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2021年3月の19件の記事

2021年3月29日 (月)

何気なく使っている水の有難さを忘れない生活をいつまでも

 10年前の3・11を忘れないようにしよう、と思い、地震で倒れ傷ついた洋服ダンスと食器戸棚を今でもそのまま使い続けている。それを見ると当時の事を思いだす。Dscn4564 当時、一番困ったことは停電、断水だった。コンビニに駆けつけた時には、水や食料品は殆ど無かった。電気ポットに残っていたお湯とカセットコンロでインスタントラーメンを作り、息子と一緒に食べたことは今でも鮮明に覚えている。トイレは、ふろの残り湯を利用できた。翌日から、人生初の給水車待ちの生活となった。            

Dscn4554_2 当時のニュースでは、湧き水で多くの人々が救われたことを報道していた。子供の頃は、各家庭には井戸や湧水があって、「水神様」を大事にしていた。正月には、お供え餅を井戸に飾り拝んでいた。Dscn7176 以前、「森びとさん達が植樹をしてくれたお陰で松木川の水が綺麗になり、魚が増えて、釣り好きの私は大喜びです。」、という言葉を聞いて嬉しくなった。15年間、森づくりをしてきたことが釣り人に分かってもらえた気がした。そういえば、これまで松木川では見たことのないカワウ、シラサギが現れるようになった。Dscn7249

Dscn4586  これまでは、雨が降ると、岩に僅かに積もっていた土砂が一気に松木川まで流されていた。しかし、草木が増えると、葉と落ち葉のクッションで雨の勢いが弱まり、地表には柔らかに落ちる。浅い土もしっかりと水を溜め、土砂の流出を弱めます。地中にしみ込んだ雨は、ミネラル豊富な水になって沢から川に流れ込む。松木川も自然の循環が甦りつつあるのかもしれない。カワウ、シラサギはそのような自然の循環を感じとっているのかもしれない。命の営みに欠かせない水。これからも森と水の有難さを忘れないようにしたい。(栃木県FC・橋倉喜一)

2021年3月28日 (日)

土を運んで、意見を交わして

今日は臼沢西での集中作業と意見交換会を行いました。曇り空からぽつりぽつりと冷たい雨があたる空模様で、午後からは本格的な雨に見舞われました。春はもう少し先のようです。そんな中でも、あかちゃんキジと、寝ぼけたシカと、賑やかなサルが出迎えてくれました。

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午前のメンバーが集まると、冒頭は、運営委員である大野さんと清水さんの挨拶で開始です。仁平さんの奥様からの差し入れ(焼き菓子)を頂きながら今日の作業を確認しました(美味しかったです。ありがとうございました!)。

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午前中は、集まった13人で、森びとで今年から始める「里親植樹」の会場となる、臼沢西の植樹地に腐葉土を運びあげる作業を行いました。「里親植樹」は足尾にくることのできない方々の代わりに木を植える活動で、1000円の寄付を頂いて森びとが1本の木を植える、というものです。

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雨で重くなった腐葉土は、お店の売り場にあるものに比べて倍はありそうな重さです(私の脳内比)。それでも黙々と、最終的には1時間半をかけ、13人で243袋を上げ終えました。いつものスタッフは平気な顔をして軽々と作業をしていましたが、久々のメンバー(私とか)はかなりヘビーなトレーニングとなりました。

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臼沢西は、以前は大きな岩が散らばるガレ場で、木が植えられるような場所ではありませんでした。足尾のあたりもそうですが、荒地での植樹はたいてい重機を使って整地したところに木を植えることが多いのですが、森びとは基本手づくりで地球にやさしい森づくりをしています。長い時間をかけて植樹ができる環境に作りかえることができました。

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このような大変な準備と手間をかけて「里親植樹」事業の準備を進めています。たくさんの皆さんが間接的にでも木を植えてくれることができたら本当にうれしいですね。

