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2010年5月の16件の記事

2010年5月28日 (金)

気象警報(対処療法)でなく異常気象を予知する能力では?

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 雨上がりの新緑は眩しいばかりです。太陽の陽が若葉に射すとどうしてか気持ちが爽やかになります。人間ばかりでなくエゾハルゼミも鳴き始め、ヤシャブシの梢ではセキレイ、キビタキ、ホウジロたちが気持ちよくさえずっています。昨日は気持ちが良いので朝から作業に入り、新しい松木の杜の測量をしました。今年で松木の杜づくりが終わりましたので、26日、土地所有者の古河機械金属㈱足尾事業所との打ち合わせ行い次の植樹場所を再確認しました。3000㎡を超すその場所の測定を行い、松木の杜(東地区)づくり構想を練ってきました。

Dsc00489  午後からは青空が見えてきましたが松木沢上流からの強い風が吹き荒れていました。松木の杜ではこの風にも負けずに昨年植えたクワノキ、カツラの葉が風に揺られて輝いていました。臼沢の小さな森の中では蜂が巣作りをしていました。葉の少ない枝に巣を作っている様子を見て、蜂はこの巣が木の葉で覆われることを計算に入れて巣を作っているのだろう、と思いました。

ところで一昨から昨日のニュースでは、気象警報が市町村ごとに発せられると言っていました。竜巻や集中豪雨のように局地的な異常気象が多くなったからと報道されていました。ありがたい事です。しかし、局地的な異常気象が発生する原因に関しては報道されていませんでした。蜂が巣を作っている時に感じたように、大切なことは私たちも予知能力を磨き異常気象が発生する原因への対策を世界的に行うことではないのかと思いました。(写真:田岡スタッフ)

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2010年5月26日 (水)

木(森)は人の努力に報いてくれる

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 今日は一日中雨でした。現在もシトシトと降っています。昨日発見したビニールポットごと植樹してあったツバキが心配なので松木の杜の防風林として植えたユキツバキとヤブツバキを再チェックしました。昨年防風林として植えたユキツバキとヤブツバキは全て鹿に食べられてしまいましたので、今年植えたものはそのような害に遭わないように願ってチェックしました。

 結果、ビニールポットごと植えられた苗木は見つかりませんでした。ホットした気持ちでりっぱな防風林になってほしいとツバキを密集させました。その後、昨年鹿に食べられたユキツバキとヤブツバキの生長を調査しました。思った通りツバキはしっかり根を張り、若葉を出していました。昨年、葉を全て食べられてしまいましたが植物はそう簡単に死なないと思っていましたので、寒風と冷たい雪に耐えて鮮やかな黄緑色した若葉を見せたツバキに感謝しました。

P5260285  午後は、松木沢添いを散策しました。1時間程上流に向かって雨の中を歩き、亜硫酸ガスによってはげ山と化した山々を見てきました。はげ山にはリョウブ、ヤシャブシ、ウダイカンバ、イヌエンジュ、アキグミが岩に張りついて生きていました。その岩谷から流れる雨水が滝となっていましたが、それを見ていると60年以上かけて森の回復を願って緑化事業を担ってきた足尾町の皆さんの気の遠くなる苦労に頭が下がります。自然は壊すものでなく、永久に活かさなくてはならない財産なんだということを実感しました。5年経った臼沢の小さないのち森を見ていると、そんな思いをもった皆さんの笑顔が浮かんでくるようでした。

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2010年5月25日 (火)

中国の森づくりでも手を抜かないで?

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  「どくだみ荘」の現在は雷と豪雨です。マンションにお住まいの方は豪雨がトタンの屋根に当たる音は創造がつかないでしょう。雨の音は傘を差さずに雨が身体に当たるように痛いくらいの感じを人に与えます。今日の午前中は松木の杜に植えられたユキツバキ、ヤブツバキをチェックしました。そうしたらビックリしたことを発見しました。ビニールポットに植えられた苗ごと大地に植えられていました。それも4個です。私たちは唖然としました。当時、松木の植樹担当責任者の田岡さんもその現実に直面してがっくりしていました。

 そんなわけで今日は松木の杜に植えられ苗木をチェックしました。午後は、臼沢の森の植生調査をしました。5年間の森づくり報告書作製に向けたデータづくりをしました。また、今日はエゾハルゼミの初鳴きを聴くことができました。雨上がりの朝に輝く新緑の鳴くハルゼミの声は地球に生きている安心感を持つことができました。

