カテゴリ「森の声」の168件の記事

2009年5月26日 (火)

松木の杜にニラを植えました

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 アジアの孤児になる事態が発生しました。北朝鮮が2回目の核実験を行った、と報道されました。どんな理由を言っても許されるものではありません。世界の心が北朝鮮から離れるばかりです。本日は、軽トラックのラジオからそんな報道を耳にしながら黒土を運びました。
 一昨日は、臼沢の森づくり会場の環境を整え、山と心に木を植える参加者の皆さんを待つばかりにしました。松木の杜では、小さな畑にニラを植えました。このニラは先週、事務局スタッフの松村さんが持ってきてくれました。「鹿はニラを食べないから」と、言っていたので一晩外に置いてみました。今日、ニラを見てみると、言われたようにニラは鹿に食べられていませんでした。そんなわけでニラを松木の杜内の畑に植え替えしました。
 10数年前に北朝鮮を訪れた時、農民が大切そうにニラを握りしめていた場面に遭いました。豪雨による川の氾濫、農作物は流され、また流されて食糧危機に追い込まれた農民にとって一握りのニラは大切な野菜です。
 豪雨で川が氾濫しないように、水の調整機能ができる森づくりは急務です。

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2009年5月21日 (木)

本物の森づくりファンクラブが神奈川県で発足

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 昨日は五月晴れで日差しが痛いと感じる日でした。昼の気温は26,5度でした。昨日の作業は朝から1,000袋の腐葉土運搬と10㌧ダンプ2台の黒土の運搬準備でした。その後は、松木の杜周囲のネット張り準備をしました。また、「森びと広場」入り口では森びと強者4名が看板支柱を建ててくれました。黒土は群馬県桐生市のあかぎ園芸さんが私たちの森づくりに無料で提供してくれました。あかぎ園芸さん、ありがとうございました。
 夜、7時からは横浜市で「森びと神奈川県ファンクラブ」が発足しました。森びとインストラクターが中心となって、19名が会員となって足尾と神奈川県内で、“山と心に木を植える”運動を広げていく仲間の絆が形になりました。代表に就いた田岡耕司森びとインストラクターは、「私たちは森づくりを通じて、木に生かされいることに感謝し、その自然に謙虚になっていく人と人との結び付きを大切にしよう」、と訴えていました。
 宮脇昭最高顧問の地元で森びとファンクラブが結成されました。神奈川県のみなさんありがとうございました。

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2009年5月17日 (日)

研究者を癒やす「鉄研の森」(仮称)を散策

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 樹齢200年はあると思われる巨木を観てきました。場所は国立市にある鉄道総合研究所内にある森です。クヌギ、イイギリ、ケヤキ、クスノキ、ヤマクワ、エノキ、エゴノキ、サクラ、シラカシ等…が、天高く伸びていました。クスノキやケヤキ等は5階建ての建物よりも高く幹が伸び、横には約10㍍も枝を広げていました。また、幹の周囲が2,3㍍もあるクヌギも生えていました。針葉樹はアカマツ、ヒマラヤスギ、サワラが生えていました。特に鮮やかであったのは白い花をびっしり着けていたエゴノキでした。(下の写真)
 案内してくれた方の話によると、夏にはカブトムシがクヌギに群がっているそうです。エノキが多かったのでオオムラサキは飛んできますか、と尋ねてみると、「気にしていないので分からない」と言っていました。散策を終えて、200年前はどんな森だったのか、とイメージを膨らませてみました。しかし、そのイメージは現実味が薄いので、研究所の前の民家にもこの森に生きている木々と同等の木々がそびえ立っているので、このお宅で話を伺ってみることにしました。
 とにかく素晴らしい森でした。今度はビルの屋上から木を観たいと思いました。また、育樹の歴史や担当者の話も伺えると、人と森との繋がりが見えてくるようです。案内をしてくれました皆さんありがとうございました。

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2009年5月13日 (水)

松木村が蘇りました

P5130982  100年以上も前の松木村が描かれました。初夏を迎える松木村ののどかな雰囲気が漂う絵です。村の通りには馬を引いて歩く村人の様子を観ていると、ゆっくりと時間が過ぎていく感じです。手前の畑には桑の木の若葉が輝き、中間の畑では小麦や野菜の葉が揺れている感じもします。遙か遠方の皇海山からは爽やかな風が吹き、松木川には美味しい水が注がれているようです。
 この絵は30日に開催する第9回「足尾・ふるさとの森づくり」に公開したい、とお願いし描いて頂いていました。作者の加藤善昭さんは、栃木県立博物館での調査、足尾地元の川田勉さんからの聞き取り等を繰り返し、集落の様子は色々な画集からイメージを膨らましてきました。絵の大きさはM100号(約162㌢×97㌢)です。
 この絵は、今年から始める「松木の杜」づくりのイメージ画として描いてもらいました。そして、杜づくりではこの絵に描かれている村人の生活から、互いの境遇を分かち合い、支え合って生きていくことの大切さを育んでいけたらと願っています。この絵は、間もなく設置する看板に掲出していきます。写真は杜びとインストラクター・田岡耕司さんの作品です。加藤さん素晴らしい絵を描いていただき感謝します。

