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2009年2月の11件の記事

2009年2月27日 (金)

自然(森)から学ぶことはいっぱいある

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 事務所がある東京都北区田端では雪が降っています。2月下旬になってからの天気は、日本各地で雨や雪が連日のように降っています。沖縄では気温25度以上の日が3日以上あったという報道がされ、これは気象観測初めてであると言っていました。
 この時季、都内の公園内を散策するとタンポポ、ギシギシ等のロゼットが観察できます。ロゼットは地べたに這いつくばって寒い冬を越していますが、このような姿は草花が気象の変化に敏感に反応した生存戦術なのだろうか、と思ってしまいます。しかし、その戦術は人間の傲慢な自然破壊には植物の想定外ではないのか、と心配になってしまいます。ところが草木の世界は支え合い・分かち合いがあるから心配ないかもしれません。
 草木の種や花粉は鳥や風が運び、支え合いながら草木を助け合っています。昨夜、「ヤノマミ(人間という意味)」というTV番組を観ました。番組は、アマゾン奥地に生きる原住民の生活を150日間追った内容でした。人間の原初の生活を映し出していたのは、森との共存でした。木を切り倒して蜂の巣を採る、蜂蜜を食べ終わった原住民は女王バチを巣に帰していました。女王蜂は絶対に殺さない、ということが後生に伝えられていました。生物との共存、人間は森に寄生しないと生きていけないということがきちんと後世に伝えられているヤノマミ達でした。
 現代人が失いかけている、“支え合う・分かち合う”ということの大切さを感じました。事務局は、来月招集される第4回通常総会ではこのような心を共有できればと思いつつ、総会資料作りをしています。

2009年2月24日 (火)

農業も生物多様性だ!問われている食と農

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 1月27日から始めた米の実験から約一ヶ月経ちます。本日の朝、私が食べている米をコップに入れ、同量の水で浸していた米の色を観て、臭いを嗅ぎました。色は写真のとおりですが、臭いは酒粕の臭いがしました。当初は、黒いカビが被って、耐えられない異臭が出るのかと思っていましたが、木村秋則さんが話していたように、ハンカチや手ぬぐいを用意しなくともよかったです。この状況を木村さんに報告し、コメントを頂戴したいと思っています。この米は実家の弟が生産してる米ですので、弟にも話を聞いてみようと思います。
 ところで昨夜は、19時からある環境ゼミで講義を受けました。講義は、「生物多様性と新しい農業政策の方向」というテーマで、山田優(日本農業新聞編集委員)さんが講演してくれました。
 私の感想は、食も極めて政治の問題であって、農家の皆さんも「減反・補助金漬け」から脱する決意が求められているし、消費者も単なる「有機栽培・安全」だけを求めるのでなく、生産者も消費者も植物から生かされていることを改めて認識し、これをベースにした政策を政治に求めていくことが大切である、ということでした。政治を動かすには、意思した民衆の力を大きくしていかなくてはいけない、と感じました。(下の写真は、1ヶ月前の米です)
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2009年2月21日 (土)

森の効用は生態学的に学び、森びとの心を広めよう

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 今日の足尾は青空でしたが西風が強い日でした。気温は-2度でしたが、臼沢植樹会場は強風のために-10度を感じました。こんな中で、今日は第4期「森びと教室」の補習授業を行いました。受講者は朝6時に大阪を出発した金さんです。
 補習授業は昨年12月に終了していましたが、自己都合で補習授業を受けられなかった金さんの理事会への受講直訴に応えて開かれました。そんな金さんの受講を歓迎したのは青空と雪景色そして足尾の強風でした。昨年12月の補習授業も雪の歓迎を受けましたが、今回も雪でした。暖冬によって雪が少ない冬季にあって、雪が補習授業者を歓迎している意味は、足尾の木々たちが本物の森びとをめざして欲しいというメッセージかもしれません。瞬間的に吹き荒れる猛吹雪を見ながら、こんな会話をしつつ授業は始まりました。
 前半は、命の森づくりの基本姿勢(多層群落の森とは)を改めて学習し、森びとはその姿勢を貫き通す努力をしていこう、と意思を固めました。後半は雪と強風に耐えて生きている植樹会場に立って、食害の現状と植物の生き様という自然の厳しさを身体にすり込みました。授業最後には、高橋理事から「森びとインストラクターの認定証」が金さんに授与されました。金敬順さんおめでとうございました。
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2009年2月18日 (水)

