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2008年8月17日 (日)

生きる武器は森の中から蓄えられる

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 14日、友人夫妻と黒斑山に登りました。この山は天然カラマツ群落が保護され、浅間山第一外輪山の最高峰(2404㍍)です。黒斑山から浅間山を遠望しようと登りました。
 浅間山は東西南北から見ると一本の木も生えていないように見えます。実際、低いすそ野部分に木が生えている程度ですが、今回、登ってみてすそ野部分ではあれ素晴らしい森のエネルギーを感じました。車坂峠かから黒斑山までの表コースには火砕流後の裸地から火山植生へと植物が定着している様子が分かります。観察をしながらの登山であったので、黒斑山頂上へは2時間程かかりました。頂上から見た活火山の浅間山は外輪山の植物群からしっかり支えられていると感じ、この植物群は下流の人々に豊かな水を蓄え、動物たちには餌や棲み家を与え、未来へ命をつないでいることが実感しました。そんな自然の教えを語り合いながらコーヒー、紅茶を美味しくいただきました。
 下山は中コースを歩きました。木々は針葉樹が多く、コメツガ、オオツガ、シャクナゲ、そして通称「天カラ」と言われている樹高20㍍以上の天然カラマツが目につきました。途中、倒木と化したカラマツの上から10本以上の若木が活き活きと根を張って生きていることに感動し、山道の周りにはオオツガダケというキノコも生えていることに自然の恵みを感じ、「自然は、自分の力で未来に向かって生長していくことができるエネルギーをもっている」というフォーラムでの訴えを実感しました。
 敗戦63年目の日は、『浅間山』(郷土出版社)をパラパラと乱読しました。敗戦日と言うこともあって浅間山を舞台にした歴史に目がいきました。現在の浅間山周辺はリゾート地、キャベツの生産地として知られていますが、戦時下では本土決戦に備えて陸軍の演習場等が設置され、兵隊の食糧供給のために朝鮮人を中心とした農耕隊が浅間山周辺を開墾しました。また、敗戦年の8月には、太平洋戦争時の特攻隊の西川中尉は、部下たちを南方へ送り、敗戦によって生き残った自分を責めて、戦闘機ともどもに故郷の浅間山で自爆しました。それから8年後には、浅間山での米軍用演習地化が政府によって検討されましたが、「郷土のシンボル浅間山をまもれ」を合い言葉にした県民、労働組合、学者達の反対運動によって演習場使用は取り消されました。
 これからも地球とともに生きていられることの幸せを享受していくためには、地球が病んでいる現実に対して、できることをやっていくという「実践」が改めて感じられた乱読でした。

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コメント

capricornus長野県側からの浅間山雄大です。浅間のふもとには満州から帰還された方たちも開拓し村をつくられたとか。自然の未来へ向かう力、人間が妨害してはいけないですね。

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