午後からは足尾のスタッフと担当の運営委員が集まって、来年度の森びと事業について意見交換を行いました。外のうんしゅう亭で行う予定でしたが、気温が低く、雨も強くなってきたので、部屋の中で換気に注意しながら薪ストーブを囲んでの会議となりました。森づくり代行「里親植樹」、植えた木々のブラッシュアップについて、4/29の中倉山ブナ保護登山などがテーマで、皆それぞれの意見を出し合い、充実した時間を過ごすことができました。

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本日の参加者:弘永、小川、加賀、鎌田、山本、済賀、仁平、高橋、清水、宮原、大野、橋本、福原、橋倉、井上(報告:小黒)

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2021年3月27日 (土)

森の防潮堤の大切な機能をもっと社会へ広げたい!

 今日(3/27)の森作業は、今年度の最終日とあって応援隊スタッフも早めに育苗場へ集合。誰ともなく一人ひとりがテキパキと動きはじめ、朝のミーティングの準備に入り、お湯を沸かす人やテーブル、椅子を倉庫から運ぶ人、ホットコーヒーを入れる人がスムーズに動きました。2021327 今日の作業は、ポット内の草取り、水撒き、刈払機による草刈りをすることにしました。今回は、新たに購入した刈払機2台の草刈りとあって安全第一に心掛け慎重に操作し、草刈りをしました。日ごろから機械を使っていますので、スタッフの面々は手慣れているために短時間で苗床周辺はすっかりきれいになりました。2021327_2

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2021327_4 休憩時間は、前回同様に佐藤スタッフからバナナやお菓子の差し入れがあり、それを頂きながら打合せをおこないました。今日は、3月24日に特集『被災地で進む「緑の防潮堤」津波を抑えることはできるのか?生育と防災効果を探る#これから私は』(yahooニュース)を印刷した資料を読み合わせしお互い感想を出し合いました。2021327_5

2021327_6 今年に入って10年前の地震の余震も多く、津波が心配です。皆さんからは、「このニュースは分かり易い、もっと広範囲にアピールしていきたいね。10年目にして森の防潮堤づくりの大切さが検証できている。これまでの森びと、応援隊の地道な取り組みが功をなしつつあるとことも実感できている」等の声がありました。2021327_7 今日の作業スタッフは、渡部、松林、山田、佐藤(正)、道中内、筆者でした。                 (報告 東城敏男)

素敵なカップルと家族、野鳥の会の仲間たちに励まされて森作業

 今日の朝8時半の気温は7℃、肌寒かったのでストーブに火を付けました。昼には気温が17℃まで上がり、松木渓谷入口には足尾の自然を楽しむ方々で賑わいました。Photo桜の蕾が膨らんできました

 午前中の森作業は、明日の午後に雨が降るというので、「臼沢西の森」に幼木の根が露出している幼木を埋め戻しました。ウサギが幹を食べた時に、勢いで幼木が地面に出てしまったようです。このままだと枯れてしまうために、深めに穴を掘って、埋めなおしました。Photo_2

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Photo_4 陽気のせいか、作業中に「カラマツの風吹く北国の♪♪♪・・・」の鼻歌が聴こえてきました。そんな気持ちにさせる温もりの中での森作業でした。Photo_5カラマツの芽
 その後は、土留め柵の土壌づくりをしました。土留め柵に袋ごと置いてあった培養土を袋から取り出し、土を明日の雨で馴染ませることにしました。作業現場から「みちくさ」テラスを見降ろすと、男女がお茶を飲んでいました。Photo_6

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Photo_10幼木は数年後にはこのような木々に生長します


 桐生からやってきた二人は、中倉山に登山する予定でしたが、松木渓谷入口でのんびりとお茶を飲んでいました。橋倉サポーターが二人と話をしていると、桐生出身の奥様が子供たちに足尾を見てもらいたい、ということで家族でこの地を散策していました。素敵なカップルとご家族にお会いでき、とても気持ちが和みました。Photo_8

