カテゴリ「森の声」の168件の記事

2010年4月19日 (月)

モンゴリナラよ、元気になっておくれ

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 足尾ではやっとヤシャブシが若葉の蕾を開こうとしているのに桐生のモンゴリナラは眩しいほどの若葉色を見せてくれました。今日は2月21日に炭を撒いたモンゴリナラの観察会に参加しました。群馬県内から集まった30名程の皆さんと若葉を付けたモンゴリナラの健康状態を観ました。

 モンゴリナラをよーく観ると炭を撒いた樹木の枝の葉(右)とそうでない樹木の枝の葉(中)の大きさが写真の様に違っていました。また、梢枯れが多い樹木の枝の若葉は写真(左)のようにひとまわり以上も小さくなっていました(全て地上から高さ180㌢程の枝)。この写真で炭の効き目があったという印象を皆さんに与えようとしていません。この3本のモンゴリナラの葉の生長度合いを確かめるための素材としました。この3枚の葉は葉の生長が終わる頃の葉の変化があるのか確かめたいと思い写真にしました。

 P4190021 2月の炭撒きでは梢枯れは分かりませんでしたが、観察では梢枯れがはっきりと確かめられました。また、炭を撒いた以後の土壌の酸性濃度は測定の結果、pH6に近付いているとの報告がありました。

参加された皆さんからはモンゴリナラが元気になってほしいとの期待の声がでていました。今日は土壌も採取しましたので明日はpH測定を行う予定です。

 観察会後、林照寺住職の奥さんからはお茶や茶菓子、フルーツをご馳走になりました。ありがとうございました。

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2010年4月 1日 (木)

母島に残した“山と心に木を植える”こころ

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 昨日は母島出港でした。出港時間は10時30分でしたが一昨日の母島丸が欠航しましたのでその分のコンテナを積む時間を要してか、出港が30分ほど遅れました。港には御世話になった観光協会の坂入さん、元観光協会長の山崎さんそして母島のいのちの森を案内してくれた星さんと茂木さんが見送りに来てくれました。年度末の港では東京職員のお別れ式が、小中学校の先生のお別れ式が行われていました。小中学校の先生は島で6年間も児童たちと学んでいたようです。島を離れる先生や職員の顔を見ていると、“お疲れ様でした“という声をかけたくなりました。

 Dsc_2997 短期間の森散策でしたが貴重ないのちの森に遭うことができました。数千万年も前に自然の力で作られた島に台風や漂流物、そして鳥に運ばれてきた小さな生命が進化してきた動植物がつくりだす自然の力。そしてそれは今も島の固有種として生きつづけ豊かな森を形成しています。人間はその恩恵を受けてゆっくり生きていました。その島の人たちに会うことができました。同行した相川さんには天然記念物のメグロを、田岡さんにはザトウクジラの写真を提供していただきました。

 Dsc00136 たった3日間でしたが新潟県からやってきた娘さんはアオウミガメのふ化を助けていましたし、川越出身の茂木さんはいのちの森を守っていまし、茨城県出身の坂入さんはアカギから固有種を守っていました。そして硫黄島生まれの山崎さんは母島の自然保護と観光のために汗していました。いろんな方々の地道な努力がで島の固有種が守られていることが分かりました。

 本日、一行は15時45分竹芝桟橋に着きました。またひとつ“山と心に木を植える”仲間たちの絆が太くなった心の森探訪でした。

2010年3月30日 (火)

生命(いのち)の森を守る新たな出発へ!

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 3日目の朝は小笠原観光協会に向かい、元観光協会会長・山崎止さんと同協会・坂入祐子さんにお会いしました。観光協会では母島の固有種を守ろうとアカギ伐採を進めていますが、森の所有者を捜し当てるのが大変な作業であると言われています。私たちが母島を訪問するに当たって観光協会の皆さんに御世話になりましたが、その過程で岸井成格理事長は母島の森を所有していることが判明しました。観光協会としてはアカギ伐採を進めていくためには森所有者の承諾が必要であり、是非、岸井さんの許可がほしいと願っていました。私たち一行は岸井理事長から「戦没者慰霊碑を建立しているので確認してほしい」と頼まれていました。慰霊碑を探し当てるには地元の方に案内してもらわないと分からないと思っていましたので、両者の思いが一致して私たちは協会のお二人に案内していただきました。

P3300234 案内をしていただく過程では、観光協会が始めている悲惨な戦争を風化させないために探照投下砲台の保存をしていました。岸井さん所有の森の中にも砲台跡は3箇所もあり、当時の悲惨な様子の話を聞くことができました。砲台跡がある森には巨木と言えるカジュマルが生きていました。その後は長浜地区のトンネル入り口周辺を探し回り、岸井さんのお母さんの遺言で岸井さんが建立した戦没者慰霊碑を探し当てました。

P3300217 昼食後は、東京都最南端にある小富士周辺の自然を散策しました。

2010年3月29日 (月)

未来を見据えた森づくりが大切だ!