2009年5月12日 (火)

ほのぼの手紙に激励されました

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 昨日、事務所に手紙が届きました。差出人は「夢屋」さん。夢屋さんは「森びとタオル」を作っている地域作業所です。手紙には、「ご注文ありがとうございました。おかげさまで仕事の少ない時期に、とても助かりました。“森びとタオルだわ!”といいながら、ミシンかけやラッピングに、皆、張り切っておりました。本当にいつもありがとうございます。新聞に紹介された記事を同封させていただきます。よろしければお時間のある時にお読みいただければ幸いです」、と書いてありました。
 夢屋さんでは、養護学校を卒業した人たちが働いています。新聞によると、作業所の開所年は当委員会活動開始年と同じ2005年です。現在、男女13人は絞り染めの手縫いから藍染めを行ったり、ミシンでタオルに刺繍したりしています。皆さんは記事の写真のように仕事を楽しく、そして真剣にやっています。昨年秋に会った時も、写真のようでした。
 夢屋のみなさん、心あたたまる手紙を送っていただきありがとうございました。

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2009年5月11日 (月)

五月晴れの下で心の花見

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 あと25分で11日ですが、少しだけ報告します。何故なら、24年間も桜の木を植え続けてきた旭川MS会のメンバーがブログを読む、と言ってくたからです。
 今日は旭川市の江丹別町で桜の木を植えました。写真のように24年前から植えた桜は市の牧場跡地に根を張り、多くの市民に自然の素晴らしさの感動を発信しています。今日はこの植樹の手伝いをしてきました。
 旭川MS会の皆さんは足尾・ふるさとの森づくりに2回参加してくれています。その上、旭川市内の山崎さんからは桜の苗木を頂戴しています。この桜の苗木は大きくなり、先月の23日に開花しました。そのお礼と報告を兼ねて桜の植樹に参加しました。MS会の皆さん、お疲れ様でした。来年は植樹25年ですので、楽しく意義のある集いを創りあげましょう。二日間ありがとうございました。
 深夜になってしまったのは自然の恵みを大切にし、生きていくための本物を生活の中で追求している佐々木さんの話を伺っていたからです。この話は後日、報告します。

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2009年5月 9日 (土)

自然の術は動植物に声をかけて学ぶ

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 今日は朝一番の飛行機で旭川に着きました。明日、江丹別で行われる桜の植樹際に参加するために、早めに現地を訪れました。それは以前から伺ってみたい高橋武市さんが園主の「陽殖園」に行くためでした。
 この「陽殖園」は、旭川空港から車で約2時間程走った所の紋別郡滝上町にありました。道路の左右は牧場がつづき、その奥は残雪が残る山並みが連なり北海道らしい真っ直ぐな道路を友人の運転で走りました。「陽殖園」には昼頃に到着しました。園の入り口を入ると高橋武市さんが椅子に座って、「いらっしゃい。どこから来たの。たばことライターはここに置いてください。このベルト(鈴の付いた)を締めてゆっくり見て下さい」、と言って園内の案内図を渡してくれました。
 この園は、武市さんが中学2年生の時から作り始め、今でも作り続けている自然を再生する花園です。武市さんは鹿、タヌキ、ウサギ、鳥たちと生活をしています。春になるとカケスが武市さんの話し言葉を真似して鳴く、ということでした。こんな話を聞いていると、私たちの近くにタヌキが現れ、武市さんは「これ、ポンキチ」と呼び止めましたが、タヌキは振り向きもせずに、武市さん宅の方へ歩いていきました。突然、武市さんは昆虫採集用の網を取り出し、私たちの頭上に飛んできた大きな蜂を捕ろうとしましした。蜂は逃げましたが、「この女王蜂を捕まえると蜂の巣をゲットしたのと同じなんだ」と残念そうな顔をしていた武市さん。このように武市さんは常に、動植物に声をかけている、と言っていました。
 武市さんは、人間に自然を合わせるのではなく、自然に人間が合わせて生きる、だから植物も自然界で選ばれたものを大切にしている、といいます。そのせいかサクラソウ、スイセン等の花の色は鮮やかでしたし、エリカ(上の写真)もしっかり地に根を張って花を咲かせていました。
 自然の術を熟知している高橋武市さんに会うことができ感謝しています。話を聞ける時間が少なかったことが心残りでした。武市さんありがとうございました。
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2009年5月 5日 (火)

