通常総会と理事会議案書の執筆、そして『森びと通信』の編集作業の合間、身体を少し動かそうと東京の路地や公園を歩いた。公園にはフキノトウが顔を出しているのではないかと行ってみると、間もなく花が咲き始めるところだった。
地は、イヌノフグリやホトケノザがフキノトウ、ヒロハノアマナ、バイモたちに遠慮していようであった。早咲きの桜も灰色のコンクリート肌を和らげている感じであった。
草木は人間の暮らしなどは気にかけずに生きている。人間はそんな草木に心が癒され、気分が和らぎ、時には文章や絵に強いヒントを与えてくれる。コンクリートの割れ目に根を張り、小さな一輪の可憐な花をつけてくれると足が止まる。草木はけして邪魔者ではない。
明日は東日本大震災・フクシマ原発事故から8年。総理や復興大臣は、これからは心のケアに力をいれると言うが、そのケアの本音が気になる。放射能に汚染された土の保管は福島県内に、タンクに溜めた汚染水は海に流すための“ケアではないか、と疑いたくなる。(理事 髙橋佳夫)
昨日は「啓蟄」だった。私たちの命を支えている虫たちが動き出した。このような気持ちになり、季節感を味わう風習がアメリカにはあるのだろうか。
BSテレビの「ワールドニュース」を観ていると、アメリカBBCニュースでは寒波と大雨に襲われている国民の様子が毎日のように報道されている。被災者の数は何千万人となり、その対策費は〇兆円を超えると言うから驚きである。
筆者は、足尾で出合う子供たちに「ミミズに悪戯をするとバチが当たるよ!」という先人の話しをする。子供たちは目をキラキラさせて話を聴いてくるのが嬉しい。その時、土壌分解動物の足尾の森に生きるダニたちの写真と働きの話しも付け加えると、子供たちは驚いてくれる。
地球温暖化にブレーキをかける運動の拡がりをつくりだすのは難しい。けれども、私たちの命は森や海に支えられている、という心をひとつにする活動が動き出さなければ何も始まらないと思う。「啓蟄」は、森から生かされていることを虫たちから学ぶ授業の始まりなのかもしれない。(理事 髙橋佳夫)
昨日、一昨日の平野部は今年初めての二日連続の雨でしたが、足尾町から見る日光の山々は雪が降り山は真っ白くなっていました。足尾松木沢の今日の気温は9時で5℃、確実に春がそこまで来ているようです。
ゲート前に着くと、「クワッ!クワッ!」キジの鳴く声がします。目を凝らすと確かにいました。思わず「雉も鳴かずば撃たれまい」ということわざを思い出した。この意味は、「余計なことを言ったばっかりに自分に災害が被る」ということだそうだ。自分への戒めとしよう。
今日の作業は、先日、日光市の大和木材さんからのご厚意で頂いた4個のフレコンに入った杉皮の移動を行いました。この杉皮は「みちくさの庭」の散策路に敷いて歩きやすいようにするものです。
これが結構重く4個を移動させた後は、ご覧のようにぐったりしてしまいました。
この後は、臼沢西の土留めに土を入れることにしました。まずは臼沢入り口の前に置いた黒土を背負子に載せて運びます。午前中は1個めのフレコンから63袋の黒土を運びました。
マンノウを使い土を入れるための畝を作っていくと、何かの幼虫が出てきました。まだまだ土の中で過ごす期間なのに起こしてしまってごめんなさいと、黒土をかけてやりました。
午後からも同じ作業を行いました。2個目のフレコンの黒土73袋を臼沢西に運び入れました。
合計で136袋2個のフレコンを空にして今日の作業はこれで終了。
今日のスタッフは、鎌田、松村健、橋倉、福原、筆者でした。敬称略(報告 加賀春吾)
1週間ぶりに帰宅し、溜めておいた新聞を読むと日本の学生たちも「温暖化の実態を知ってほしい」と、国会議事堂前で集会を開いた記事(写真下)が載っていた。新聞に載せてある写真の看板には、「人からどう思われようが私たちは声をあげる」と書いてあった。
どんな気持ちで温暖化に向き合っているのか、学生たちと話し合ってみたいとおもった。昨日、足尾では久しぶりに雨が降り、乾いた土は雨が吸い込まれていった。足元では、地衣類やネジバナが二酸化炭素を吸い込み、地中からは水分を吸い上げ、その様子はとても嬉しそうであった。
全ての生きものの生存を考える上で避けることが出来ない重要課題は、人は生物社会の一員にすぎないという冷厳な事実から考え、一員以外の生存のために知恵をだすことではないか。「人からどう思われようが私たちは声をあげる」という看板からは、その心が滲んでいる気がする。
今月は当会の通常総会が開かれる。声をあげている学生たちの気持ちに少しでも近づき、地球温暖化にブレーキをかける運動を若者たちと共につくりだしたい。(理事 髙橋佳夫)
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