人と森に生かされていることを忘れない日
1973年の今日は、足尾銅山が360年もの歴史を閉じた日だ。労働運動の発祥、外国人の強制労働、そして国策によって多くの農民の健康を害し、暮らしを奪った公害の原点の地。
この地で命を育む森づくりをしている私を支えている精神と情熱は、1989年から足尾現地調査を繰り返し、そこで学んだ南助松、永岡鶴蔵の労働者としての生き様、自然と向き合っていくことの大切さを信条にして明治の国家権力と闘ってきた田中正造、中国での戦争責任を反省していた猪瀬健造たちの諸先輩、そして廃村に追い込まれた松木村の子孫「松木会」の悔しさである。
現在は、足尾アルプスに一世紀以上生きぬいている孤高のブナから元気をもらっている(写真)。このブナからは、“煙害の次は温暖化で俺たちを殺すのか”、と言われている気がする。稼げるわけでもなく、資格をも取れるわけでもないのに、年間100日も現地を訪れて森づくりをしているスタッフも同じ気持ちだ。
理事の宮下正次さんから「桜が咲いた」、と写真が送られた。数年前、500年は持つだろうと言われた木造の家を建てた時、記念に植えた桜だ。今日は、森に生かされていることや人に支えられ、助けられている現実を忘れてはならない日だ。(理事 髙橋佳夫)
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