集落民の心と自然を守り、育てる皆さんに感動

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 今日はこどもの日です。昨日は、千曲川を悠々と泳いでいる鯉のぼりを見ました。新緑が重なり合った千曲川の両岸に映えている鯉のぼりの姿は、車を運転している私の心を和ましてくれました。
 昨日は、車を運転して新潟県十日町から六日町へ向かった山村・枯木又地区集落を訪れました。目的は、この集落の「自然や文化・歴史・産業に根ざしたエコ・ミュージアムを創造し、守り育てていく」ことを目的にしている「枯木又エコ・ミュージアムの会」の皆さんとの交流でした。会の皆さんは昨日、2009年度総会を開催していました。総会後に森づくりの話をしてほしい、と会の大塚忠孝(森びとインストラクター)さんから当委員会に依頼されたので、高橋佳夫副理事長が枯木又地区を訪れました。話は「人は森と生きる」と題して、当委員会の森づくりの話をしてきました。
 講演の後は懇親会です。懇親会には地元会員、各地から集まった一般会員の皆さん50名程が出席していました。料理は地元の女性たちの手作りです。山菜料理に有機栽培の赤米ごはん、そば団子など美味しいご馳走を頂いた会の皆さんは、この地の文化の話に花を咲かせていました。30分も経った頃、会の事務局長・山田栄さんが「天神ばやし」を歌い始めましたら、会の皆さんも声を出して調子を合わせていました。尋ねてみると、この歌が終わるとそれぞが席を立って更に懇親を深めるていいのだ、ということです。
 枯木又集落の皆さんと各地の皆さんが自然の中で、生活の中で解け合っていく過程では“支え合う、分かち合う”心が育まれていくようでした。春川修会長、会の皆さんありがとうございました。また、合いましょう。

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2009年5月 3日 (日)

幸せは歩いてこない

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 “体験コーナーその3”は「熱帯雨林」を知ることです。地球地表の約6%しかない熱帯雨林は、現在、秒速で0.5㌶~0.8㌶が減少・劣化しているそうです。この熱帯雨林の役割は人間が生きていくうえで大切なことをしている、ということをこのコーナーでは実感してもらいます。
 地球上で吐き出される二酸化炭素を吸収し、そして酸素を生産・供給している熱帯雨林、その他にも私たちが生きていく過程で必要な様々なものを提供してくれている熱帯雨林を知ってもらい、反面、この大切な熱帯雨林を破壊しているのが一部の人たちであることも実感してもらいます。
 今日は憲法記念日です。地球温暖化問題が全世界の問題になっていますが、この問題解決には人間中心の考え方を根本的に変えなければならない、とサルは人間を諭しています(当委員会出版の『サルと人と森』)。梅原猛さんもそのようなことを述べています(『人類哲学の想像』・小学館)。現代においては一部強者中心の考え方と、それを支えている社会の仕組みが問われています。                                 
 宮脇昭先生も常に述べていますが、自然の一員でありながら自分を特別な存在と思いこみ、やがて自分を世界の中心に据え、自然と人間を支配できるとして戦争や生産活動によって自然環境を破壊し、現代ではそのしっぺ返しに遭い、自分が生きていく世界を失おうとしています。環境問題は極めて政治課題であることを昨年のフォーラムで学びました。生きていることの幸せを追求していくには、憲法9条を守り抜かなければならないことを強く感じている朝です。

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2009年4月30日 (木)

どうしてそんなに木は長生きできるのか

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 “体験コーナーその2”は「丸太切り」です。左右に取っ手が付いたノコギリを二人で使い、丸太を切ってもらいます。そして切った面の年輪を算えて、丸太の年齢を計ってもらいます。そこで“なぁーんでか?”がはじまります。Q1、「木はどうしてこんなに長生きできるのか」、と。
 日本の森には、幹周りが40㍍以上・樹齢1千年以上のイチイ、根回り16㍍、樹高34㍍のカツラ、沖縄では400年以上生きているサキシマスオウノキ、屋久島では1千以上生きている屋久杉等が生きつづけています。環境省によると巨木の基準は、幹周り3㍍以上、太さ1㍍以上となっており、全国に約5万6千本生えているそうです。
 丸太切りでは、年輪を算えることから樹木の逞しさ、その逞しさは太陽と微生物から栄養を得て、そして脇役が主役を支えている、という生物社会を考えてもらいます。それを私たちが自然の恵みとして得られていることを実感していただきます。森に入ると山桜の花の可憐さ、ブナの逞しさ等を感じますが、事務局は“なぁーんでか?”に挑戦してもらいたい願っています。
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