「森づくりは人生そのもの!」、森づくりにかけた情熱を共有しました。
5月24日(日)、足尾「松木郷」は霧雨で、8時40分の気温は13℃、日中も15℃と寒い1日になりました。
今日は、林野庁日光森林管理署の署長以下7名の皆さんが「松木郷の森」の観察に来られます。そして、40年前から荒廃地の緑化に取り組んできた吉江行政専門員より、当時の山の状況や植生回復の苦労や学んだ経験をお話しいただきます。
朝一番の作業は、トラックで運ばれた木材の荷下ろしです。
足尾の「臼沢西の森」の土留めや階段の甲羅板が落石で壊れたり、経年で腐って崩れたりしているため、その現場を見た森びと会員の橋本義昭さんが、木材業を営む岩手県大船渡市の知人から長さ2m程の板の端材を提供していただき、足尾に運んでくれました。21日深夜に済賀さんが同行し大船渡市に向けて茨城県を出発。現地でトラックに積み込み、24日朝一番で森びと広場に運び入れてくれました。
「うんしゅう亭」西側に降ろして、濡れないようブルーシートをかけました。秋の森作業で植樹地の土留めと階段の修繕に使わせていただきます。木材の提供ありがとうございました。そして、長旅お疲れ様でした。
10時に日光森林管理署の皆さんが“みちくさ”に到着。金子所長から挨拶をいただき、各自自己紹介とミーティングを行いました。午前中は「臼沢の森」と「民集の杜・北」を案内し、昼食後に吉江行政専門からお話をうかがいます。
“みちくさ”を出発し森びと看板前で森づくりをスタートさせた当時の説明を行いました。先輩署員は、北側の旧ヘリポートの位置を確認し懐かしんでいました。
「臼沢の森」に到着し、植えた苗木が枯れ、支柱が卒塔婆のように立っている植栽前の様子を写した写真を見てもらいました。苗木を植えるために斜面を登るための階段作り、植樹穴に入れる黒土の運搬など、多くのボランティアの協力をいただいて森づくりを行ってきたことや、厳しい土壌条件のため、1㎡の穴に種類の違う3本の木を植えてきたことを説明し、木々が競争しながら生長している様子を見ていただきました。
次に、「民集の杜・北」に移動し、治山事業が始まってから70年経っても草地のままの緩斜面と、ヤシャブシが植林された岩の多い草地を開墾し土壌改良した土地に木を植えて生長した杜を見ていただきました。
杜の中でクマの爪痕がある木があり、何の木なのか分からず、葉を見て「クリの木」かなと思いましたが、「葉の形が違う」と指摘を受け、皆さんリュックから樹木図鑑を取り出し調べ始めました。さすが「森林官」です。
森の西側のヤシャブシエリアには植樹していないサクラやモミジ、クリなどが生えてきている様子を見ていただきました。ヤシャブシが枯れはじめ、鳥や動物たちが寿命を察知してか、次世代のタネを散布し、森づくりに加勢してくれています。
12時近くなり“みちくさ”に戻り昼食をとりました。
13時から吉江行政専門員よりお話をいただきました。昭和59年、前橋営林局の初の女性技官として採用され、翌年足尾事業所に異動し、男性の多い職場で同じように働いたそうです(当時は男女の体力差などが考慮されない時代でした)。関東森林管理局のパンフレット「よみがえる緑」を活用しながら自分の体験を話してくれました。
雨が降り出すと、緑を失った山は雨が一気に沢に集まるので逃げなくなるため、すぐに退避したことや、カミナリが横に走り怖い思いをしたことなど、厳しい自然条件だったことが語られました。また、治山の仕事には女性の作業員が多く、山の上で、「お茶にしよう、くだもの食べよう」と声をかけてもらい、人のあたたかさを感じる労働現場だったそうです。
40年前を振り返り「岩を止めて、動かなくして、草を植えて、生やして、木を植える。私の人生だったといっても過言ではない。私の人生の3年間だったが、若い人も自分の経験を自分の糧にしてほしい。」と後輩へエールを送られました。その後、意見交換を行い、森林管理署の皆さんが、治山・植生回復に携わり、命をかけた森の再生を学ぶことが出来ました。
「森づくりは私の人生そのものだ!」という情熱がひしひしと伝わる講和ありがとうございました。
森づくりチームは、強風で傾いた「民集の杜・西」の岸井さんの桜を立て直しました。26日の森作業時に傷んだ根周りの手入れを行いたいと思います。お疲れ様でした。
本日のスタッフは鎌田さん、大野さん、加賀さん、済賀さん、坂口さん、永島さん、橋本義さん、筆者・清水でした。
(報告 清水 卓)



































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