森とものみなさんと一緒に育ててきました。「森びと設立15年感謝の集い」を開催!
12月8日「森びと設立15年感謝の集い」が大宮市内のレストラン・スクエアで開催されました。感謝の集いには2004年の森びとプロジェクト委員会活動のスタートから携わっていただいた皆さまや活動支援をしていただいている皆さまに出席をいただきました。
午後3時からスタートした「感謝の集い」は平木理事の司会により幕を開けました。
15年の森づくりによって生長した森の様子や生態系の変化、未来に生きる世代に豊かな自然環境をつないでいく大切さを訴えるオープニング映像(小黒事務局次長の力作)は、参加された皆さんに森づくりの苦労と喜び、希望を感じていただくことが出来ました。
15年の森びと活動に協力をいただいた皆さまに、中村幸人理事長よりお礼の挨拶が述べられ「温暖化により、台風が巨大化し地球上でさまざまな被害をもたらしています。これまで経済問題が先行してきたが、環境問題抜きに経済はありえない。日本列島で雨が多ければ他の地域では雨が少なく乾燥している。地球全体の問題だ。」と温暖化にブレーキをかける運動をこれからも取り組んでいこうと協力を呼びかけられました。
しばしの懇親の後、髙橋佳夫副理事長の進行で「心に植えた木の紹介」が行われました。
4名のインストラクターから、15年間の森づくりを通じて学んだことや失敗を糧にして森びととしての自分を鍛え上げてきたことが話されました。
まずはじめに、第4期森びとインストラクターの橋倉喜一さんから『なぜ15年間森づくりをやってきたか。義務感で始まったが、それをひっくり返されたのは「種が流れる」というビデオを見て。足尾の女性が植生版を山に張り付けるが雨で流される。その繰り返し作業する姿に泣いた。これは義務感でやってはいけないと気付かされた。もう一つは人との出会い。宮脇昭先生から「本物になれ」の強力なリーダーシップ。岸井さんや髙橋さん。足尾現地で侃侃諤諤話し合い、共に作業することで信頼関係を築き上げてきた仲間たち。15年間やってきて大きな喜びを感じている。』
続いて、第2期森びとインストラクターの岩橋 孝さん。『2011年3月11日の東日本大震災で海岸防災林が全て壊滅した。何かできないかと2015年12月に南相馬市民と共に「鎮魂復興市民植樹祭応援隊」をつくり、防災林の復興活動を行ってきた。鎮魂復興といっても「献花台」も無かった。被災地から拾い上げた岩に「鎮魂」と書き、献花台を作り菊の花を準備した。反省会で市役所側に物を言うことは勇気がいることだった。翌年から南相馬市役所は白い菊を用意した。「抵抗とヒューマニズム」の精神を学んだ」
続いて、第1期森びとインストラクターの今村 博さんからは『成り行きで森づくりに携わったが、今は人生の一部になっている。森びとのみんなといると空気がいい。それが15年続けられた理由。やはりリーダーがいた。宮脇昭さん、岸井さん。八幡平をホームグランドに活動していく。』
最後は、第1期森びとインストラクターの松井富夫さん。『育樹祭の準備をみんなで作っていこうと確認したが、杜の状況を車窓から確認して帰ろうとした。髙橋副理事長から「何を見てきたのか」と指摘を受けた。幼木の周りの草の伸び具合を見て除草作業に何人必要か、杜の案内のルート、ポイントをどうするかなどの確認をしなかった。一緒にいたスタッフにも指摘が出来なかった。奮い立ってもう一度戻り確認をした。15年間何をやっていたのだろうかと自省した。森びとの先輩から学んできたことは、「約束を守る」ということ。』
4名のインストラクターの皆さんから語られたことは、理屈で森は作れないということ。現場から学んで森をつくってきた教訓でした。森づくりを通じて心に植えた木が「森の宝物」となったことを感じることが出来ました。
その後、森びと結成後の植樹祭に参加し、1本の木を植えたことから「心の森」という森びとのテーマソングをつくってくださったシンガーソングライター・チョージさんによる「心の森コンサート」が行われました。チョージさんの歌に手拍子を合わせ、会場全体が盛り上がりました。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、山崎 誠顧問のクロージングスピーチで「感謝の集い」は閉会となりました。
これからも地球温暖化にブレーキをかけるために、人類の責務として“森に寄り添う暮らし”を求め活動を進めていきます。
(筆者・清水 卓)
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