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2011年3月の20件の記事

2011年3月30日 (水)

隣人よりも長く生き延びるではなく共に生きるために現場に立つ

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 今日はみちのく事務所の皆さんと被災者救援に関して電話で話し合いました。それによると宮古市、釜石市に向かうことはできるが現地には宿泊場がないので日帰りとなり、一旦、盛岡に戻って翌日また被災地へ向かうことになるということでした。救援物資で被災者が困っているのは男女の下着類だ、ということでした。また、岩手県の救援ボランティアは来月から始まるようです。救援内容は現地に行かないと分からないので現地の指示に従ってほしいということでした。

Photo  来月3日は当会の事務局会議です。会議では、今月20日の第6回通常総会で決まりました4月から6月間の救援活動の具体案を作成し、救援ボランティアを希望する“森とも”に呼びかけていくことにします。しかし、原発事故によって最悪な事態が起きた時には救援ボランティアを中止します。

当面、当会は被災した会員のお見舞いを行います。来月は岩手県宮古市と釜石市の皆さんのお見舞いを行います。まず、私たちは被災した会員の皆さんの気持ちに少しでも近づける努力をしていきたいと思っています。東京では桜のつぼみが日に日に膨らんでいますが、私たちは被災地の現場に立って“山と心に木を植える”心を膨らませたいと願っています。

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2011年3月28日 (月)

生命の源が動き出した桜の開花宣言

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 ガソリン給油の心配が無くなったので足尾から東京に夕方返ってきました。途中高速から見えた青空と足尾の青空の違いに気づきました。足尾の青空は突き抜けるような空という感じでしたが、埼玉県から東京に入るとそのような感じがしませんでした。

今日、作業の合間に松木の杜を散策していると写真のように食害防止のネットが刃物らしき物で切られていました。以前にはネットの支柱が折られていたこともあり、どんな理由でこんなイタズラをするのか疑問です。この地は森であったところを人間が耕し、小さな集落を形成していました。村人は生きていくために、自然には逆らわず、森には畏敬の念をもって暮らしてきたようです。命の源が森であるならば森を元気にしていくことがすべての生きものを元気にしていくことに繋がっていくことになるのですが、どうしてこんなイタズラが起こるのでしょう。

P3282137 高速道路運転中にラジオニュースでは東京で開花宣言されたと報道していました。足尾の桜は未だつぼみも膨らんでいませんが、松木の杜の春は水仙の芽、ミツマタの芽そしてホオジロの鳴き声などから手の届くところまで来ているようです。桜の開花宣言とは、桜の花にメジロが蜜を求め、ミツバチも蜜を求めて寄ってくる、そしてそのミツバチが作った蜜を人間やクマなどの命の源になっているように、開花宣言はすべての生命の源が動き出したということでしないでしょうか。報道各社は開花宣言を毎年同じようなことばかりを繰り返していないで、開花の意味を様々な角度から報道してもらいたいですね。

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2011年3月27日 (日)

自然とうまく付きあえるように

P3272120  今日は朝から青空が見えた春日和の中で作業しました。松木の杜では水仙が顔を出してくれました。「森びと広場」は雨が降ると雨水が地中に染み込むのが遅く、広場は泥沼のようになってしまいます。その上、雨水が広場に溜まり勢いをつけて低い松木沢側に流れ込み、土砂も流されて高台にある広場の東側の地盤が削られています。

P3272115  今日の作業は広場の地盤が削られないようにU字溝を埋め、雨水を一定の方向に流すようにしました。一定の方向に水を流すと言ってもU字溝を設置していくには一定の斜面を維持しなければならないので、溝を掘ってそこに採石を敷いて固めなければなりません。その上にコンクリート製のU字溝を置いていきました。1個60㎏以上の重さのU字溝を動かす作業なので、怪我と事故のないよう進めてきました。

P3272121  一日の作業を終えて帰る頃には、鹿たちがのんびりと餌を食べていました。暖かい夕日の日差しを浴びている様子を見ていると自然と共に生きていく様子を見ているようでした。松木村が存在していた頃の村の様子もこんな感じであったのでしょう。自然に乾杯です。

2011年3月26日 (土)

誰のために“いのちの森づくり”をするの?