Photo_9 昼食後は、明日の森づくりチームのミーティング会場設営と「みちくさ」室内の清掃をしました。椅子、テーブルなどをセットしていると、若者たちが双眼鏡や望遠レンズ付きのカメラで周囲を観察しているようでした。Photo_11 「みちくさ」の清掃をしていると、案内人の青山さんと若いバードウォッチャーが「みちくさ」を訪ねてくれました。青山さんとは足尾の自然の話が盛り上がり、これからもお付き合いをしていくことになりました。若者たちは初めて訪れた足尾で、今日の目的が達成できたことを喜んでいました。Photo_12 「みちくさ」は来月オープンですが、季節の移り変わりが早いせいか、今日はオープン本番のようでした。テラスでお付き合いしてくださった皆さん、またお会いできることを楽しみにしています。Photo_13 今日の森作業は、橋倉、済賀そして筆者でした。(報告・高橋佳夫)

2021年3月26日 (金)

着々すすむ、足尾・松木沢の森と愉しむ環境整備

 今日は森づくりを愉しむ季節へ向かって、その環境を整える作業のひと時に満足した足尾の森作業でした。P3264473 今日の作業打合せの前段は、若者たちがポストコロナ社会へ向けて「資本論」?を呼んでいるという話題でした。今日のメンバーは、1970年代の労働運動と学生運動を近くで見てきたサポーターですので、若者たちの世界観が広がっていくことを歓迎していました。Photo 午前中の作業は、「臼沢西の森」の土留め造りをしました。5月から始まる「里親植樹」の場所が急斜面の草地ですので、石ころや土を流さない土留めを造り、ここに土を運び入れて木を植えます。土留め造りで刈っている草は植樹後の土の乾燥を防ぐためのマルチングに使います。Photo_2

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Photo_4 プロのような作業はそれぞが全体を見ながら、各自の作業を全体と連携して進めていました。月最低100本の植樹をする予定ですので、9月分までの植樹会場を造ることができました。Photo_5 午後は、松木渓谷を訪れた皆さんに私たちが育てた森を見てもらう散策路を整備しました。岩や石が多い場所の石などを端に動かし、散策しやすい路に整備しました。三人がかりでないと動かない大きな岩を、老体に鞭を打つかのように、精一杯の力を出し切って動かしました。今日は、2016年に植えた杜と杜の間の散策路を整備することができました。Photo_6

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Photo_8 植樹をして5年目を迎えた木々は、樹高5㍍以上に生長し、ふるさとの木同士が競い合っていました。間もなく、若葉を拡げ、棲み処を生きものたちに提供し、メニュー豊富な大衆食堂もオープンします。今日の作業は、鎌田、松村宗雄、山本、済賀そして筆者でした。(報告・高橋佳夫)

2021年3月25日 (木)

足尾・「臼沢の森」に「M&mベンチ」を造る

 足尾・松木村跡地にコブシの花が咲き始めました。今日の天気は無風でどんよりした曇り空の一日でした。森作業に集まってくれた8名の森びとサポーターの皆さんとは、久しぶりなので、ホットコーヒーを飲みながら少し時間をかけて打合せをしました。1  まずは、健康管理の話。栃木県と群馬県で広がりつつあるコロナウイルス感染に気を付ける情報交換。その後は、本日の森作業を進めるにあたっての前提的な話をしました。Photo 今日は「M&mベンチ」(上の写真)を「臼沢の森」の2005年植樹場所に造ります。Mは宮脇昭さん、mは松崎明さんで、16年前から始めた“山と心に木を植える”活動の提唱者です。松崎さんは天空の森で私たちを見守ってくれていますが、この二人が2005年の植樹祭の時、ベンチを造る場所に座って100年後の森の様子を語っていました。その場所に、間伐材でベンチを作っていましたが、ベンチは腐って壊れてしまいました。森づくりを初めて15年を迎えた区切りとして、この場所に新しいベンチを石で造ることにしました。本日は、その作業をすることにしました。2

