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2011年4月の18件の記事

2011年4月30日 (土)

のどかな時間に野良仕事

P4301864  早いもので明日から5月です。足尾ダム周辺ではやっと桜が満開になりましたし、松木沢の桜も満開になりました。今日は時たまパラパラと雨が降りましたが穏やかな日でもありました。みちくさ畑にはフキ、山ワサビ、三つ葉、野いちご、ノビルを植えましたので少しばかりの雨に感謝でした。遊働楽舎内では床に防腐剤を塗り、塗った後には書棚を設置してみました。スタッフの皆さんが外壁を張ってくれましたのでそこにも防腐剤を塗ってみました。

P4301875  松木沢には釣り人、ハイカーそして歴史探訪らしき方々が訪れていました。2週間後には「みちくさ」がオープンしますので、私たちは松木沢を訪れる皆さんとの出会いを楽しみにしています。今日は理事・石島悦子さん、事務局・仁平事務局次長の3人でオープン準備をしました。

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2011年4月28日 (木)

コブシの花が咲きました!

Photo  “森とも”の皆さん!今月22日午後、“雲上の楽園”へ旅立った角岸幸三(前副理事長)さん!足尾・臼沢の森では真っ白いコブシの花が咲きました。臼沢の森に入るとコブシの甘い香りが風に運ばれています。昨日は、22日に他界された前副理事長であった角岸幸三さんの告別式が執り行われました。

 みちのく事務所が進めてきた八幡平市・旧松尾鉱山跡地への森づくりは今年で5周年を迎えました。いのちの森づくり5周年を記念して角岸さんは花をつける樹木を植えて、植樹する皆さんに森の素晴らしさを感じてほしいと言っていました。酸性濃度の厳しい中での森づくりでは、苗木が大地に根を張って生長するには最低4年間かかることが分かりました。4年前に植えたミズナラがやっと幹と枝を伸ばしてくれたのが昨年でした。そんな中で、森の素晴らしさや有り難さを参加者の皆さんと喜び合いたいと、5周年記念を楽しみにしていた角岸さん。

 当委員会の設立当初から“山と心に木を植えて”こられ、また、出会いを大切にして人を愛し、愛した人のために汗を流し、さらに社会の悪に抵抗し続けた角岸さん。これからは“雲上の楽園”で一緒に森づくりを続けましょう。私たちは初心を忘れずに今後も地道に“山と心に木を植えます”。6月には角岸さんが楽しみにしていた花をつける木を旧松尾鉱山跡地に植えますよ!(合掌)

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2011年4月25日 (月)

現地に起って、被災者の気持ちに近づくことの大切さを学ぶ

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 私たちは多くの会員が被災した東日本大震災の現地に起ちました。22日深夜、東京駅から夜行バスに乗った9名は翌朝6時過ぎに盛岡着。盛岡で待っていた2名とレンタカーで釜石に向かう。天気はあいにくの雨の中、バスの到着が遅れていたので釜石着が10時を過ぎてしまった。釜石ボランティアセンターでは予想していたようにボランティア活動は開始され、天気のこともあって作業は無かった。

 P4231860 センターの好意で大槌町での作業を紹介された。全員ホットした気持ちになって作業開始。作業は自衛隊員が行方不明捜索で拾集した写真やアルバムの汚れ落とし。場所は相撲の地方巡業で使用する土俵際。先に来ていた女子生徒たちと泥にまみれた写真とアルバムをタオルで拭いた。海水で写真が剥がれないものは真水で一枚ずつ剥がしていた。P4231867 剥がした写真は洗濯鋏で吊るして乾かす。この写真は高台にある防災本部内に貼られて被災者に引き取ってもらう。P4231859 アルバムには色々な想い出が詰まっていた。作業の汚れを落としながら思ったことは、この写真やアルバムを待つ家族は生きているのか、家族の形見になってしまうのか等でした。一人の森びとインストラクターは「七五三の記念写真を見て目頭が熱くなった」と話していた。

 P4231871 P4241891 みちのく事務所の仲崎さんと反省会をした後、宿舎で疲れをとった。翌朝は天気が良くなった。6時にみちのく事務所に集合、レンタカーに乗って宮古市に向かう。8時過ぎにボランティアセンターに到着。9時に受付を開始、ボランティア保険(天災)に全員加入