足尾の森づくりには中国から来日し、早稲田大学に留学している若者が参加してくれました。玉さんの感想を紹介します。「中国から参りました王超と申します。今は交換留学生として早稲田大学で勉強しております。今日は、「アジ風」という留学サーポトの組織のおかげで、足尾銅山の植林活動に参加できてありがとうございました。ご存知のように。中国で環境問題はますます深刻化しています。毎年、中国の西部に行って、植林する外国人は多いです。もちろん、その中、日本人の方も少なからずいます。それらの方々は国籍に拘らず、地球の未来を守るという立場からずいぶん頑張っていて非常にありがたいと思っています。今日、皆さんは足尾銅山に来て木を植えて地球の住民としての役目を果たしていることを行っていてすばらしいと思います。私はこれからもこのような活動に積極的に参加いていこうと思います」。

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2010年5月24日 (月)

森づくりの仕事をやってみたい」!

 15日の足尾ふるさとの森づくりには鹿沼市にある「希望の家」の皆さんがはじめて参加してくれました。森づくりを終えた責任者の会田さんは「本日は施設で生活している300名程の一割が参加しました。鹿沼市の緑豊かな環境と違うこの地で皆さんと一緒に植林ができ、自然と皆さんから学ぶことができました。こういう機会を与えて頂きありがとうございました」(要旨)と感想を述べてくれました。その後、寮生活をしている野澤正治さんから感想文が届きましたので紹介します。

 Cimg0209 題:[足尾ふるさとの森づくり]・「 希望の家のりようしゃ14名とあいださんとそのほかのしょくいんの人たちと森づくりに参加しました。でもなんでこんなにも森がないところがあったなんてびっくりしました。ぼくはもっとこういうかつどうしたくなりました。足尾の森づくりの仕事やりたくなりました。今日は本当にびっくりしました。人間がこわしたんだからにんげんがさいせいをしないだめだとおもいされました。あいださんぼくは今日いってよかったです。本当によかったです」(原文)。希望の家の皆さん、一緒に植林をして頂いてありがとうございました。

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2010年5月23日 (日)

森は文化を育む?

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 今日は吹上御苑の森を散策しました。以前、NHKテレビで報道されたこの森を観て、一度は散策してみたいと思っていた森でした。御苑の森内を散策するのは難しいというので今日は、その周辺を散策することができました。小雨降る中ですが一行は桔梗門に9時30分集合、青木淳一先生と庭園課の方の案内で本物の森を2時半散策しました。

何百種の樹木が森を形成していましたが特に目立ったのは、樹齢何百年、樹高20㍍以上、幹の周囲が5~6㍍もある巨木(クスノキ、タブノ、キケヤキ)がしっかり根を張って生きている様子でした。本物の森を見たような気がしました。木の偉大な力はこのような大木から発せられていると思ったほどです。日本の森(広葉樹)が衰退し、立ち枯れしているのは、ひと昔のように人が森を管理していないから虫が木に入るのだ、という説は吹っ飛びました。

宮脇昭先生曰く、生物社会の掟(競争と我慢)がしっかりしていきとどき、主役がわき役に支えられて何百年間も吹上御苑の森を守っているようです。

Photo_2 しかし、庭園課の方の話によるとエノキに胴ぶきが出て梢枯れがある、アカガシが弱っていると言っていました。原因は不明ですが、寿命ではなく何らかの原因があるのではないかと原因究明中ということでした。御苑内には田んぼや畑がありましたが、すべての農作業は昔ながらの腐葉土つくり、土つくりそして無農薬栽培でした。田植えは間もなく行われるそうで、その苗は露地植えで育てられていました。無肥料・無農薬のために苗は他の草と一緒に生えていました。

 Photo_3 青木先生は吹上御苑の森で土壌分解動物・ダニの新種を発見しました。その内の2種(マサヒトセンロダニ、ミカドカザリヒワダニ・新種)は他の地域の森では発見できていないと言っていました。散策しながら思ったことは皇室の方々は森を大切にしているこということでした。森には神様が存在しているように見えました。宗教的ではなく、森は私たちが生きていくうえで様々な恵みを与え、森に感謝しないと罰が当たって怖い、恐ろしいという考えがあるのか、とも思ったほどです。

日本の文化はやはり森から創り出されているということを確信した散策でした。庭園課の皆さん、青木先生ありがとうございました。

2010年5月22日 (土)

日本の森を元気にする議連が活動開始!

