辛かった20年前の思い出が、誇りと自信に変わった。
5月16日(金)は、東日本旅客鉄道労働組合(JR東労組)トップリーダーたちが足尾の森を散策しました。天気は晴れ、気温は19℃で絶好の散策日和になりました。 先ずは皆さんを案内するスタッフの打合せを行い、皆さんを迎える準備を済ませました。森の案内者は、橋倉、加賀、そして大野さんです。案内に当たっては、案内人の体験した気持ちを述べていくことの大切さを高橋アドバイザーから受けました。私は、「どこかの文章を抜き出したり、他人が言ったことをそのまま引用するのではなく、自分の言葉で案内する」ことの大切さを再認識しました。
時間がありましたので「みちくさ」のベンチ周りに高橋さんから頂いたパラソルを立ててみましたが、傘がちょっと低くなり、パラソルを使っていくには調整が必要のようでした
「うんしゅう亭」では以前このブログで紹介された「森ともの鈴」(愛称名)の設置の準備も進められていました。この地で「母なる森」の手入れをしている私たちやこの地を訪れる方々の心に遺る音色を出してほしいと私は願っています。
11時過ぎ、JR東労組のトップリーダーたちが到着しましたので、歓迎の挨拶をした後、昼食。その後は、記念植樹をしました。記念樹はクリの木で、リーダーたち一人ひとりが穴に土を入れている顔を見ていると、皆さんは何百年も生きてほしいと願っている様に感じました。橋倉スタッフは、何故クリの木を植えてもらう私たちの気持ちを話し、人と樹木とのつながりがあって私たちが生存していることを感じてもらいました。
記念樹植樹の後は、「臼沢の森」と「民集の杜・北」の散策を行いました。「臼沢の森」では、20年前に荒廃地の草原の土壌づくり、その後の動物たちとの人との知恵比べ等をしてきた育樹活動の苦労話しを報告しました。その苦労があって多くの生きもの達が生存んしている森に育ち、今では森は大切な友だちであることを体感できる森になっていることも報告しました。
この森の中にある「M&mベンチ」では、森づくり運動の提唱者である初代JR東労組委員長・松崎さんと森づくりのスペシャリストであった宮脇さんが「山と心に木を植える」運動を決意した地である場所に作られたベンチであることを報告しました。また、散策しているこの森では、トップリーダーたちの先輩たちが体験した時に発した「二度と足尾には行きたくない。行かない」という労苦の声が積み重なっている働く者たちの初挑戦の情熱が森に結実していることでもあることを報告しました。
「民集の杜・北」に移動した皆さんには、この杜は世界から日本の団体、そして日本の学生から幼児までが育てた森であり、森びとと人の協働がつくりだした森であることを報告しました。この杜の東側を見ると「過去(銅精錬の滓堆積場)・現在(栄養が少ない荒廃地で生き抜くパイオニアのヤシャブシの木)・未来(荒廃地を人が手入れをすると「いのちの森」が育つ杜)がイメージできる地があることを紹介し、多くの皆さんに紹介していきたいことを伝えました。
15時からは20年前から森づくりをすすめてきた高橋さんから森は人が育てる話がありました。話では、異常気象が生存を脅かし、少子高齢化社会等の課題が山積みされている混迷の現社会のなかで将来世代が生き抜く思考力を豊かにしてほしいと述べられていました。
その後意見交換を行い、皆さんは帰路につきました。労組のトップリーダーの皆さん、森の散策をしていただきありがとうございました。森と生きる働く者の生存のために”森の友だちと大きなスクラムをつくってください!。
昨日のスタッフは、高橋さん、山本さん、橋倉さん、林子さん、田城さん、大野さん、大山さん、清水さん、筆者・加賀でした。
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