して全体ミーティングを受ける。足元のチューリップは雨上がりの暖かい太陽の光を一杯浴びていた。

 P4241889 作業は津軽石地域で被災した北村さん宅の後片付け。P4241897 室内の床板剥がしと清掃、外では津波で運ばれた瓦礫と土砂運び。作業は10時から15時過ぎまで行った。P4241899 倒れた庭の樹木は、「森びと実践ゼミ」で習得した技を活かしてチェンソーで伐った。P4241903 津波に負けずに生きていた樹木は職業技をフルに発揮した。P4241917 丁寧に作業をしていると40㌢もある泥の中から水仙が顔を出してくれた。P4241906 昼過ぎの作業はチームとしての作業になってはかどった。

 15時過ぎ、作業が終わった。北村さん家族と記念写真を撮って別れた。別れ際に、北村さんの奥さんが涙を流して頭を下げたお礼の言葉に私たち一同は目頭を熱くした。

救援ボランティアをサポートしてくれたJREU盛岡の皆さん、みちのく事務所の皆さんありがとうございました。P4241920 来月は福島県被災地に起つ。

2011年4月22日 (金)

”原始力”を活かして自然と人に優しい生活を

 「原始力」を生活に活かそう!これは字の間違いではありません。「原始力に席を譲った原子力」という新聞の見出しです。昨日の毎日新聞(12面)で掲載されていた長崎浩氏(評論家)の記事の見出しでした。

 長崎氏は「冷却と計測制御のシステムが働かない以上、原子炉あるいは燃料プールの熱爆発を防ぐには、外部から人力で海水を注入して冷やし続けるしかない。放射能漏れにより悪化した環境で、この作業が今も続けられている。それこそ科学技術の粋を集めたシステムが沈黙して、水をかけて火を消すという人類古来の力に頼らざるをえなくなっている。いってみれば、原子力が原始力に席を譲ったのである。しかもたき火と違って、原子の火は水をかけても長期にわたって消えることがない。消防士たちが決死の覚悟で放水する姿を見て、私たちは目を覚ますべきである。」(一部)と書いています。

 P4191889 今日は林野庁を訪れて、日本の森を元気にする運動のアドバイスをいただきました。そこでは巨大津波から町や農地等の被害を防ぐのは森林であるということを改めて考え直す時代できた、という話をしてきました。今日、これから事務局と森びとインストラクター10名は、今夜の深夜バスに乗って釜石市と宮古市の被災地へ向かいます。明日と明後日には被災地に立って森びとの心を耕してきます。(写真:日比谷公園、松木の杜のビロウドモウズイカ、足尾の山)

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2011年4月20日 (水)

春雷が運んでくれたパステル色の癒し

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 みぞれまじりの雨の日は春を待つ植物の気分になって、僅かばかりのみちくさで英気を養うのがよいと感じました。朝、旧足尾銅山製錬所近くから足尾ダム(北)を見ると山頂は真っ白でした。その手前に生えている桜や柳のつぼみはあと一日ほどで開花する感じがしました。

 P4201884 森びと広場に着いてから松木の杜をチェックしていると二年前に植えたモクレンの花びらが開き、甘い香りを風にのせていました。耳を澄ましているとあちこちでキビタキがさえずっていました。また、森ではヤシャブシ、カラマツ、シラカンバの黄緑とカエデの小枝の濃い桃色のパステル調が目を癒してくれました。一日のみちくさで森びと広場は春の賑わいを増していました。

 P4202337 今日は松村宗雄スタッフがみちくさ畑の開墾とねぎの苗木を植え、筆者はみちくさ畑の石段と森びと広場の石積を行いました。

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2011年4月19日 (火)

“ほどほど”にしないと罰が当たるぞ!

P4191878  足尾の今日はみぞれが降り、午後3時過ぎにはみぞれよりも白いものがパラパラと降った天気でした。そんなわけで作業はせずに生態調査を行いました。久しぶりに「絆の森」を調べてみましたら、ツツジ科のアセビがスズランの花の形をした花をぃっぱい付けていました。この森はコブシの白い花で埋め尽くそうとコブシを植えました。コブシは小さいながら花芽を付けていましたが、今日の天気で縮こまってしまった気がします。早く、白く甘い香りの花を見せてほしいと思いました。松木の杜ではミツマタが花を付けていました。みぞれに濡れていましたが暖かいネルの帽子を被っている様でした。絆の森と松木の杜に木を植えてくれた皆さん、樹木たちはしっかり足尾の大地に根を張っていますよ。