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5 座る場所の石は大谷石にするという話になって、86段の階段を思い大谷石を運び揚げしました。ベンチは2日ほどかかると思っていましたが、なんと午前中に90%を完成させました。後は、雨や地震の力を借りて、置いた石を整えていきます。
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済賀さんと小野塚さんは苗床で、ポット苗にたっぷりと水を上げました。昼食時には、福原さんから新ショウガの酢漬けをいただきました。このショウガは福原さんの母が自慢のもので、これを味わうと春がやってきたと感じます。Photo_3 午後は、「臼沢の森」の入口に張ってある柵が劣化していますので、鹿の侵入が心配でした。その柵の内側と外側から新しい柵を張り、柵を補強しました。この作業も手慣れたもので、2時間で終わりました。作業小屋に戻って、ストーブの煙突掃除を行い、本日の作業を終了させました。Photo_4

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2_2 サポーターの皆さんは、松村宗男さんが用意してくれたカキ菜をいただき、「今夜は、辛子醤油のカキ菜で一杯だー!」と帰っていきました。松村さん、ありがとうございました。本日の作業は、鎌田、松村宗、福原、加賀、済賀、小川、小野塚そして筆者でした。(報告・高橋佳夫)

 

2021年3月24日 (水)

東日本大震災・福島第一原発事故の記憶を風化させない

 自宅(南相馬市)の庭のぼけの花が、かすかな甘い香り放ち、薄いピンクの色は目の疲れを和らげてくれています。

P1010924  早いもので東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から10年が過ぎました。自宅は福島第一原発から25kmの所でしたので、5日後の16日から福島市あずま運動公園体育館に自主避難しました。体育館には約2,500人が避難し、ほとんどの方が原発事故の放射線を恐れての避難生活でした。1週間後には横浜市の叔母の家にお世話になり、5月連休後に自宅に帰ってきました。

Dscn4360 10年が経ち、福島第一原発の廃炉作業工程は不透明です。汚染処理水は溜まり続け、海水で希釈して海洋放出する計画案が政府・経産省内で着々と進められているようです。海洋放出が強行されれば、またも海水産物の風評被害が大きくなります。

Dscn4316  震災当時、「福島の復興なくして日本の再生なし」と野田元首相、安倍前首相は言い続けていましたが、その本質は疑問だらけです。原発事故周辺の被災地、被災自治体の住民は1割程度しか戻っていません。特に、若い世代は戻ってこられないのが「復興」の実情です。インフラ整備や建造物はすすめられていますが、原発事故以前のような暮らしが可能な環境は整っていません。

Dscn4204  ポストコロナの新しい心の故郷づくりを、市民の皆さんと探していきたいと願っています。(福島県FC 岩橋 孝)

2021年3月23日 (火)

大地と海洋の森に寄り添える暮らしを望む

東京都内ではソメイヨシノが満開を迎えました。花の蜜をなめる生き物たちはこの速さを感じとっているのでしょうか。

Photo  「100年に一度の大雨」、「観測史上最高の○○」と、これまでの人間の基準が暮らしを脅かしています。当然、他の生きものもそのような生息環境にいるのかもしれません。

Photo_2  新聞報道によれば、海の森も衰弱しているようです。四国の太平洋側沿岸では、海水温度が上昇し、南方系のサンゴが増え、海藻の生育が悪化しています。高知県では、藻場が激減し、昆布の一種のカジメが姿を消し、それを餌にするアワビが激減だと言います。海水温度の上昇はオニヒトデの増殖をもたらし、南方系のサンゴもオニヒトデに食べつくされているようです。

P2214261  大地の草木の葉などや海の海草など餌にする生きものたちの生息環境が激変しています。この激変は私たちの暮らし方をも激変させることにつながってくるでしょう。

