心の森探訪inやんばるの森・・・その③
最終日の3日目は、沖縄本島最北端の辺戸岬を経て帰途につくことになりました。青空が広がり、車窓から見える海と時折現れる集落を、名残惜しく想い出に残しつつ北に向かいます。途中、ガソリンを入れに寄った村の共同売店は、なんとも懐かしい雰囲気でした。
最後の訪問地・辺戸岬は、石灰岩が溶けてできた独特のカルスト地形で、一面トベラに似た低木がカーペット状に広がっています。クサトベラ科のテリハクサトベラで、白い可憐な花を咲かせていました。遠くに与論島が見え、背後にそびえる大石林山は存在感たっぷりです。
ここで宮城さんから、沖縄の返還闘争の話を伺いました。
「鉄の暴風」と言われた戦争が終わり、ようやく平和と自由が訪れる、と期待したのも束の間、実はそれからが苦難の始まりであったということ。そしてそれは、今に続く他ならぬ日本政府の沖縄切り捨て政策の始まりであったこと。占領下、本来はアメリカ領になるはずだった与論島の人々と海上で交流を行っていたこと。復帰を願って狼煙をあげたこと。そしてまだその闘いは終わっていないこと。伊波さんたちから伺った話にも通じる、沖縄の人たちの静かな怒りが、ストレートに伝わってきました。
辺戸岬をあとにして、帰路は東シナ海に沿って那覇に向かいます。波は強いものの沖縄らしい美しい海に見送られ、帰途につきました。
今回の旅の目的は、やんばるの貴重な自然に触れることと、沖縄の米軍基地問題と向き合うことでした。わずか三日間ではあったものの、たくさんの知識と気づきを得た旅となりました。
沖縄には厳密な意味で原生林はないそうです。全て人の手が入った二次林なのだとか。それにもかかわらず、これだけ多様な生物が生き残っていることは奇跡的なこと。奥間川ではその自然を存分に味わうことができました。
高江では、戦場を模した米軍の訓練実験のために、今まさにその奇跡の森が壊されようとしている現状を知りました。そしてまた、そこに住む人々が、普通の生活を願って声を上げています。その人々を、米軍のために暴力的な権力を使って排除しようとする、この国の姿も目の当たりにしました。同じことが、自分の住む町や、故郷の近くに起きたとしたら?と考えると空恐ろしくなります。
ネコ(アメリカ)とネズミ(沖縄)の喩えの話は、占領時代、いつでも沖縄の人々を意のままに潰せるというたとえで使われたそうです。その状況が今も昔も変わらないとしても、ネズミが力をあわせたらどうなるか。いま、沖縄で、多くの難しい問題に立ち向かっている人々は、非暴力をつらぬき、難しいことを優しく語り、したたかに、しなやかに、仲間を増やしています。ネズミだと思っていたものが、実は虎であったと気づかせる日が近いのではないか。そう思える今回の旅でした。
私たちもただ応援するだけではなく、沖縄の自然と歴史と、沖縄の人たちが受けている苦しみに、もっともっと関心を広げて、伝えていく必要があるのではないかと痛感しました。正しいとか間違いとかではなく、おかしいものはおかしい。これからも沖縄に何ができるのか、森びとも考えていこうと思います。
最後になりましたが、二日間にわたり高江と奥間川を案内頂きました、NPO法人奥間川流域保護基金、伊波義安さんと伊禮洋代さん、この旅の多くをセッティングしていただいた沖縄在住の梁次邦夫さんに、心よりお礼を申し上げます。(事務局・小黒伸也)
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