 P4191884 天気の悪い日は無理をしないで気持ちの中に“余裕”を持つのも大切だと思います。自然には逆らわないことを先達は生活の中に活かしていたような気がします。豪雪地帯の生活にはそのような生活が今も営まれていると思います。自然の脅威に対しても“避ける・逃げる”ということが命を守るうえで大切なことではないでしょうか。私たちは自然に勝つ、自然に逆らうという意識はあまり持たないのが良いと思いますし、考える場合にも“ほどほど”にしないと罰が当たるのではないでしょうか。そんなことを考えてながら昼飯を食べて「どくだみ荘」に帰ってきました。

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2011年4月18日 (月)

“便利さ”“少しでも楽しよう”を振り返るチャンス

P4181893 足尾・森びと広場は賑やかになってきました。しだれ桜やマメザクラのつぼみが色づき始め、松木沢の杜では水仙の黄色い花が香りを風に乗せていました。周囲のヤシャブシやカラマツは黄緑色に薄化粧して、美味しい空気を風で運んでくれています。枯れ草の中ではキジが鳴き、臼沢の森ではオナガが鳴きながら飛び、モズは巣作りに一生懸命でした。

P4182316 今日は小川事務局と「遊働楽舎」(愛称名:みちくさ)の改装をしました。丸太を切って椅子の底を整えました。チェンソーで粗っぽく切った丸太の底をノコギリで平らにしました。直径40㌢程の丸太をノコギリで切るには大変でした。改めて道具の有り難さを痛感しました。

巨大大震災と津波では高台に移動していた方は被災しなかったと言います。反面、仕事を少しでも楽しようとして高台に移動しなかった方は被災したようです。東日本大震災と原発に被災した私たちはこれまでの生活を振り返るきっかけを、自然の脅威におびえることを振り返るきっかけを与えられている感じがします。

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2011年4月17日 (日)

命をつないでくれた自然の恵み

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 13日にお会いした釜石市の森びと会員・山崎正和さん(大震災で自宅を流失)からファックスが送られてきました。山崎さんは宮古市の職場の仲間たちとドングリの苗木を育て、地域でいのちの森づくりを広めようとしています。その苗木は津波に流されませんでしたので、筆者が被災地を訪れた13日に見ることができました。

P4172306  今日は、今月発行する『森びと通信』(10号)編集の追い込みをしていましたが、この場に山崎さんからの投稿が送られてきました。全文は『森びと通信』で紹介しますが、彼は「ライフラインは途切れていたが、プロパンガスがあり、一番大事な水は沢水を煮沸してのみ水としていた。普段なら見向きもしない沢水が今、命の水となっていた。自然の脅威にさらされたが、命をつなげたのも同じ自然の恵みであった。」と、自然との共存を訴えていました。

 P4171878 (写真:東京事務所近くの古河庭園内のコナラとモミジそして自己防衛が見事な亀です)

2011年4月16日 (土)

大地が泣いていることに気がついていますか?

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 今日は、吉川英治賞・文化賞を受賞した宇梶静江さんの祝う会に出席してきました。私たちと宇梶静江さんとのお付き合いは、一昨年の森びとインストラクター実践塾でした。宇梶さんからはアイヌ文化のほんのさわりを話していただきました。その宇梶さんが東日本大震災に遭って一週間後、天から降ってきたということを聞きましたが、それは私たち人間が自然と向き合う姿勢でした。

宇梶さんは、「重たかったか、痛かったか、あなたについてもっと深く気づいて敬って、その重さや痛みを知るすべを持つべきであった。多くの民があなたの重さや痛みとともに波に消えて、そして大地にかえって行った。その痛みに今、私達残された多くの民がしっかりと気づき畏敬の念をもって手をあわす」と色紙に書いていました。これは近日中に曲が付けられ、歌手の熊谷たみ子さんが歌ってCDになるそうです。

宇梶さんは「大地が泣いているの、森が悲鳴をあげているの、自然にそむいては駄目なのよ!」と涙ながらに話してくれました。(写真下:娘さんと孫たちと一緒で嬉しそうな宇梶静江さん)

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2011年4月15日 (金)

生きていることが幸せ、だからいのちの森づくり

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 若造の筆者は“路頭に迷う”、“途方に暮れる”という心境に立たされた経験がありません。被災地では、いつもの生活をしていた皆さんが、一瞬のうちに生活手段と家族や親族のいのちを奪われ、全ての生活基盤が失った被災者の方々が何とか生きようとしています。何十年を経て築いた自宅や農漁業そして家族や親族の絆と地域社会の支え合いが奪われてしまいました。しかし、自分の力でそして兄弟や親せき、地域の支え合いでゼロから生活基盤を築き上げていかなければならないのが被災者の方々です。新聞を読み、テレビやラジオを見て聴いて前に向かう自分を奮い立たせているようです。釜石の山崎さんは今日もボランティアの皆さんを元気づけています。