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 「北東北への桜前線は一気に到来しあっという間に過ぎ去り、新緑がまばゆい季節となっているようです。八幡平市の苗床ではようやくトチの木が芽を出し初め芽ました。今年の春はシベリア方面から寒気が日本を襲い、春の訪れが10日ほど遅れましたが八幡平のトチノキは元気に芽を出しはじめました。」(みちのく事務所・仲崎発、オオヤマザクラは13日に撮影)

 P5200204_2 誰もが「おかしい!」と感じている季節の移り変わりですが、世界各国はこの地球の気候変化に国際連帯で立ち向かう状況になっていないようです。こんな中で20日、「日本の森を元気にする議員連盟」が設立されました。設立趣意書は、「日本の森林が国土に占める割合は66.8%と、森林の国として知られるフィンランド(65.8%)やブラジル(65.2%)をも上回っています。地球温暖化対策が全地球的な課題となっている中、COを固定化する森林の役割は大きくなる一方です。しかし、日本の森林はいま衰退の危機に直面し、全国27府県で樹木の立ち枯れが報告され、土壌の酸性化が進んでいます。これまで政府が行ってきた農薬散布という対策の限界も指摘されています。日本の森を元気にする議員連盟は、森林の現状についての認識を深めるとともに、森林を救い元気にするための施策について研究・提案を行うものです。」となっています。

 Dscn1092 この議連に入会された国会議員の皆さんは46名(衆議院30名、参議院16名・21日現在)でした。役員体制は、顧問:山岡賢次、西岡武夫、前田武志、会長:今野 東、副会長:鉢呂吉雄、黄川田徹、田名部匡代、山根隆治、幹事長:黒岩宇洋、事務局長:松浦大悟、事務局次長:相原久美子

(敬称略)幹事:全会員となりました。議員連盟は環境NPO・NGO等との協力のもとに、その課題を共有化し、対策を検討し、課題の解決を目的とする、としています。設立直後には第1回学習会が開かれました。

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2010年5月20日 (木)

僕たちが描いた山の色は茶色と灰色が当たり前

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 今日は「日本の森を元気にする議員連盟」の結成総会が夕方開かれます。参議院議員・今野東さんが呼びかけて結成されます。総会には岸井成格理事長が出席し、森を元気にするために炭を撒き木を植えようと訴えます。「日本の森を救う緊急提言」の実現に向けて、国会議員の皆さんのご支援が期待できそうです。緊急提言に賛同してくれました多くの皆さんに感謝申し上げます。

 0001_24 ところで「森びと集い」では山田さんと荒井さん(足尾で育った方同級生)が人間の愚かさの一部を述べてくれました。荒井さん(日光市足尾総合支所)は、「私の小さい頃に描いた山の絵は茶色と灰色の山でした。足尾の子どもたちの描く絵はそれが当たり前でした。その後、昭和20年後半から治山・緑化事業が始まりましたがそれは大変な作業でした。その後も皆さん方が一本一本木を植えて足尾の緑を戻してくださって、人間の背丈を超えるようになりました。感謝申し上げます。素晴らしい森になることを確信しています。足尾町民を代表してお礼申し上げます」(要旨)、と話してくれました。(写真提供・植佐食堂様)

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2010年5月18日 (火)

50年前は草木が一本も生えていなかった

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 森づくの交流会は「森びと集い」です。参加者の皆さんが800名を超えましたので植樹は早く終わりましたが、昼食は全員が揃ってからということで遅くなり早く植樹が終わった方には我慢していただきありがとうございました。

 「森びと集い」では宮脇昭最高顧問の感謝のことばを頂戴した後、参加者からの一言メッセージでした。最初にメッセージを発してくれたのは地元の山田組の社長・山田さんでした。山田組には索道設置や道具関係では大変お世話になっています。Photo_5 山田さんは「足尾に生まれ育って3代目です。子供の頃、見える山には草木一本生えていませんでした。昭和30年以降画期的な製錬方法によって煙害が弱まった頃から治山事業がはじまりました。笑われますが子供の頃の私は木や草の名前は分かりませんでした。現物がみたことなかったのでした。梅と桜の区別がつきませんでした。今では少しづつ緑が増えています。今後も宮脇顧問のご指導のもとに皆さんのご協力をいただきながら少しでも素晴らしい自然環境ができますように、来年以降も一緒に木を植えていきましょう」(要旨)と述べてくれました。

