草木にも「権利」がある?この視点から人間の暮らしを考えてみたい
今日は立春。日に日に陽が暮れていく時間が遅くなっていることが嬉しい。昨日も、仕事帰りにいつもの時間では見えない富士山の悠々としたシルエットが美しかった。
立春の本日、アパートから事務所に向かう途中、足元に生きる草の小さく可憐な花やいつもの紅白の花を咲かせている梅は今年も元気そうだ。その花の蜜をなめているメジロも梅の恵みが嬉しそうであった。
雪国の方々には申し訳ないが、筆者の心の中は“春”。毎年、さまざまな環境に適応して、人間をこんな気持ちにさせて、鳥たちをはじめ全ての生きものの命を育んでいる草木には計り知れない「知性」があるのかもしれない。
来週からは足尾の荒廃地で自然と向き合う。今年は、足尾の草木と向き合って草木の「知性」をつかみたい。標高1,500㍍以上の中倉山の稜線に生きるブナが、環境の変化に向き合って、どうして一世紀以上も生きていられるのか。ブナの「知性」を発見し、それを人間の暮らしに取り入れたいと思う。
もしかすると草木にも生きる「権利」があるかもしれない。この「権利」をはく奪して、人間の欲を追求しすぎると「バチが当たる」気がしてならない。(理事 髙橋佳夫)
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