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2009年2月14日 (土)

”助け合い”の心には勇気と覚悟がありました

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 昨日、川俣事件の現場に立ちました。群馬県明和町川俣の現場には、当時の農民たちの運動とそれを支援した川俣村民の心が碑に刻まれていました。
 午前中は谷中村跡地を踏査しました。遊水池反対運動によって少しばかりの村跡が残っていますが、私たちはその地に立って当時の生活と鉱毒反対運動に決起した農民の心を振り返りました。当時の生活を振り返ると、家は高台に建てられ、この高台はケヤキ、クワ、クヌギ、オニグルミ等の木によって守られ、大雨で田圃や畑が雨で水没しても村民はあわてず、むしろ山から運ばれるくる栄養豊富な自然の恵みに感謝していました。その間の交通手段は和船を使って、村人は行き来していたといいます。
 午後は、農民たちが集結した雲竜寺から官憲の弾圧と弾圧に抗して戦った農民を支えた川俣現場に立ちました。明和町川俣に建立されていた碑には、「当時の佐貫村長や村民は、負傷した農民を真如院にて手厚く介護した」と刻まれていました。
 当時の川俣村民は鉱毒に苦しむという状況ではなかったようですが、請願行動に決起した農民が官憲に弾圧されているのを見て見ぬふりをしませんでした。当時ですから、官憲や天長さまに逆らうことは相当な覚悟と勇気が必要でした。しかし、川俣村長と村民は人間の生きる権利を堂々と主張し、権利を行使したことがこの碑には明確に刻まれていました。
 この碑を読み、「真の文明は、山を荒さらず、川を荒さらず、村を破らず、人を殺さざるべし」という田中正造の精神が、現代にも脈々と流れていることを実感しました。

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