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2010年5月17日 (月)

間違いから学ぶ賢さと実践が地球を救う

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 第17回足尾・ふるさとの森づくりに参加した石島さんから感想文が届きましたので紹介します。

 私が生まれ育った桐生市は、渡良瀬川が市を北西から南東にかけて横断し、殆どの市民に供給されている水は、渡良瀬川からの流れに頼っています。

 そのせいか、小学校のころから足尾鉱毒の話しは耳にして育ってきていました。父が川釣りをしていたこともあり、子供のころの記憶に「渡良瀬川の鮎が食べられるようになった。」と大人が話していたのを、「やっと渡良瀬川もきれいになったのかな?」という疑問を持った記憶があります。

 大人になってからは、車で足尾を通って日光へ行くときなどに足尾の町にある黒いトタンの屋根の家々と、見るも無残な「はげ山」が見え、足尾に対して日本初の公害の地という「暗い」イメージを持っていました。桐生市からは、車ではわずか1時間あまりで行けてしまう足尾。しかもそこから流れ出る水を飲んで、かつ田中正造の偉業を知っているにもかかわらず、この地の出来事がどこか「他人事」でした。

 私が森に目を向けるきっかけは、桐生市が大陸との地続きだった名残りの「モンゴリナラ」が生育していて、それが近年酸性雨で弱っているのを炭で救う「炭まき」でした。私自身は10年くらい自らのグループや県の環境アドバイザーとして地球温暖化防止の活動を行い、その中で知り合いました「日本熊森協会」の方に、桐生での炭まきをお聞きし、参加してみたのが森びとプロジェクトを知ることになったのです。

 正直、この「炭まき」に参加したときに、中味がないか痩せたどんぐりや木々の胴吹きの枝など、人間では肺に当たる森が悲鳴をあげている現実を知りショックを受け、10年間自分が続けてきた地球温暖化防止の環境活動の方向性を見直さねばならないと思い始めての「第17回足尾・ふるさとの森づくり」の参加でした。

 足尾ダムから車で松木に向かっていく道中に目に入ってきた、木々のない無残な山々。それは、渡良瀬渓谷鉄道や自家用車で通っただけでは目に出来ないもっと悲惨なものでした。何かこみ上げるものがあり、運転しながらデジカメのシャッターを切っていました。

 松木に着いたのは、8時半。スタッフのミーティングが行われていました。受付を済ませ、ミーティングが行われているテント群に行って見ると、ホームページでしか見たことのない宮脇先生が座っていて思わず話しかけてしまいました。そのときに先生がおっしゃった「環境を守ることは、『命』を守ることです。」というお言葉は、私が迷っていた今後の環境活動の方向性を明確に示して下さいました。

 今回、植林前に手に怪我をしたため緩斜面での植林を希望しましたが、急斜面に植えられて5年目の木々を見に行く途中に高橋理事にお会いし、上まで登って行く事にしました。

 植林5年目の木々は、急斜面にもかかわらず間引きが必要かと思われるほど、植えられたほとんどの木々がしっかり根付いていて、足元にはもち草などの草類も元気に育ち、昆虫もいました。それは、やはり黒土、腐葉土、炭を混ぜ、しっかりと根が張れるように植林をしてきた結果だと実際に植えるのをお手伝いしてみて分かりました。

 Photo_2 5年間に植えられた木々は、その年毎に成長していました。途中動物の糞もあり、登ること15分~20分。ようやく今回の植林の場所ですが、そこにはすでに、黒土、腐葉土などが用意されていて、スタッフの方々の準備の大変さを伺い知ることができました。「ここまでして皆さんに『植林』を体験していただく思い。」それには、感謝と熱いものがあります。

