« 地球を駄目にしている「常識」は非常識? | メイン | 人(生命)への情熱は森づくりへ »

2009年1月 6日 (火)

本物(常識)は森から育まれる

P1060320

 冬の夜8時過ぎ、ライト灯りひとつで森を歩くと緊張の連続です。熊は冬眠しているので心配はないのですが、小さな風の音にも神経が凍るよな場面があります。しかし、何度となく夜の森を散策すると緊張は緩み、人間は自然の一部だ、ということが実感できます。
 「身体は自然だといわれたって、なにを変なこという、とふつうは思うに違いないのである。環境とはあっちの話だと思っている。そういう人が多いはずである。あっちではない。じつはこっちなのである。」、と養老孟司さんは述べています。
 私たちは森に生かされている、人間は自然の中にすっぽり埋まっている、という常識は、「フツーの常識」ではないのです。この非常識である「フツーの常識」で私たちは生きてきましたが、この常識で地球を駄目にしてしまいました。「あまりにも目に見えるもの、計量化できるもの、既存のデータのみに重点を置き、その延長線上に未来を予測したのがすべての間違いだった」(宮脇昭最高顧問)、と述べているように、駄目になりつつある地球環境問題の処方箋は、「フツーの常識」では効き目がなく、50年後の地球が心配です。
 以前の日本人は、木を伐った後には森に感謝し、木を植えました。現在、ドイツ国民は1本の木を伐ったら3本の木を植える、という精神を、大人が子どもたちの心へ育んでいます。それは森の中で行われています。
   

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://bb.lekumo.jp/t/trackback/330076/17702700

本物(常識)は森から育まれるを参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿

コメントは記事の投稿者が承認するまで表示されません。

森びと検索

最近のトラックバック