地震大国・日本では原発と共存はできない
今年1月1日、石川県で震度7の揺れを観測する大地震が発生し、建物の倒壊や津波の被害などで死者は240名以上、地盤の隆起は最高4mが確認をされています。運転停止となっている志賀原発のある志賀町は最大震度7を観測し、1号機・2号機共につなぎ目に亀裂が入るなど一部の危機から油が漏れる不具合が発生しました。石川県が定めた避難計画では、志賀原発から30キロ圏内にある市町村のうち北側は能登半島方面へ、南側は金沢方面へ避難することになっています。しかし、今回の地震で原発から30キロ圏内の7路線は通行できない状況になりました。あらゆるリスクを想定して避難計画はつくられたものですが、自然災害はそれをも超えてくるということであり、原発の再稼働には大きなリスクがあることを実感せざるを得ません。
現地に立ち、被災地から現実を学ぶため、一般財団法人日本鉄道福祉事業協会と森びとプロジェクトとの共催で脱原発・脱炭素社会への課題は何かを掴み取り、広く社会に訴えていくべく、6月1日~2日に4名が能登半島地震視察へ向かいました。
初日は志賀原発のある志賀町に向かいました。志賀市は震度7を記録しており、町役場の敷地内外には亀裂や隆起が目立ちました。
2日目は、2003年に凍結された珠洲原発建設計画の反対運動を中心で闘われた円龍寺の住職・塚本真如さんに同行していただきました。珠洲市に向かう道中では途中から激しい亀裂や段差が目立ち、土砂崩れにより片側通行の箇所がありました。
珠洲市に入ると、1月1日の地震直後と思うほど復興とは程遠い状況を目の当たりにしました。5か月が経過し、TVや新聞で報道をされることが少なくなっています。意識をしないと風化してしまう恐ろしさを感じるとともに、なぜ復興は進まないのか疑問に感じました。建物は甚大な被害を受けたため、建て直しをするために公費解体を待っている状態で、石川県では申請の1%ほどしか済んでいないと言います。
その後、高屋地区に向かいました。この地区では、道路が寸断され、津波と海岸の隆起によって海路での避難もできず、一時孤立状態となっていました。
海岸に向かうと、陸域が広がり、白い部分が多くみられますが、ここは海の中だった場所です。子供のころ、塚本さんが遊んでいた場所で、変わり果てた様子に気を落とされているように映りました。
続いて、塚本さんの円龍寺に向かいました。本堂やご自宅にも入らせてもらいましたが、そこは生々しい様子で5か月経過した現在も時は止まったままでした。お寺の立て直しをするための公費解体の申請について尋ねると「最後で良いんです」と、まだ申請を出していないそうです。自分のことよりも周りの住民の方が先にという姿勢に、どうしようもできない悔しさや無念さを感じました。
高屋漁港は2mほど隆起しました。漁船が停留していますが、岸壁から船に乗り込むことができないほどの高さでした。地震前は黒いゴムのあたりまで海水が来ていたそうです。船も出航することができずに困っていました。
一昨日(3日)早朝、輪島市と珠洲市で震度5強の地震が発生しました。地震大国・日本では、原発と共存できないことがハッキリとしています。能登半島地震によりいのちと生活が脅かされ、特に高屋地区などではさらに避難ルートや支援物資、通信手段なども途絶えました。珠洲市に原発が建設されなくて良かった、志賀原発が稼働していなくて良かったと実感できます。塚本さんたちが原発建設計画阻止の闘いで貫き通した"最後までやり抜くこと”を捉え返し、脱原発・脱炭素社会に向けて発信をし、行動していきます。
(報告:運営委員・小林敬)
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