現場のボス達が植樹準備作業をチェック

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 5月30日に予定している第9回足尾ふるさとの森づくりの準備体制が進んでいます。16日は埼玉県さいたま市で、事務局スタッフの拡大会議を開きました。会議の目的は、来月から本格的にはじまる植樹と育樹・育苗に向けた準備作業の内容と責任体制等の意思統一でした。会議では、白井スタッフが自ら経験した緊急救命の重要性と落石防止の安全対策が訴えられ、事務局は万全を期すことにしました。早速、事務局は足尾消防署に相談をし、4月に「普通救命講習」を実施していただくことにしました。
 昨日(17日)は、植樹会場に使用する予定の土を調査しました。土は砂防ダム建設で出る土砂ですが、この土はクヌギやコナラが生えてところのものです。地元造林土木会社の方の案内で現地を見させていただきました。ありがとうございました。
 14日は、臼沢の森と絆の森をチェックしました。臼沢の森では落石があり、その影響でスチール製の階段が壊れました。原因は地震ではないかとおもい、鹿沼在住の森戸インストラクターに聞いてみると、今月に入って2回ほど地震があったと言っていました。
 早すぎる早春を感じる足尾では、木々や虫たちとともに“山と心に木を植える”活動がはじまっています。
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2009年2月15日 (日)

目に見えない森の効用に着目

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 本日は千葉県の和田浦町にあるスダジイとマテバシイの森を散策しました。昨日は、、千葉県長生郡にある笠森寺の鎮守の森を散策しました。散策の目的のひとつは、千葉県在住インストラクターの活動の方向を見いだすことでした。集まってくれたのは千葉県の森びとインストラクター6名とその仲間たちの16名でした。
 散策は、花嫁街道ハイキングコース途中にあるマテバシイの森は毎年拡大して、この地の種木であるスダジイの森がマテバシイに占拠されてしまう、という危機感をもっている相川インストラクターの呼びかけに応えたものでした。マテバシイは海苔のヒビに使われていましたが、海苔はマテバシイのヒビに替わって網で作るようになってからはマテバシイは伐採されませんでした。それで生長の早いマテバシイは次第にスダジイの森に侵入し、占拠する勢いになっているのが現在の姿でした。
 マテバシイが森を占拠してしまうと低木や草が生えません。こんな状態の森は多層群落という形が崩れ、本物の森では無くなってしまいます。反面、スダジイの森には、幹の周囲が3~4㍍もある巨木が生きていますし、亜高木、低木そして草が茂っています。
 散策を通じて、千葉県のインストラクターはこのマテバシイの森を課題にして、間伐や植樹に関して検討していく方向になっていくようです。私たちはお花畑の花の香りも楽しんで、最後には800年間は生きて続けているクスノキに感謝して帰路につきました。千葉のみなさん、お世話になりました。(写真はマテバシイの森と巨木のスダジイ)

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2009年2月14日 (土)

”助け合い”の心には勇気と覚悟がありました

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 昨日、川俣事件の現場に立ちました。群馬県明和町川俣の現場には、当時の農民たちの運動とそれを支援した川俣村民の心が碑に刻まれていました。
 午前中は谷中村跡地を踏査しました。遊水池反対運動によって少しばかりの村跡が残っていますが、私たちはその地に立って当時の生活と鉱毒反対運動に決起した農民の心を振り返りました。当時の生活を振り返ると、家は高台に建てられ、この高台はケヤキ、クワ、クヌギ、オニグルミ等の木によって守られ、大雨で田圃や畑が雨で水没しても村民はあわてず、むしろ山から運ばれるくる栄養豊富な自然の恵みに感謝していました。その間の交通手段は和船を使って、村人は行き来していたといいます。
 午後は、農民たちが集結した雲竜寺から官憲の弾圧と弾圧に抗して戦った農民を支えた川俣現場に立ちました。明和町川俣に建立されていた碑には、「当時の佐貫村長や村民は、負傷した農民を真如院にて手厚く介護した」と刻まれていました。
 当時の川俣村民は鉱毒に苦しむという状況ではなかったようですが、請願行動に決起した農民が官憲に弾圧されているのを見て見ぬふりをしませんでした。当時ですから、官憲や天長さまに逆らうことは相当な覚悟と勇気が必要でした。しかし、川俣村長と村民は人間の生きる権利を堂々と主張し、権利を行使したことがこの碑には明確に刻まれていました。
 この碑を読み、「真の文明は、山を荒さらず、川を荒さらず、村を破らず、人を殺さざるべし」という田中正造の精神が、現代にも脈々と流れていることを実感しました。

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2009年2月12日 (木)

