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2024年8月の13件の記事

2024年8月10日 (土)

フカフカの苔に守られて育樹作業

本日の足尾は、9時、気温30度 晴れでした。

「仙人に歓迎」?、ではなく満開のセンニンソウに歓迎され松木郷に入りました。つる性の植物、仙人の髭に似ていることが由来だそうです。別名「ウマクワズ」と。

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早く来た加賀さんは、森作業の草刈りの準備をしてくれました。また、みちくさの車を止めて置く所の草刈りもしてくれました。加賀さんは、安全に森作業のために蜂ジェットとクマスプレーを買って持ってきてくれました。

みちくさでオープンの準備をし、橋倉さんがみちくさ当番で、あとの3人は、先日出来なかった民集の杜西の草刈りをすることにしました。

 

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直ちに、仮払い機を持って、作業小屋を通り過ぎ民集の杜西南側の入り口から道路に面した北側の入り口に向かって草刈りを行いました。草はススキやヨモギなどが、人の胸辺りまで背丈がありました。通路の日当たりのよい場所で草を刈ると地面から苔があらわれ、コケをはぎ取らないように注意しました。民集の杜西は、コナラやクヌギが多く生い茂っていて、落ち葉と微生物から栄養をもらっているからなのか、日陰一面に苔(スギゴケ)が群生していました。

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木陰で一休みし、加賀さんと二人でフカフカの苔の絨毯の上を歩いて、改めて森の優しさに森に生かされていると感じつたわりました。民集の杜西の通路の草刈りは、桜並木の草刈りをし、鉄塔の所まで行いました。 

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午後は、昼食を食べて、4人で当面して年末までの松木郷の育樹予定を打ち合わせしました。その後は、清水さんが取りに行ってくれたJR労研有志一同の記念樹「JR労研の木」(イチョウ)の看板とサンデーモーニング膳場さん親子の記念樹「希望の木」(キバナフジ)の看板設置を行いました。

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取り付けが終わるころに、群馬県上里か来た親子4人がみちくさを訪れてくれました。橋倉さんが、小学生の子供にハンモックをセットしてもてなしてくれました。

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最高の笑顔でピースをナイスショット。「ハンモックがあるならば○○ちゃんもつれてくればよかったね」と親御さんの感想。帰り際に大粒の雨がポツポツ落ちてきたので、駐車場まで送りました。お疲れ様でした。

本日の森の育樹は、加賀、清水、舎人は橋倉、大野でした。

<報告者は大野昭彦>

2024年8月 5日 (月)

猛暑下でも、森の木陰に咲くヤマユリの香りに癒されました。

 8月4日(日)、“みちくさ”の気温は朝から33℃もあり、オープン準備をしている間に35℃になりました。暑い日が続き松木を訪れる人の数も減っているように感じます。

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 「こころの園」の獣害柵周りの草が気になり、草刈りを行おうと考えていましたが、炎天下での作業は熱中症の危険もあるため、橋倉さんと相談して開花が気になっていた民集の杜(東)のヤマユリの様子を見に行くことにしました。

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 2011年の植樹地内のコナラの脇に根付いた一本のヤマユリは、盛りを過ぎて半分しおれていました。少し南に離れた場所に根付いた4本のヤマユリは、根本の石を熊が動かしたのか、茎が折れ倒れていました。

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 1本に2輪の花が咲いており、そのままでは残念なので、来年も花の数が増えるよう願って、支柱を立て、ネットで囲い補強しました。

 

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 午後は、岩手県から見えられた若い男性の来訪がありました。

 猛禽類が好きで全国を見て回っているそうです。たまたま仕事の研修で群馬県沼田市に来ていることもあり、近くの足尾の山を見に来たとのことです。しばらく眺めていましたが見ることはできず、ここら辺ではワシやタカはまれだという事でした。林業関係の仕事に就いているそうで、足尾の歴史や旧松木村などにも関心を示し「また来たい」との事でした。研修に来られた際にはぜひお立ち寄りください。

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本日の舎人は、橋倉、坂口でした。

(報告:坂口)

2024年8月 1日 (木)

原発再稼働にノー!地域から複合災害への備えを考えよう!

 7月24日以降、秋田県・山形県に降り続いた記録的な大雨は河川の氾濫や土砂崩れが発生し、テレビに映し出される映像は現実のものかと目を覆うような状況でした。浸水にとどまらず集落が水没。土砂崩れによって工事現場の作業員が行方不明となり、住民からの救助要請で現場に向かった20代の若き警察官がパトカーごと流されて尊い命を落とされてしまいました。増水した川に流されて亡くなられた方もおり、ご冥福をお祈りするばかりです。

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 海水温上昇の影響を受けた梅雨前線は、避難する・救援に向かう道路を水没させ、また、道路を削りとり、逃げることも救助もままならない状況を生み出しました。自然の猛威に対して、人間の力であらがうことは出来ず、過ぎ去るのを待つことしかできないことを改めて実感させられます。個人の「備え」から、地域に住む人々の命を守るための「備え」を考えなければなりません。

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 4月6日「原発回帰と気候危機に向き合う生活を考える意見交換会」で議論された心配が目の前に現れています。問題提起をされた科学ジャーナリストの倉澤治雄さんは、「原発事故は複合災害」と話されていましたが、地震ばかりでなく豪雨も重なった状況下では住宅内避難も、指定された避難所への移動も出来ないことが明らかとなりました。

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 7月26日、原発再稼働を求めていた日本原子力発電敦賀原発2号機(福井県)が原子力規制委員会の調査によって東電福島第1原発事故後に出来た新規制基準に適合していないと判断されました。1990年代から敷地内に活断層の存在が指摘されており、専門家は「原発の立地場所としては、何重にも不適切だ」と批判をしました。

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 1月1日に発生した石川県能登半島地震では海底が4m隆起し、陸地は2mの隆起と亀裂が走りました。約8万4千戸の家屋が被災し、7か月が経過した今も復興が進まず、2万人近くが避難生活を余儀なくされています。避難生活などが原因で亡くなった災害関連死の方を含め死者が339人(7月30日時点)に上る見通しになりました。

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 規制委員会の原発審査では初の「不合格」という決着が見えてきましたが、原電はなおも「再稼働」を求めているようです。さらに、政府は原発の新増設の建設費を電気料金に上乗せできるようにする支援制度を検討していることが明らかになりました。

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 ユーラシアプレート、北米プレート、フィリピン海プレート、太平洋プレートの上に乗る日本列島は世界最大の地震の巣です。その不安定な日本列島に原発を建設することは国民の命をないがしろにする行為以外の何物でもありません。原発再稼働・新増設にノー!です。

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目先の経済的利益より、将来世代にわたって命と暮らしが守られる判断を求めたい。

(運営委員:清水卓)

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