくり運動を通じてどのように創りだしていくのか、そのために会員は何をなすべきなのか、という議論を創りだしてほしいと願っています。
 通常総会の運営をめぐって打ち合わせをしていると、大人の絵本『サルと人と森』が事務所に納品されました。一同、その梱包を開けて絵本を見て、「素晴らしい絵本ができた。この絵本を多くの皆さんに読んでもらって、宮脇先生の訴えに応え、一本でも多くの木を植えてほしいなあー!」、と感じたようでした。

2009年3月21日 (土)

江戸時代?に生まれたミズナラに遭うことができました

P3210634_3

 ポカポカとした快晴の中を、100年以上前の亜硫酸ガスに耐えながら生きつづけたミズナラに遭いに行きました。
 今年1月の調査では、そのミズナラに遭えなかったために、東京新聞社のHさんのアドバイスをうけ、今日は再チャレンジしました。ダムゲートから阿蘇沢の上流をめがけて進み、約4㎞程行くと林道が行き止まり、そこから更に急斜面を登りました。その瞬間、「遭えたぞ!」という声が谷間を駆けめぐりました。仲間達の声が下から、上から聞こえてきました。「すごいぞー!」、「でかいぞー!」、とその声は少し興奮気味でした。
 興奮のあまり巻き尺が切れてしまい、身長167センチの小林君の腕で幹の周りを測ってみると、彼の腕では測れきれませんでした。周囲のミズナラの幹を測ってみると、幹の太さは最大で約5㍍あるようです。ミズナラの他には、シラカンバ、ダケカンバ、ウダイカンバ、カエデ類、リョウブ、ヤマハンノキ、ツツジ類そして下草には笹の葉が目立っていました。
 100年前には、周り一体の山々の木々は亜硫酸ガスによって枯れ、山々は岩山となってしまいました。しかし、この地には幹の周囲が5㍍もあるミズナラが生きていました。一年に3㍉生長したとして推察すると、このミズナラは250年も生きていることになるのでしょうか。そうだとすると、今日の出会いはまさに江戸時代に生まれたミズナラに遭ったことになるのでしょう。この一体の谷底には滝があり、美味しい水を下流に流していました。250年以上も生きている木々たちがつくっている森が、美味しい水を貯め、私たち生物の命を育んでいることに感謝しました。
 調査後、私たちは改めて自然の力強さを実感し、自然からの恵みに感謝しました。今日の「どくだみ荘」の宴は、美味しい酒が飲めそうです。
P3210631         

2009年3月18日 (水)

 100年以上前の松木村を再現したい!

Imgp0231

 事務局は、今年から始まる「松木の杜」(仮称)づくりに向けて様々な準備をすすめています。そのひとつに、「足尾いのちの森づくり看板」(仮称)の準備です。すでに看板の主柱は製材され、設置するまでになりました。看板に貼る絵と文章の制作は現在進行中ですが、昨日は、足尾在住の川田勉さんにお会いし、当時の松木村の話を聞きました。私たちは川田さんから約60分間の話を聞き、その後、川田さんの案内で当時の松木村の現地を再認識しました。
 川田さんは、松木村で最後の最後まで生活していた星野金治郎さんの息子・星野金平さんから聞いていた話などを私たちに語ってくれました。川田さん、ありがとうございました。
 110年以上前の松木村の絵を描いている方は、JREU・絵画クラブの加藤さんと益子さんです。彼らは真剣なまなざしで加藤さんの話に聞き入っていました。この二人は現在、当時の様子をM100号のキャンバスに描こうとしています。加藤さん、益子さんよろしくお願いします。
 川田さんの話によると、家の屋根は木っ端屋根で、庭先にはシャクナゲが咲き、もみの木が防風林になっていたようです。私たちは、松木沢を訪れるハイカー、釣り人、ロッククライミングに挑戦する皆さんに当時の松木村人が、森と共に生きていた様子を感じてもらい、森(自然)の大切さを訴えていければ、と願っています。
Photo

2009年3月17日 (火)