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 東京は冬に逆戻りという天気だそうですが今日の母島は爽やかな夏のようです。天気に恵まれた今日は母島固有種が多く棲息している原生林を観察しました。9時過ぎ、堺ケ岳登山口を出発して約6時間ほどメグロやメジロ等の鳥がさえずる原生林の中を観察しました。P3290263 広域に生きている樹木はモクタチでこの木の寿命は短く、枯れて土に還る働きをしています。そこに主木のウドノキ、アカテツ、オガサワラグワ、ホルト、ハツバキ等が原生林となって生きています。ウドノキは大人4名が手を回しても届かないほどの巨木になり、オガサワラグワも巨木であったことを物語る切り口がいくつもありました。星さんの案内によるとオガサワラグワは明治神宮の門を作製するために多く切り出されたようです。

 P3290341 この原生林で問題になっているのはアカギが増えすぎて母島固有種の樹木を弱体させていることです。戦時中、この地では昭和18年頃まで鰹節作りが盛んに行われましたが、この年頃から引き上げ者が内地へ戻ってしまうと鰹節作りは収束しました。燻り出す燃料としてアカギが鰹節作りには欠かせない木であったと言います。そのために国の政策としてアカギを植林しましたが、引き上げ以降は放置されそれが貴重な固有種を弱体化させています。現在、伐ったり薬剤を注入したりしてアカギを枯らしていますが、現場ではアカギの勢いが強いと感じました。房総のマテバシイ植林と放置による森の衰弱、杉の植林と放置による森の衰弱と同じような問題が母島では起きていました。

 案内してくれた星さんは母島固有種を絶やさないために種から苗木を育て、母島の原生林を守っていました。星さん、茂木さんありがとうございました。

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2010年3月25日 (木)

ドングリ一年生が誕生しました

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 川崎市の小学校は今日が終業式です。昨日、川崎市古川小学校を訪れましたら校庭に生えている桜は開花していました。

 P3240215 昨日は「どんぐり教室」3時間目の授業が行われました。一年生3クラス87名の授業は9時20分から始まって11時45分(休憩時間15分含む)まで、昨年蒔いたドングリが芽を出してドングリ一年生になれたことを歓び合いました。

 P3240234 1クラスずつ図工教室に集まった担任の先生と児童たちは、一年生になったドングリの木が大きくなって虫や鳥の家、たべものになったりする木の役割とその大切さを学び会いました。昆虫の食べ物である木の葉やドングリ、鳥やリスなどの家となっている幹、水を貯めている根などの写真を観ながら、そして青森びばやクスノキの臭いを嗅ぎながら私たち人間も木(森)がなければが生きていけないことを学習しました。授業の締めくくりは2年生になってもこの木を大きく育て木を植えに行こうとドングリ先生の髙橋副理事長と誓い合いました。

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2010年1月 1日 (金)

全ての命は森に守られている

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 新年明けましたおめでとうございます。筆者は森の中に住んでいますが、朝7時の気温は-12度でした。今年の元旦は例年よりも2~3度高いようです。天気予報では1㍍程の降雪がある予測でしたが、除雪機を動かすほどではありませんでした。
 朝一番にやることは薪ストーブに残った僅かな炭火に薪を載せ、ストーブの火を消さずに暖をとることです。次にはラジオのスイッチを入れ、各地の新年の様子をニュースで聴きます。ニュースで流れる各地の様子に重ねて、各地の森びとインストラクターの顔、正会員やサポーターの皆さんの顔を思い浮かべています。
 昨夜はフォーラムのクロージングスピーチを振り返ってみました。岸井成格理事長が述べた、「世界も日本も文明の岐路に立っています。・・・文明が大きく変化するときは、原理原則、原点から物事を考えていくことが一番大事です」。エネルギー、食糧、水そして地球温暖化問題が私たちの目の前に深刻な問題になっていることを考えていく場合、私たちは「何ができるのかを考えると、木を植えることそして炭を撒くこと、ここからスタートする。全てに優先してこのことをやっていくことなのだ、ということを改めて強く感じました」。
 目の前の深刻な問題の解決策は、“人は森生かされている”ということから物事を考えていくとそのようになるようです。こんなことは多くの皆さんは分かっているのはずなのすが、COP15では世界の主要国首脳の顔は平気な顔の様子でした。今年のCOP16は森の中で議論を交わしてほしいものです。

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2009年12月27日 (日)

「日本の森を救う緊急提言」にご賛同を!