P4131894  私たちはこのような被災者の気持ちを受け止め、救援ボランティアを通じて体現させていくことが未来へつなげていく基礎になると思います。何を未来へつなげていくのかを考えていた今日、石川啄木の「林冲の譚」に共鳴している筆者は、本日(4/15)の毎日新聞社説「政策の大転換を図れ」にヒントを得ました。社説では「大災害を転機に、長期的な視点で原発からの脱却を進めたい。・・・危険度に応じて閉鎖の優先順位をつけ、依存度を減らしていきたい。・・・経済と安全をてんびんにかけた結果としての原発震災を直視したい。最終的には国民の判断ではあるが、原子力による電源に頼らなくても、豊かに暮らすための知恵を絞りたい。・・」と書かれていました。キーワードは“いのち第一、いのちの源は森、人は森と生きる、環境問題は政治課題、政治は大人の責任、責任は意識改革と実行力”ではと思いました。

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2011年4月14日 (木)

“路頭に迷う”被災地

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 昨日(13日)は石川啄木の命日(1912年4月13日)でした。筆者は東日本大震災の被災地である宮古市、山田町そして釜石市に立ちました。

P4131935  12日23時10分、東京駅発の深夜バスに乗車、翌朝6時30分盛岡駅着。みちのく事務所で少し横になって休息、仕事明けの泉山理事と一緒に宮古市に向かったのが9時30分頃でした。2時間ほどで宮古市に到着、港から6㎞程にあるボランティアセンターで登録を済ませ被災した市内に向かい、被災した団体賛助会員の皆さんにお見舞いを渡しました。それから2時間後に釜石市に到着。団体賛助会員である山崎さんとお会いしました。彼は自宅が流失されたにも関わらず、救援ボランティアに駆けつけている皆さんのアドバイスをしていました。彼にお見舞いを渡し、救援ボランティアの状況を聞きました。その後、ボランティアセンターで救援活動の意思を伝えてきました。今日(14日)山崎さんに電話してみると、ボランティアの方々と現場で後片付けをしていました。

P4132256 今回、現地に立った分かったことは、団体賛助会員(岩手県)の内本人死亡が1人、会員の家族(3親等)の死亡・行方不明者が47名、自宅と社宅の流失が16名であったことです。そして未だ確認が取れていない方々が数人いるということでした。そして、被災状況に関して色々と言われていますが、実際自分で現場に立って被災状況を見ると“路頭に迷う”、“途方に暮れる”ということでした。大地震と巨大津波がおお暴れして全ての生活手段が目の前で、家族や親戚の尊いいのちが失ってしまったのが被災地でした。反面、巨大津波が襲わない地域では普通の暮らしが営まれていました。一方では路頭に迷っている被災者、他方では普段の生活をしている皆さんの様子を見て、これが現実なのかと思いました。

P4132217 この場で改めて決意したことは啄木がサルに扮して人間へ警告していたこと(「人間は祖先を忘れ、自然にそむいている。ああ、人間ほどこの世にのろわれるものはないだろう」:『サルと人と森』より)を生活に、経済と政治に反映させていかなくてはならないことでした。啄木は100年も前から“自然と共に生きていく”という生き方を世の人間に警告していました。

 今後、宮城県、福島県の団体賛助会員の皆さんにもお見舞いを届けていきます。

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2011年4月11日 (月)

“つらい、悲しい、悔しい”状況を解決する“みちくさ”へ?

