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2023年6月 1日 (木)

地球環境危機下で「いかに生きるか」を考えるシンポジウム③

 5月27日のシンポジウムでは4名のパネラーからの報告を受けて、18名の参加者から質問や意見をいただきました。限られた時間の中ですので、発言をいただくことが出来なかった方もおりました。栃木県で足尾の森づくりに汗を流すYさんから意見が届きましたので紹介させていただきます。

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 「パネラーの皆様ありがとうございました。皆様が地球の環境危機に対して大きな危機感を持って毎日を過ごされていらっしゃることがヒシヒシと伝わってきました。私も少しは危機感を持って新聞を読んでいますが皆様の危機感と比べるとまだまだと感じてしまいました。

 本日のシンポジュウムのテーマ地球環境危機下で「いかに生きるか」についてですが私もこの機会に少し考えてみました。

 「人と自然との距離」が昔(私の子供の頃)と今とでは大きく離れてしまっている事です。特に都会では距離の離れは大きく、無いと言っていいほど離れてしまい身近の自然環境危機に鈍感になってしまいました。

 

Photo(東京都 品川区)

 私の体験している昔といっても私は昭和20年生まれですのでそんな遠くない昔です。

 小学校から中学校の頃は未だ家の周りには空き地や池、土も沢山ありました。そこで遊びといえば外でが当たり前で、家にいれば外で遊びなさいと叱られました。外では自然に触れ合える体験が出来る環境が身近にありました。

 田口則芳さんの生活されています秋田とは雲泥の差がありますが、公園も今のように人工的に整備されておらず、昆虫、魚(鯉)、ザリガニなど沢山採ることが出来ました。夏休みの宿題に昆虫採集の標本を作り提出したことを覚えています。そんな環境で遊ぶことが出来ましたが少しづつ家の周りの環境が変わってきました。まず隣にあった空地が無くなり、公園が人工的に整備され、池に近寄れなくなりました。大きな庭のあった家は宅地開発で小さく区画され木が切られ昆虫も採れなくなりました。そしてだんだん外で遊ぶ子供がいなくなり、道が舗装され土が無くなり、高層ビルが建ち空さえもなく無くなりつつあります。

2(秋田市 河辺岩見の清流)

 私たちの子供の頃は自然との距離が近く触れ合うことが出来ましたが、今の子供たちは特に都会の子供の周りには人工物ばかりで身近な所に自然がありません。親に連れられてお金を出して自然体験をする環境に育っているのが現在です。

 子供時代に自然と触れ合う体験の少ない子供に、自然への感受性が少ないと責められません。その子供たちが大人になっても引きずっていて自然への感受性が少ないのもしょうがありません。

 自然環境に関心が薄いのは自然の不思議さ、楽しさなどが想像出来ないからではないでしょうか。

 本やテレビで読んだり見たり聞いたりしても「生きている生物」を体感として肌で感じなければ知識として残るだけで感動は得られません。感動が無ければ自然に目を向けることはしません

 栃木県ファンクラブは幸いにも高齢者が多く子供の頃、遊ぶといえば外でお金を掛けず周りに沢山あった自然で育った人たちで自然から感動を受けた人たちばかりです。今の大変な作業を楽しそうに行っているのは子供の頃に自然と沢山触れ合った体験が忘れられないでいるからと思っています。

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(足尾 臼沢西の森 里親植樹の幼木たち)

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 我々が自然から受けた楽しい場を我々大人が壊したために自然の楽しさを体感出来ずにいる子供たちへ少しでもその場を提供し、パソコン以上に面白いことがあることを知って貰いたいと思っています。

Dsc013922(足尾・中倉山 孤高のブナ保護に協力する親子)

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私の生活も消費生活の拡大に満足を求めるのではなく、無駄な消費を省く生活でも満足できるような毎日を過ごしたいと思っています。」(栃木県・Yさん)

(報告:清水 卓)

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