森と生きる啄木に学ぶ

Dsc00073

 13日、福岡市でソメイヨシノの開花宣言があり、昨日は宮崎県と高知県でも開花しました。福岡市の開花は平年よりも13日に早い、という報道でした。今日の朝のNHKラジオニュースでは、甲府市ではタンポポの花が咲いた、前橋市ではヒバリが初鳴きした、と報道されました。昨日の朝のラジオニュースでは、昨年12月から今年2月までの平均気温が松本市では2度、軽井沢では0,8度高くなっていて、これは100年前からの観測以来はじめてのことだ、と報道していました。
 2013年以降の温暖化対策の国際的な枠組みは年末に開かれるCOP15にかかっています。IPCCは「温暖化の影響を最小限に抑えるには先進国で25%~40%の削減が必要」と指摘しています。政府は6月までに目標を決めると言っていますが、太陽パネルを家庭に設置させるとか、電気自動車などの次世代自動車の普及率が拡大すればとか、という経済的なことが中心となって議論されているニュースを聞くと、その目標達成は働く者からの「エコ収奪に頼るのか」、と疑ってしまいます。
 石川啄木は102年前に、サルに扮して「人間はなんてかわいそうな生き物なんだろう。人間はすでに過去を忘れてしまったのだな。今ここにこうして生きているのは、おれたちと同じ祖先がいたからではないか。過去を忘れた者には未来はないだろう。今がいちばん素晴らしく、人間がいちばん賢いと思い上がっていると、これからの人間には進歩も、幸せもないだろう。かわいそうな人間達だ。人間滅亡のときが近いうちにやって来るだろう。」、と人間に言っています。これは今月下旬、当委員会が自費出版する『サルと人と森』という絵本の一節です。
 石川啄木の「林中の譚」を啄木記念館学芸員・山本玲子さんが訳し、絵は、森づくりをご一緒した多摩美卒の鷲見春佳さんが描いてくれました。山本さん、鷲見さんありがとうございました。絵本希望者は当委員会まで問い合わせください。

P3170594

2009年3月 5日 (木)

子は親のしぐさを見て育つ!

P3050492

 今日の森びと広場には8時30分に着きました。車から出るとチュウヒ、チュチウという音が聞こえてきました。音の発生源をよーく見てみると、それは霜柱が太陽の恵みで、霜柱が溶けている音でした。朝の気温は、1度で無風の快晴でした。
 今日は稲葉理事が作業を手伝ってくれました。重機はJR東労組の大宮の方が操縦し、開墾と道づくりをおこなってくれました。今日の重機操縦も職人肌の腕を発揮してくれました。昼食時に、その方と話をしてみると、お父さんが造園業でしたので重機に触っていた、と言っていました。さすが子どもの時から父親の手足を見ていたことが、現代に活かされているなあー、とおもいました。子は親の背を見て育っていると思いました。
 天気予報では足尾の明日は、雨が降るということなので、重機の出入りする道に砂利をまくことができましたので、明日からの作業通路には十分活用できるようになりました。
開墾作業は間もなく終了できます。作業は当初計画より早めに終了できそうです。JR職人の皆さん、職人の皆さんのご支援頂きありがとうございました。

P3050497

2009年3月 4日 (水)

新鮮な空気を入れて元気をだそう!

P3040486

 今日の足尾は天気予報通りに昨夜から雪が降り、積雪は12㌢程でした。今日のボランティアの方々は福島県白河市から車で来てくれました。来てくれたのはJR関東バスの運転手3名と常磐線の駅に働いている方1名でした。4名とも足尾は初めてということで、はげ山に木を植えている現場を見て驚いている様子でした。
 いざ作業に入ると、昨日までの森びと強者どもの職人肌どころではなく、バス運転手2名の方は重機を扱う職人そのものでした。今日の開墾作業はこの職人2名とスコップ・オペレーター2名、そして事務局5名で行いました。下の写真のように、今日の職人は、私たちが2日間かかって開墾した分を1日で開墾してくれました。感謝、感謝です。
 赤土と砂が混じった表土を掘り返して耕す作業は、土に空気(酸素)を入れる作業です。虫たちにとっては明日の啓蟄前に土を掘り返して申し訳ない気持ちですが、未来の杜を想像すると我慢してくれるだろう、と勝手に思ってしまいました。虫たちも酸素を吸って元気を出し、草の葉や枯れた小枝、鹿の糞等を分解して苗木の栄養分を作ってほしいものです。今日はバスの職人から元気を頂きました。
 近頃、元気がないという方は足尾の開墾作業で汗を流し、身体に新鮮な空気をいれみてはいかがですか。

P3040490

2009年3月 3日 (火)

仕事にこだわることは生きるためだ

P3030476

 今日もたんたんと開墾作業をしました。開墾している周りには20~30頭の鹿が餌を食べていました。朝の気温は0度、曇り、昼頃には雪が降りそうな天気でした。9時から植樹会場の入り口と重機用の道を作り、他のメンバーは植樹用の開墾をしました。2日目になると重機の操縦も慣れたもので、開墾作業は順調に進めることができました。午後3時には雪が降ってきましたので、作業を止めて作業小屋に戻り、今日の作業を振り返りながら明日の予定を確かめて帰路につきました。
 昨夜、「職人とは仕事にこだわって仕事に責任をもち、そうして仕事に誇りをもつのだ。会社のマニアル通りに間違いなく仕事をこなしているのは“なんとかプロ”だ。職人は毎日が勉強だ。職人は自然から学び、それを仕事に活かす。ハドソン川に不時着した機長の判断は職人気質があったからできたのではないか」、と言っていたボランティァの方も、寒風と小雪降る中で重機を操縦していました。
 今日はそんなこだわりをもって杜づくりを進めている現場を訪れ、共に作業を手伝ってくれたIさんありがとうございました。