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 今年も残すところあと4日になにました。今日、森びとホームページでは地球自然環境を憂う皆さんへ、日本の森を元気にするための「日本の森を救う緊急提言」を訴えかけました。是非、緊急提言を読んで頂き、多くの皆さんからの賛同とご意見を頂戴したいと願っています。また、私たちは新春から「日本の森を元気にする仲間たち」に呼びかけて、衰弱している森に炭を撒いていこうと計画を練っています。炭撒きの計画はホームページ上でその都度呼びかけていきます。
 COP15の結果は人間の命よりも“国益”が優先になってしまうという原因で、責任の擦り合いと途上国への支援を盛り込んだ程度で終わってしまいました。115カ国の首脳が出席した会議なのになんと情けないことなのか、と空いた口が塞がりませんでした。
 嘆いていても自然環境破壊はなくなりません。できることを地道に行い、“山と心に木を植えて”いくしかないとおもいます。写真・左のポット苗は白く菌根が付いている根の苗、右が菌根がない根の苗です。元気の違いが分かります。この差は炭です。ポット内に粉炭を混ぜて苗を植え替えした苗は元気なようです。2010年は、“燃料炭から生命炭へ”をもう一つの合い言葉にして、日本の森の土壌を元気にし、元気な土壌に木を植えていきたいと願っています。
 今年一年間、皆様のご支援に感謝いたします。

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2009年12月25日 (金)

民主党、国家戦略室へ緊急提言を提出

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 今日の衆議院と参議院議員会館内は様々な方々が忙しく歩いていました。何故かと思いましたら、来年度予算案が本日、閣議で決められる日だからだ、ということでした。そんな中、当委員会は「日本の森を救う緊急提言」を民主党に提出しました。
 小沢一郎幹事長に代わって提言を受理してくれたのは細野豪志副幹事長でした。岸井成格理事長が提言の主旨を説明し、その後、日本の森を元気する特効薬である炭のパワーを実感してもらおうと炭をプレゼントしました。この炭は、青森県三戸郡新郷村の特産品で、須藤良美村長から提供されたものです。
 Img_0991 午後は、フォーラムに参加し最後まで耳を傾けてくれた平山誠参議院議員事務所を訪問し、日本の森を元気にするアドバイスを頂戴しました。その後は、国家戦略室を訪問し、菅直人副総理兼国家戦略担当内閣特命担当大臣へ提言を提出しました。提言の主旨説明は髙橋副理事長、宮下理事、稲葉理事が行い、戦略室の内閣審議官・梶山さんからは「森林・林業再生プラン」(新たな森林・林業政策)の考え方を聞きました。フォーラムの声が国会の中にも伝わっています。(仁平事務局員発)

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2009年12月24日 (木)

「日本の森を救う緊急提言」を参議院議員に説明

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今日はクリスマス・イブで街は賑やかですが、国会議員の皆さんは忙しそうでした。今日の昼は、民主党副幹事長・今野東参議院議員事務所を訪問し、日本の森を元気にするための「日本の森を救う」緊急提言について訴えてきました。

今野東議員の紹介はJR東労組の佐藤公雄執行副委員長さんにお願いし、同行して紹介して頂きました。森びとからは、稲葉理事、清水事務局次長が今野副幹事長にお会いして、日本の森が衰退している現状、その原因は酸性雨などであり、酸性化した土壌改良を国の政策として早急に実施できるように、民主党の力を貸してほしいとお願いしてきました。

今野副幹事長には、日本の森の衰退状況を認識して頂き、国会議員としても勉強していかなくてはならないアドバイスを頂戴しました。難民支援や平和を守る活動に尽力されている今野副幹事長に年末のお忙しい中、快く対応していただき大変ありがとうございました。また、今野副幹事長を紹介してくれました佐藤執行副委員長ありがとうございました。(清水事務局次長発)

2009年12月18日 (金)

伝統建築で家が作れないなんて、日本はおかしい!

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 木の文化の素晴らしさを現代に活かす一人でありたいフランス人・ロアさんの講演の後半は、その素晴らしさを壊している私たち日本人への怒りでした。
 ロアさんは、いいものを作りたいと思っても邪魔な事が日本にはある。例えば、日本の伝統的建築では柱の元は丸い石が使われているが、この方法だと地震が起こっても建物は全て壊れない。ところが現代は、無理矢理に木に金物を使わなくてはならない。余計なことをすると木造建築は駄目になってしまうのに、お寺を作るにも金物を使わないと駄目なんです。建築基準法を考えている人は何を考えているのか、と。日本の木の文化の素晴らしさを壊している日本人のおかしさを、フランス人のロアさんは嘆いていました。
 そう言われると地震や土砂流失等の現場写真を見ると、コンクリートは壊れているが神社は全て壊れていないのが目立ちます。柱や屋根は流されている、移動していることはあってもそれらは改修可能な木材となって残っているようです。
 P1030615_r ロアさんの匠・加藤吉男さんにお会いした時、棟梁は「地震、土砂流出そして大火事が発声した場合、必ずその現場に立つ」と言ってしました。その現場に残っている伝統建築と近代建築の相違を身体に染み込ませている、とも言っていました。ロアさんの怒りは、そのような棟梁の技の基底に脈々と流れている木の文化へのこだわり、木に生かされている人間の心への怒りであるような気がしました。
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