間違いから学ぶ賢さと実践が地球を救う
第17回足尾・ふるさとの森づくりに参加した石島さんから感想文が届きましたので紹介します。
私が生まれ育った桐生市は、渡良瀬川が市を北西から南東にかけて横断し、殆どの市民に供給されている水は、渡良瀬川からの流れに頼っています。
そのせいか、小学校のころから足尾鉱毒の話しは耳にして育ってきていました。父が川釣りをしていたこともあり、子供のころの記憶に「渡良瀬川の鮎が食べられるようになった。」と大人が話していたのを、「やっと渡良瀬川もきれいになったのかな?」という疑問を持った記憶があります。
大人になってからは、車で足尾を通って日光へ行くときなどに足尾の町にある黒いトタンの屋根の家々と、見るも無残な「はげ山」が見え、足尾に対して日本初の公害の地という「暗い」イメージを持っていました。桐生市からは、車ではわずか1時間あまりで行けてしまう足尾。しかもそこから流れ出る水を飲んで、かつ田中正造の偉業を知っているにもかかわらず、この地の出来事がどこか「他人事」でした。
私が森に目を向けるきっかけは、桐生市が大陸との地続きだった名残りの「モンゴリナラ」が生育していて、それが近年酸性雨で弱っているのを炭で救う「炭まき」でした。私自身は10年くらい自らのグループや県の環境アドバイザーとして地球温暖化防止の活動を行い、その中で知り合いました「日本熊森協会」の方に、桐生での炭まきをお聞きし、参加してみたのが森びとプロジェクトを知ることになったのです。
正直、この「炭まき」に参加したときに、中味がないか痩せたどんぐりや木々の胴吹きの枝など、人間では肺に当たる森が悲鳴をあげている現実を知りショックを受け、10年間自分が続けてきた地球温暖化防止の環境活動の方向性を見直さねばならないと思い始めての「第17回足尾・ふるさとの森づくり」の参加でした。
足尾ダムから車で松木に向かっていく道中に目に入ってきた、木々のない無残な山々。それは、渡良瀬渓谷鉄道や自家用車で通っただけでは目に出来ないもっと悲惨なものでした。何かこみ上げるものがあり、運転しながらデジカメのシャッターを切っていました。
松木に着いたのは、8時半。スタッフのミーティングが行われていました。受付を済ませ、ミーティングが行われているテント群に行って見ると、ホームページでしか見たことのない宮脇先生が座っていて思わず話しかけてしまいました。そのときに先生がおっしゃった「環境を守ることは、『命』を守ることです。」というお言葉は、私が迷っていた今後の環境活動の方向性を明確に示して下さいました。
今回、植林前に手に怪我をしたため緩斜面での植林を希望しましたが、急斜面に植えられて5年目の木々を見に行く途中に高橋理事にお会いし、上まで登って行く事にしました。
植林5年目の木々は、急斜面にもかかわらず間引きが必要かと思われるほど、植えられたほとんどの木々がしっかり根付いていて、足元にはもち草などの草類も元気に育ち、昆虫もいました。それは、やはり黒土、腐葉土、炭を混ぜ、しっかりと根が張れるように植林をしてきた結果だと実際に植えるのをお手伝いしてみて分かりました。
5年間に植えられた木々は、その年毎に成長していました。途中動物の糞もあり、登ること15分~20分。ようやく今回の植林の場所ですが、そこにはすでに、黒土、腐葉土などが用意されていて、スタッフの方々の準備の大変さを伺い知ることができました。「ここまでして皆さんに『植林』を体験していただく思い。」それには、感謝と熱いものがあります。
現場で植林を体験しなければ分からない森を作る実感と大変さ。また、自分が森作りに携わった「地球を守る」という意識。時間と共に奥深さが分かる体験だと思いました。
正直炭まきのときに、どのようにしたら本当に膨大な酸性雨で弱っている地球の木々を人海戦術の炭まきで救えるのか、考えると目眩がしそうでしたが、この植林に参加して、一生懸命に植林をしている方々や、準備指導をしてくれているスタッフに触れ、最初は砂漠にコップで水を撒くようなものであっても、それを体験した人たちが年々増加し、また伝えていく。ドミノ倒しのように森を守る人、地球を守る人が増えていくイメージを持つことが出来ました。
この植林から帰ってから、足尾の松木のあたりから近所にお嫁に来た人に今回の植林の話しをすると、その方が子供のときは、松木の木々のないごつごつした山々が外国の景色のようで好きだった、と微笑みながら話してくれました。
これにも、自分が「足尾」イコール「公害の地。暗い。」と固定観念を持っていたこと、そこに生まれ育った人には、やはり外から見てどんなところであってもその人には「故郷」であり、どんな様相をしていても自分が育った素敵な場所で、夢と共に生きていることに気づかされました。
そう分かると、足尾の地は「人間の歴史」の一部で人間の間違いを知る必要な出来事だったかもしれないと思うようになりました。私も人から自分の間違いを指摘されやっとまっとうな道が分かるような愚かな人間です。これから人に環境破壊を伝えるときに、その愚かさでなく、「間違いから学ぶ」賢さを伝えられるようになれればと実感しました。
このようにこの植林に関わった出来事で、真摯に前向きに明るく生き、現状を正直に伝えていけば、この地球環境の危機もきっと乗り越えられると、希望を新に持てる体験をさせていただきました。これを生かしてこれからの環境活動を行っていきたいと思います。
森びとプロジェクトの方々、スタッフとして準備された方々、一緒に参加された方々、ありがとうございました。また、お会いしたいです。(群馬県桐生市 石島悦子)
(写真は怪我のないように急斜面の臼沢の森づくりで10時から13時まで落石の監視をしてくれましたサポーターです。また、鹿の食害から松木の杜を守るネット張りをしているインストラクターです。)
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