P3262098   昨日の足尾の積雪は2㌢程でした。今日の気温は3度で西北の強風が吹き荒れた一日でした。昨日は、みちのく事務所から大震災で被災した会員の状況が報告されました。岩手県森びと会員の被災は自宅流出が二人、実家流出が4人でした。遅れましたが被災した会員皆様にお見舞い申し上げます。

 今日は「みちくさ」のトイレ用タンクを埋め込みました。作業をしていると「みちくさ」脇の道を午後、自転車で足尾ゲートに下っていく方々が二人いました。松木沢の解禁は今月21日でしたので自転車に乗っていた方は渓流釣りの人でした。このような皆さんが釣果を話し合ってくれる場所が「みちくさ」であってほしいと思っています。今日はその「みちくさ」のトイレが使えるように排水タンクを埋め込みました。作業は手際よく進められ午後一番には埋め終わりました。

P3262103  昼食や午後のお茶の時間で話題となっているのが大震災と原発事故の事です。被災した森びと会員の状況が日に日にひどくなり悲しい思いが込み上げますが、話の中では未来社会を見つめてみると原発に反対する政党が何を主張しているのか、組合員の生活(生命)を守るべき労働組合が何を主張しているのか、そして原発を推進した政党や労働組合はどんな態度をとっているのか、ということでした。

 結論は、どこの政党も党への支持票獲得だけを考えると自らの主張を控え、曖昧にしてしまうのか、ということでした。ようするに私たちの生命を私たちと共に守っていく人が政党や労組には見えないなあー、と言うことでした。

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2011年3月25日 (金)

自然界の小さなつぶやきに耳を傾けて

P3252093  事務局は大震災後はじめて足尾に入りました。今日は採石を10㌧購入し、「みちくさ」の入り口手前の広場にその採石を敷きました。朝の気温は7度でしたが、午後には4度まで下がり3時頃には雪が降ってきました。風も東から吹いてきましたので、原発事故の事も考えて作業を中止しました。

 わがスタッフは大震災翌日の12日、足尾現場に入って落石などをチェックしました。前橋の松村さんが入って調査した結果、臼沢の森には2つの大きな岩が落石しましたが、石は食害防止の柵で止まっていました。落石をチェックした後、松村さんは臼沢の森近くの茂みでフクロウに遭いました。早速、デジカメでフクロウを撮影したのがこの写真です。今日、松村さんはその写真を見せながら言っていたことは、「フクロウを観た時、何かつぶやいているようだった」ということでした。

Dscf0068  フクロウは何をつぶやいていたのか興味がありますが、大震災の被災を受けてはっきりしたことは想定外のことが起こることは事実であり、発生した自然の猛威は人間の科学力や技術力では計り知れない力をもっていることでした。

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2011年3月24日 (木)

大震災地に立って被災者から生きる元気を学ぼう

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 3・11大震災で被災した方々の生活様子をテレビやラジオニュースで見聞きすればするほど私は生きる勇気をもらい、人の良心を育んでいます。高校を卒業して明日から都市へ就職する予定であった生徒は、親と故郷を捨てるわけにはいかないと言って就職を諦めて津波で流された家の後片付けをしていました。また、卒業式を終えた児童たちが津波の恐ろしさなどを綴ったノートを校庭に埋め、成人式を迎えたら掘り起こしてみたい、と言っていました。ニュースは朝食時間帯に見聞きしていますが、食事を摂りながら目頭を熱くして元気をもらっています。