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 3・11大震災と原発事故によって「不便な生活」を経験し、その上買い占めや泥棒、詐欺などの嫌らしい人間社会の一面に怒りをもちます。反面、電気の有り難さや支え合うことの大切さを実感しています。また、便利な生活はいとも簡単に不便な生活に変化してしまう脆弱な社会であることが分かりました。これを機会に「便利」や「不便」ということを見直してみるのが良いと感じています。

P4101924  昨日(10日)も第1回舎人会議が足尾で開かれました。会議では、大震災や原発事故に遭った私たちは「便利さ」ばかり追い求めるのでなく、“つらい”“悲しい”“悔しい”という場から試行錯誤しながら改めて「便利さ」を考えていく話もされました。それには仕事や生活の中に“遊び”“時間の余裕”をつくり、つまり“みちくさ”をすることの大切さを、「遊働楽舎」の舎人が発信していくことにしまた。

 帰りの途中、舎人の田岡さんが70歳を迎えるので少し早い誕生祝いを舎人仲間で行いました。JR日光駅の待合室で知り合ったベルギー人とも話が弾み、少し“みちくさ”をして彼女の森を愛する心、自然の恵みを大切にする心そして原発はいらないという考え方を聞きました。昨日は、海外の“森とも”ができました。沼田屋の皆さんご馳走様でした。

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2011年4月10日 (日)

 「遊働楽舎」(みちくさ)の舎人に認定証を授与

P4091912 久々の雨が降りました。乾燥した日が続いた後に雨が降ると樹木も自然の息吹を感じて樹木の色艶が変化していくことを実感しました。昨日はそんな中で第1回舎人会議を開催しました。

 5月14日にオープンする「遊働楽舎」(愛称名:みつくさ)に任命された舎人のみなさんが足尾に参集し、あと一ヶ月後に迫ったみちくさの運営について意思統一しました。

 会議の冒頭、第4回理事会で承認した舎人に対して理事会を代表して石島悦子理事から「認定証」が授与されました。今後の運営は舎人全員が責任者となって足尾松木沢を訪れる皆さんとの出会いを大切にして、“森とも”の輪をつくりだしたいと思います。

 会議後は、石島さんが用意してくれたけんちん汁でうどんと蕎麦を食べました。その後、舎人の皆さんは“みちくさ”の改装を行い、オープンを前にした舎人の任務を想い描いているようでした。

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2011年4月 8日 (金)

森とも(鹿)に合掌!

P4081908  鹿が死んでいるのを発見しました。発見は昨日の夕方、仕事が終わって帰る支度をしている時でした。今日の仕事はまず、鹿を葬ってやることにしました。事務局の小川君が広場に到着するのを待って、穴を掘って埋めてやりました。墓石も運び出して合掌して葬ってやりました。

P4081914  昼過ぎ、作業をしていると大型バスが1台ヘリポートに到着し、バスからは黒い制服を着た新入社員風の男女が降りてきました。会社の制服を着た方が対岸の岩山を指さして何やら説明をしていましたので、多分、古河機械金属㈱の新入社員研修ではないかと思いました。そうであれば会社の理念がそこに見えているなあー、と感心しました。昨日の日立製作所の中西社長に見せてやりたい、と感じました。

 今日は来月14日にオープンする“みちくさ”の屋根の塗装をしました。雨を心配しながら作業しましたが、なんとか雨に遭わずに塗装が終わりました。塗装を終えて広場から“みちくさ”を眺めてみると、塗る前の白い色よりも茶色が周囲にマッチしていることを実感し、二人で納得して喜び合いました。

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2011年4月 7日 (木)

足尾の桜のつぼみも膨らんできました

P4071903  関東地方の全県では本日、桜の開花宣言が発せられたようです。足尾でも昨年植えた桜のつぼみが膨らんでいるようです。今日の森びと広場も昼頃には気温が20度になりました。松木の杜に入ってみると水仙のつぼみも膨らんでいました。大震災被災地にもこんな暖かさを伝えてやりたいです。

P4071897  ところで今日の毎日新聞を読んでビックリしました。原発災害で多くの方々が避難生活を強いられ、世界の各国が心配している原発事故に対して、原発を建設した日立製作所の中西社長は「国の基準にのっとって設計しており、責任を問われる立場ではないと思っている」、ということを強調しているといいます。この記事を読んで呆れました。いや冷静に振りかつて見ると、原発推進してきた企業経営者、政治家そして県知事、市長、町長の一部とそれを支援してきた地域住民の一部の皆さんも国を信じて原発建設を認めてきた、と国の責任を求めています。確かに国の責任はありますが、自分も原発を推進してきた一人として反省することなく国の責任だけを求めていては新エネルギー時代をきり拓くことは難しいと思いました。サルの社会ではこんなことは起こりません。小さなサル社会ではサルのボスはサル社会のために責任をとります。

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2011年4月 5日 (火)

コスト万能主義では繰り返す原発大惨事?