“助け合い”の心は共に歩むことによって育まれる

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 “夕川に葦は枯れたり血にまどふ民の叫びのなど悲しきや”。この歌は、石川啄木が盛岡中学三年(明治34年)にうたったものです。足尾鉱毒事件で明治政府や当時の古河鉱業と戦っている農民たちの苦しみをうたいました。
 そして啄木は、翌年の35年には当時の岩手日報の号外を売って得た益金を、鉱毒に苦しむ農民たちへ贈りました。これは遙か遠くの渋民に生きる啄木が、友人とともに起こした連帯行動でした。この歌碑は栃木県佐野市内にある惣宗寺境内に建立されています。
 109年前の明日(13日)はこの農民たちが官憲に弾圧された日です。この川俣事件では多くの農民たちが起訴されましたが、田中正造を先頭にした裁判闘争は多くの支援者に支えられて無罪を勝ち取ることができました。
 明日の川俣事件踏査は、100年以上も前の啄木の想い、農民を支援した人たちの心、そして鉱毒被害と戦った農民たちの心に少しでも近づければ、と思っています。(写真は蔵王観音です)

2009年2月 9日 (月)

雲上の森の楽園を目指して、森づくりがスタート

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 みちのくの森づくりがスタートしました。7日午後、みちのく事務所は2009年森びらきを開催しました。会場には、森づくりを一緒に進めているNPO団体、平舘小学校、盛岡農業高校、JR東労組、JR貨物労組、そして森づくりにご協力くだっさている企業の皆さん、八幡平市の方々が参集してくれました。
 オープニングは2008年の森づくり活動がパワーポイントで紹介されました。その後、主催者を代表して角岸所長から今年の抱負が述べられました。所長は「森づくりは連帯をつくり、連帯が森づくりを支えている。生命の危機という時代にある今年は、森づくりを通して“助け合い、分かち合い”の心を育んでいくことに力点をおいて活動を進めていきたい。そのひとつとして、啄木の生命(いのち)の森を発信していくことにします。」、と述べました。
 記念講演は、「啄木と生命の森」と題した石川啄木記念館の学芸員・山本玲子さんの講演でした。
その後は2009年事業計画案を受けて、懇親を深めてきました。みちのく事務所の森づくりは、21世紀の雲上の森の楽園を目指してスタートすることができました。

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2009年2月 6日 (金)

棟梁の技と心は毎日の修行で磨かれる

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 本日、棟梁の加藤吉男さんに会いました。加藤さんは山形県白鷹町生まれ、16歳から父親の下で宮大工の技術と心を学んできた方です。加藤さんは日本各地で社寺の解体、修理復元、新築、改修工事に携わってきました。1970年からは山形市を拠点にして、山形県と宮城県の社寺や文化財の修復・新築の棟梁として現在も修行を積み重ねています。
 加藤さんからは様々な話を聞かせていただきましたが、加藤さんは地震や豪雨で家が流されたり、壊れたりすると、即、現場に立って調査・研究を続けている方です。勿論、木の選定は森に入って土壌、地質、日射条件等の木の生育環境を徹底的に調べています。その上、新築・修復工事着工前にも工事現場の気象条件等を現場に立って徹底的に身体にすり込み、原寸に活かしています。
 棟梁の技と心は常に現場に立って磨かれ、そして絶対に手を抜かない、常にチャレンジ精神をもって修行をしている方、という印象をもちました。はじめてお会いしたのですが、加藤さんは快く話してくれました。加藤吉男さん、事務所の皆さんありがとうございました。

2009年2月 3日 (火)

会社組織を築いているのは株主でなく社員です

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 先週、東京都内の外資系一流ホテルの副総支配人からの指示による電話が事務所にありました。用件は森づくりの話を聞きたい、ということでした。昨日は、その副支配人とお会いしてきました。待ち合わせ時間前に、都内の公園をぶらっと歩いてきましたら、公園内に春の草花を植えていました。東京は春間近を感じさせていました。
 ホテルでの話は、宿泊者が宿泊して排出する二酸化炭素量を、その量を吸収する木を植えていきたい、木を植えるにはどうしたらよいか、ということでした。植樹はホテルの従業員、役員が行いたい、ということでした。
 企業の社会貢献が後退する経済状況の中でのこの話は、とても人間的で、企業の暖かさを感じました。森づくりのコスト面までホテル側から質問されましたが、ホテルは二酸化炭素削減策を社会的にまもなく打ち出したい、と述べていました。副総支配人は小さい時から環境教育がなされている国の出身のため、企業としての地球環境保護活動は責務だ、という強い意思をもっているようでした。どんな組織でもトップの意思と実行力が現場を支え、現場(会社)の力になっているのだなあー、と感じました。

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