P3242089  今日は、当会の発足から現在に至るまで大きな支援をしてくれているJREU(東日本旅客鉄道労働組合)とJRFU(日本貨物鉄道労働組合)の両本部を訪れ、大震災で被災した組合員・家族の皆さんへのお見舞いを届けてきました。両労組からは被災状況が報告され、JREU吉川書記長からは組合員5名の死亡・行方不明があり、家族や親族の行方不明も多いと話されました。現在は、被災地外の組合員が支援活動に力を入れていると話されました。鉄道輸送の被害も甚大であるため、旅客と貨物の復旧に労使が高校球児に負けない全力投球をしている、と言う話がありました。

P3232088  明日は、みちのく事務所から会員の被災状況と救援活動の計画案が報告されます。東北高速道路も全区間開通しましたので、“森とも”の救援活動を早くスタートできることを願っています。

2011年3月23日 (水)

近未来は先達たちの生活にヒントがある?

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もし仮に、地球人口のすべての人たちが日本人並みの生活をすれば地球の数は2,4個、アメリカ人並みの生活をすれば5,3個必要である、という議論があります。これでは地球が危ないと思います。地球は大きいですが生命圏の厚さを考えてみると、〇,5㍉の鉛筆の芯で直径20㌢の地球を描いた時の鉛筆の軌跡です。実に薄い生命圏が私たちの生命を育んでいます。この薄い生命圏を危機に陥れているのが現代です。

 地球環境は有限です。人間が思いつくまま活用すればやがて臨界点を迎えます。自然は社会的共通資本財であると認識し、持続可能なライフスタイルが重要なんです。日本の自然活動は火山活動と地震そして台風と大雨で、これに日本人は翻弄されてきました。こういう厳しい自然の中で日本人は、自然を読み取る力を身に付け、その力をいなすという知恵を磨いてきました。そして森林や緑を大切にしてきたという歴史をもっています。

P3182080  自然に関わることによって里山をつくってきました。森林を媒介にして、水と生物の循環的な空間あるいは共生の恵みというものをつくりだしてきました。山がしっかりすることで海がしっかりする。川がその仲人をする。私たちの先祖は、美しいけども気難しい日本列島の中で恒常的な生活を営んできました。その結果、自然への尊敬心というものが花鳥風月を生み出しました。(「2011年森びらき」での涌井史郎氏講演から)

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2011年3月22日 (火)

大震災の悲しみを未来へつなげていこう!

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 20日は第6回通常総会が開かれました。大震災と原発事故の影響で東日本のライフラインが制限されている中で、総会には250名(出席者と委任状を含む)の会員の皆さんが審議に参加してくれました。総会の冒頭、大震災で被災した皆さんへのお見舞いと亡くなった方々の冥福を祈り黙とうを行いました。

 総会での審議の結果、4月~6月までは被災した方々の救援にシフトしていくことにしました。質疑討論では、震災救援ボランティア要望の意見があり、理事会としては被災した森びと会員の被災状況を把握して、ボランティア活動の受け入れが始まる頃に会員・インストラクターの皆さんへ呼びかけて救援活動を実施していくことにしました。

よって、4月~6月に計画していた当初の事業の一部は中止又は延期しました。当初の事業計画で中止、延期した事業は以下の通りです。

中止した事業は、4月24日に計画していた「四季の感謝デー・(春の感謝デー)」、6月4日に計画していた「第9回八幡平・ふるさとの森づくり」、延期した事業は、5月14日に計画していた「第20回足尾・ふるさとの森づくり」は9月23日(金)に延期しました。開催日を変更した事業は、8月27日に計画していた「第4回森と生きるキャンパスフォーラム2011in京都」は「in立命館」として8月20日(土)に変更、11月27日に計画していた「こころの森探訪」は「こころの森探訪in那須塩原」として10月30日(日)に変更して「那須平成の森」を散策することになりました。総会の最後は、2011年度の新理事会体制を選任して終了しました。

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2011年3月18日 (金)