P2234303  私たちの生活の基盤の今後を考えると、人間を含めた生物が生きていける自然環境の保全に欠かせない大地の森、海洋の森に寄り添うことのできる社会へ、その仕組みを激変させなければならないのかもしれません。皆さんの知識と知恵を出し合い、その案を実現する心をひとつにすることが求められているようです。来月から、森びとはそのアクションをはじめていく計画です。(広報スタッフ・高橋佳夫)

2021年3月19日 (金)

自然をたたえ、生物をいつくしむことを感じて森作業

 明日の春分の日を前の今日(3/19)、今年2回目の森作業を行いました。いつものようにホットコーヒーを飲みながらの作業打ち合わせ。前回に引き続き今日の作業は、ポット草取りと水撒き、苗木のチェック、トレイの整理を行う事にしました。

12021319  シャリンバイのポット内は追肥したこともあって、他の苗木よりも草が伸び、草取りは大変でしたが、苗木もスタッフの心もスッキリしましたのでよかったです。

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2021319_2  休憩タイムには、山田スタッフからのお茶、佐藤スタッフからはお菓子をいただきました。天気の良い日に、笑いながらの楽しいひと時は健康によいと感じました。

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2021319_7  松林副代表からはカボチャの種の差し入れがあり、秋の収穫際にはみんなで持ち寄ろうとの話しがあり、4月からの森作業は苗木の補植・草刈りに重点を置いていこうとの話がありました。話の中では、「春分の日」とは、自然をたたえ、生物をいつくしむ日であるということも改めて感じ取りました。

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12021319_2  次回の作業日を確認し、本日の作業を終了しました。帰宅途中、松林副代表と筆者は第1回植樹会場(2013.10・6)に向かい、ヤマザクラの開花の様子を見てきました。ヤマザクラはまだ蕾でした。周りの木々は樹高3~4メートル程に生長し、防潮堤として機能できる森に向かっている様でした。嬉しく思いました。

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12021319_4  今日の森作業は、渡部、菅野、松林、小川、山田、道中内、松本、佐藤(正)、今野、そして筆者でした。(報告・東城敏男)

津波と向き合う心得を後世に伝えたい

 10年前の東日本大震災と言うと、多くの方は東北地方に目が向きますが、私が住む千葉県旭市でも多くの方が亡くなり多大な被害を受けました。

1616137554763  この大震災による千葉県内の死者は22名、行方不明者は2名です。旭市では震度5を観測し、死者は14名、行方不明者は2名、全壊家屋は340棟です。このような被害が出た原因のひとつに、「大津波警報が出ても避難しなかった。」「まさか九十九里に大津波が来るなんて思ってもみなかった。」「防波堤を乗り越えて波が来ることはないだろう。」という海に対する油断がありました。

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1616137575400  自宅近くの飯岡海岸は浸食の長い歴史があり、平安時代から波との戦いを長年繰り広げてきたところです。台風による高潮、高波、そして多くの津波災害に遭っている地域です。

1616137566466  戦前戦後にかけ固定教科書にも載った物語「稲村の火」のモデル「濱口儀兵衛」は幕末から明治にかけ活躍した人物で、隣町の銚子市のヤマサ醤油7代目当主でした。「稲村の火」の内容は割愛しますが、銚子から山ひとつ超えた飯岡海岸の浸食や高波、高潮に苦しんだ人々の生活を見聞きしていたものと思います。

1616137547511  旭市では、被害経験や教訓を後世に伝えたいという運動が起こり、2014年7月に「旭市防災資料館」が「いいおか潮騒ホテル」1階脇に併設されています。入場は無料で、これまで約1万人が来館しています。2代目館長の宮本英一さん(72歳)は、「津波に遭って一番反省することは、大津波警報が出ても避難しなかったこと」との反省から、波にのまれた経験や教訓を語り部として来客に伝えています。

1616137560719  大震災後から10年経ちました。私は月に数回は飯岡海岸に行きます。その都度、防災会館を訪ね、次世代の語り部に私たちがならなければと自分に言い聞かせています。(千葉県FC・高梨 厚)

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