2009年3月 2日 (月)

後生に残そう!人は一人では生きていけないということを

P3020461

 さすが森びとの強者達でした。今日の作業は重機操縦の実習でしたが、身体に染みこんだ腕が発揮されて作業がはかどりました。集まってくれた方々はJR東労組のOBと現役の皆さんで、「重機の免許は持っているけどペーパーだから」、と遠慮していましたが、いざ実習に入ると10分も経たないうちに重機をおもうように操っていました。
 作業は防寒具を着て行っていますが、今日の天気は快晴でしたが猛烈な強風が吹き、鼻ミズを流しながらの作業でした。昼食時にKさんが作ってくれた豆腐とネギのみそ汁が冷えた身体を温めてくれました。
 1万㎡の植樹会場は110年程前に廃村となった松木村跡地です。そこを開墾していますので、当時の村民の生活の様子が僅かにうかがえます。開墾した土を見ると、昔は畑であったのではないか、とおもうところがあります。亜硫酸ガスで黒くなっている石垣も残っています。こんな村の様子を見て、森びとの強者達は当時の村民の協働、結果の分かち合いをした生活などに思いを馳せているようでした。松木の杜づくりが始まりました。

P3020467

2009年3月 1日 (日)

越冬には渋み、えぐみを我慢する動物たち?

P2280447

 3月に入りました。冬ごもりしている虫たちが地中から這い出る季節に入りました。20日頃には、昼と夜の長さがほぼ同じになります。太陽の恵みを受ける時間が長くなり、全ての生物たちが蠢きはじめます。森びとスタッフも明日から動き始めます。今月中は、広さ1万㎡の植樹会場作りを行います。明日は、森びとの強者たちが重機操縦の練習です。
 ところで冬眠している動物たちも啓蟄の時季に動き出すのかと心配です。そんな心配はしなくともよいのかもしれません。ツキノワグマをはじめ冬眠に入る動物たちは、ドングリ等の木の実を腹一杯食べて冬眠に入りますから。人間は灰汁(アク)抜きをしてトチノキの実等のドングリを食べましたが、動物たちは灰汁抜きはしません。味には鈍感なのかもしれませんが、人間が嫌う渋み、えぐみの成分には計り知れない栄養分が含まれていることを動物たちは知っているかもしれません。越冬するには少しの渋み、えぐみを我慢することを自然から教えられているのでしょう。
 昨夜は、知人のシェフが作ってくれた「縄文パン」をご馳走になりました。このパンは雑穀とドングリの粉で作られていますが、とても香ばしく、美味しいパンでした。シェフは3年前、ドングリクッキーを作って、足尾ふるさとの森づくりに参加した皆さんに提供した方です。食したい方は、「TABLE」・℡03-5454-3777まで。1個・50円です。

2009年2月27日 (金)

自然(森)から学ぶことはいっぱいある

P2210429

 事務所がある東京都北区田端では雪が降っています。2月下旬になってからの天気は、日本各地で雨や雪が連日のように降っています。沖縄では気温25度以上の日が3日以上あったという報道がされ、これは気象観測初めてであると言っていました。
 この時季、都内の公園内を散策するとタンポポ、ギシギシ等のロゼットが観察できます。ロゼットは地べたに這いつくばって寒い冬を越していますが、このような姿は草花が気象の変化に敏感に反応した生存戦術なのだろうか、と思ってしまいます。しかし、その戦術は人間の傲慢な自然破壊には植物の想定外ではないのか、と心配になってしまいます。ところが草木の世界は支え合い・分かち合いがあるから心配ないかもしれません。
 草木の種や花粉は鳥や風が運び、支え合いながら草木を助け合っています。昨夜、「ヤノマミ(人間という意味)」というTV番組を観ました。番組は、アマゾン奥地に生きる原住民の生活を150日間追った内容でした。人間の原初の生活を映し出していたのは、森との共存でした。木を切り倒して蜂の巣を採る、蜂蜜を食べ終わった原住民は女王バチを巣に帰していました。女王蜂は絶対に殺さない、ということが後生に伝えられていました。生物との共存、人間は森に寄生しないと生きていけないということがきちんと後世に伝えられているヤノマミ達でした。
 現代人が失いかけている、“支え合う・分かち合う”ということの大切さを感じました。事務局は、来月招集される第4回通常総会ではこのような心を共有できればと思いつつ、総会資料作りをしています。

森びと検索

最近のトラックバック