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 菅総理大臣をはじめ閣僚の皆さんがスーツ姿で登場してからテレビやラジオのニュースでは、原発災害問題は今後のエネルギーはどうあるべきか、ということがクローズアップされているような気がします。今日、原発推進をしてきた日本原子力委員会の女性の方が涙を流して原発事故に謝罪しているようでした。議論がスタートしたことは良いことですが、電力源の80%を原発に依存しているフランス大統領の来日やアメリカ大統領の原発推進継続発言を背景にした議論では「人間と自然との生命が躍動する理想郷」は描けないような気がします。

P4041886 批判ばかりしていても発展性はないので私の提案は、“森は敵ではなく友達なんだ”(森トモなのだ)だから“自然を支配しては駄目ですよ”そして“幸せはいのち(生命)が第一なんですよ”、という心をもって今後のエネルギー問題を議論すれば間違いはないような気がします。迷ったら原点に立ち戻って今後のエネルギーを想像してみたいものです。想像力は効率性、合理性だけの枠内に身を置いていては発見できないと思います。

作業効率だけを求めてグリスがきれてギイギイと音を出している重機を無視して操縦していると、作業効率が悪くなります。このような時にはコーヒーでも飲んで、重機に感謝しながらグリスを注入してやることです。結果は作業効率が良くなり、重機の破損にもつながりません。余裕、寄り道がそして“みちくさ”が心を耕してくれます。“みちくさ”は想像力を豊かにしてくれますし、心のエネルギーを発現してくれる気がします。

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2011年4月 4日 (月)

「理想郷」を掲げて事務局が活動開始!

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 昨日は第一回の事務局会議が東京事務所で行われました。清水事務局長から小林敬事務局長にバトンタッチされた新事務局体制の会議は、3月20日に開かれた第1回理事会で決定された今年度前半の事業を推進していく具体的内容を議論しました。特に、4月から6月の間に集中して行われる3・11大震災被災者の救援ボランティア活動に関する議論に時間を費やしました。その結果、具体的には4月は岩手県被災地、5月は福島県被災地、6月は宮城県被災地の救援ボランティア活動を実施していくことを決めました。ボランティア活動は森びと会員の皆さんにホームページ上で呼びかけていくことになりました。

 会議では、ボランティア活動を通じて被災者と被災地から教えられ、学んだことを「人間と自然との生命が躍動する理想郷」(神野直彦東大名誉教授)創りにつなげていこう、と高橋理事から訴えられました。また、高橋理事からは「炭による樹勢回復実証調査」をスタートさせる意味について提起され、ナラ枯れが毎年拡がっている原因の解明に挑戦しくいくことになりました。第1回会議は5月に開催し、原発被害と雪解けを待って現地調査をすることにしました。

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2011年4月 2日 (土)

自然は「友人」と考えてきた日本人

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 事務所の近くには飛鳥山公園があります。JR王子駅の西側にある丘が公園で、これからは桜の花見で賑わうところです。今日は3・11大震災後はじめて群馬県の自宅(山小屋)に行き、震災被害の有無を見てきました。まだ残雪がありましたが、標高1300㍍付近の森でも春に向かっていました。その帰りに飛鳥山公園の桜を見ながら帰宅しようと公園に入ったところ、園内は花見をしている皆さんで賑わっていました。あまりの賑わいでのんびりできないので、公園の外れにある庭園を散策しましたらサンシュユとマンサクの花(写真中)がひっそりと咲いていました。

1  サンシュユは春を告げる花木の代表的な樹木だそうです。約300年前に薬用として待ちこまれたそうです。葉に先駆けて黄色い花をつけます。薬用は秋に付ける赤い果実から種を取った果肉を乾燥させて煎じて耳鳴り、目まい、頻尿、疲労回復、腰痛等に用いると言います。果実酒も作れるそうです。

 ところで大震災被災地の報道を見ると、鉄筋コンクリート建築が巨大津波で倒壊流失した地域に松や桜そして梅などが流されずに生きていました。海岸近くの松は折れていましたが、折れた幹の下はしっかり残っていました。その梅や桜の花が咲いた様子も報道されました。樹木の根の力強さにびっくりしています。東大名誉教授の神野直彦さんは「自然を敵だと見なし、自然の支配者として君臨したいという野望の結果は、原発事故に象徴されている。自然を友人と見なして、ただ手をこまぬいていれば明るい未来がやってくるという受動的希望でなく、意思と責任との一体感のある能動的希望を携えれば、被災地に人間と自然との生命が躍動する理想郷を必ずや築くことができる」(3・28日付け『日本農業新聞』)と述べています。

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