笑顔で支え合っている子供たちに春を届けたい

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 今日は岸井成格理事長に会ってきました。JR東京駅から毎日新聞社までは内堀通りに沿って15分程歩きました。お堀の端にはアジサイの春の色が若葉を染めていました。また、地面の陽が当たるところにはタンポポも鮮やかに輝いていました。毎日新聞社に近づくと神津桜が黄緑色の若葉の中でわずかに咲いていました。被災地で高校生や子供たちが大人と一緒になって支え合っている報道を見ていると、被災地の皆さんにもこの花の香りと春色を届けてあげたいと探し当てた15分間でした。

P3182076 岸井理事長とは通常総会に向けた打ち合わせをしました。会員のなかには被災した方がいるので、総会ではどのような救援活動をしていくのかを議論しようとなりました。緊急の救援活動は勿論ですが、私たちは壊滅した市町村の皆さんの要望を聞いて、秋頃には我々が育てた広葉樹の苗木を提供して市町村に森をつくってあげたい等を話し合いました。総会には多くの会員の皆さんが震災の影響で出席できませんが、欠席する会員の皆さんのから託された“山と心に木を植える”事業を創り出す総会にしていくことにしました。

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2011年3月17日 (木)

佐藤光夫さんからのメールです

炭の力によってナラ枯れを何とかしたいと連携している佐藤さんからメールが届います。是非、読んでください。

★★★ みなさんへ
2011年03月15日21:36
今日の朝方発電所から避難させられ福島の親戚の家で家族と合流しました
とりあえず私は無事です
お前だけは安全な所へと言われ泣きながら企業さんの車で発電所をあとにしましたÖ
本当にこのような事になってしまい本当に申し訳ありません
東電はすごく叩かれてるÖ
でも逃げずに命懸けで作業を続けてるのも東電です
どうか非難しないで下さい
私も東電の社員として福島第二原発の所員として昨日まで現場対応にも参加してました
大津波警報で夜中の3時足元も見えないまま死ぬ覚悟で海の目の前での復旧作業Ö
冷却機能のある機械は海側のため津波でやられてしまいなんとか復旧しようとみんな必死でした
みんな疲労と戦いながら足を引きずりながら作業にあたっていました
冷却機能を復旧できなければ第二原発も第一原発のような爆発が起きていました
それを防いで全号機冷温停止させたのも東電です
発電所を見捨てて逃げればこんな状況では済まされません
逃げずに立ち向かっているんです
津波の影響は想像を遥かに超えていました
地震だけであれば第一原発の爆発も起きなかったんです
みんな自分の命を顧みず停止する作業に全うしてます
多々噂があるけど避難勧告の圏外にいれば健康に影響ある程浴びる可能性は低いです
健康に影響がある程浴びるのは発電所で頑張ってる作業員のみんなです
殆ど寝ず食わずで現場に行っています
噂に左右されず避難勧告圏外へ避難して外気になるべく触れないようにして下さい
彼氏は今もずっと発電所で夜勤を続けてます
今はただ皆の安全を祈るしかできないÖ
一番怖いのは発電所で作業している皆です
逃げずにそれに立ち向かっているのは東電と関係企業さんです
家族との連絡がつかない人もたくさんいるけど現場へ向かい作業をしてます
それだけは忘れないで下さい
一人でも多くの人に知って欲しい
悪用防止の為コピーではなくURL公開して下さい
発電所のみんなは逃げずに今も戦っています
住民の皆様には不安な思いをさせて大変申し訳なく思っています
誹謗中傷覚悟の上で名前も載せます
皆を守る為自分の命と引き換えに今も作業をしている人がいます
こんな状況ですが自分の命を顧みず立ち向かっているみんなを見て一緒に復旧作業に当たることができて東電社員であること福島第二原発所員であることを誇
りに思います


東京電力
福島第二原子力発電所
電気機器グループ
大槻路子 

森びと検索

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