先人の知恵は脈々と長生きしてほしい
寒の入りが始まると身も心も締まる感じです。寒さはそのきっかけをつくってくれます。その経験が積み重なって、体得となり、暮らしの知恵と文化に発展されてきたのかもしれません。
昨日は春の七草粥を食べました。フランス人も春の訪れとともにデパートの食品売り場でタンポポの葉を買って食します。雪国・下北半島の方も雪が融けだす頃、イワシの焼き干しと味噌と柔らかいタンポポの葉を混ぜたものをホタテの貝殻で焼き、最後に卵をからませて食します。
始めて食した先人は相当な勇気があったと思います。毒が含まれているかもしれない、棘があって身体を傷つけるのではないか等など。食べてみると、身体の変化に気づかされ、柔らかい葉は身体に良いタンポポとなっていったのでしょう。現代では、葉の植物繊維の働きによって整腸される、となりますが。
七草粥を食べる、ということは無病息災を祈るということが言われています。“自然の力に感謝し、植生を敬う”という、人は森に生かされていることを身体に吹き込む、ということではないかと思います。そんなことを思って食べました。
ラジオニュースやテレビ報道を観ていると、寒の入りに感謝する気分にはなれません。「癇(かん)」に障ることが多い新年明けですが、生物社会の小さなコミュニティーが人間社会に過ぎない、という冷厳たる事実からこれからの文明を創造したいものです。
筆者は現役時代に、中国から北朝鮮に米と塩を列車で運び入れました。食糧難で困窮している北朝鮮の子供たちに立食べてもらおうと。その時、感じたことは北朝鮮の森には木々が少なく、雨が降る度に農作物が一気に流されてしまう土地になっていた、ということでした。
(理事 髙橋佳夫)
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