 現場で植林を体験しなければ分からない森を作る実感と大変さ。また、自分が森作りに携わった「地球を守る」という意識。時間と共に奥深さが分かる体験だと思いました。

正直炭まきのときに、どのようにしたら本当に膨大な酸性雨で弱っている地球の木々を人海戦術の炭まきで救えるのか、考えると目眩がしそうでしたが、この植林に参加して、一生懸命に植林をしている方々や、準備指導をしてくれているスタッフに触れ、最初は砂漠にコップで水を撒くようなものであっても、それを体験した人たちが年々増加し、また伝えていく。ドミノ倒しのように森を守る人、地球を守る人が増えていくイメージを持つことが出来ました。

 この植林から帰ってから、足尾の松木のあたりから近所にお嫁に来た人に今回の植林の話しをすると、その方が子供のときは、松木の木々のないごつごつした山々が外国の景色のようで好きだった、と微笑みながら話してくれました。

 これにも、自分が「足尾」イコール「公害の地。暗い。」と固定観念を持っていたこと、そこに生まれ育った人には、やはり外から見てどんなところであってもその人には「故郷」であり、どんな様相をしていても自分が育った素敵な場所で、夢と共に生きていることに気づかされました。

 そう分かると、足尾の地は「人間の歴史」の一部で人間の間違いを知る必要な出来事だったかもしれないと思うようになりました。私も人から自分の間違いを指摘されやっとまっとうな道が分かるような愚かな人間です。これから人に環境破壊を伝えるときに、その愚かさでなく、「間違いから学ぶ」賢さを伝えられるようになれればと実感しました。

 このようにこの植林に関わった出来事で、真摯に前向きに明るく生き、現状を正直に伝えていけば、この地球環境の危機もきっと乗り越えられると、希望を新に持てる体験をさせていただきました。これを生かしてこれからの環境活動を行っていきたいと思います。

 森びとプロジェクトの方々、スタッフとして準備された方々、一緒に参加された方々、ありがとうございました。また、お会いしたいです。(群馬県桐生市 石島悦子)

(写真は怪我のないように急斜面の臼沢の森づくりで10時から13時まで落石の監視をしてくれましたサポーターです。また、鹿の食害から松木の杜を守るネット張りをしているインストラクターです。)

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2010年5月16日 (日)

5年間の「歓・汗・感」を分かち合う!

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 昨日は五月晴れの中、山と心に木を植えました。第17回足尾・ふるさとの森づくりには総数830名もの皆さんが参集してくれました。臼沢の森には約350名が登り1023本の木を植え、松木の杜では約450名の皆さんが1600本の木を植えました。

 Photo_2 標高約970㍍地点の臼沢の森では1人3~4本の苗木を運び、植樹場所に待機していた森びとインストラクターからアドバイスを受けながらブナやミズナラ等の幼木を大地に植えました。松木の杜では5周年記念として国蝶・オオムラサキが舞う杜をつくろうとエノキを植えました。その後、参加者の皆さんは事前に掘ってある穴に枯れ草や石、黒土、腐葉土そして炭を混ぜ合わせた中に幼木を植えました。

Photo_3 10時30分頃から始まった植樹は昼過ぎには終わり、弁当を食べた後には5周年記念イベントが始まりました。森びと那須ファンクラブの皆さんが準備した餅つき、群馬県ファンクラブのコンニャク作り、栃木県ファンクラブの椎茸作り、埼玉県ファンクラブの丸太切り体験等が実施されました。参加者皆さんの注文にすべて応えられずに申し訳ありませんでした。13時30分頃からは「森びと集い」が始まり、宮脇昭最高顧問の感謝のことば、参加者の一言メッセージ、森づくり報告が行われました。集いでは真剣な顔、笑い顔や笑顔と拍手が湧くなど森びとならでは5周年を共有できたのではないでしょうか。

Photo_4 参加者皆さんが帰路についたころから事務局関係者・森びとインストラクター・サポーターは後片付けをし、事故や怪我もなく笑顔で帰っていただいた準備・運営ができたことを喜び合いました。急こう配の臼沢の植樹希望から緩斜面の松木の植樹へ変更してくださった皆さんには感謝します。臼沢の森の植樹場所は年々狭くなり勾配も急になっていますので、安全第一を貫こうと人数制限させていただきました。

 3月から準備作業を手伝ってくれました事務局スタッフ、JREU組合員の皆さん、足尾町の皆さん、また支援してくれました県、市、企業、労組そして多くの個人の皆さんありがとうございました。

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森びと検索

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