“森の通訳”:言葉、風や雲からの情報には直訳できないことが含まれている
20日の会議では“森の通訳”になって、培った知恵や技を次世代に伝えていくことを目指した後期高齢を迎えるスタッフたち。会議では、月に10日間も足尾入りしている鎌田さんが、森を育てているが「森を眺める日がない」と言ってくれた。これを聞いた筆者は、「危険信号だ」と思った。それほどまでに森作業に追われ、それは森づくりに「“ゆとりが無い”ということであり、怪我(健康管理)や事故(安全対策)の兆し」であると感じた。
会議に参加した次世代の一人から感想が届いた。一部紹介する。Kさんは、「億劫になった」「身体が動かない」と冗談交じりにスタッフが話す姿は、心細く、寂しく感じてしまいました。それ以上に、次世代につなごうという強い思いを感じ、これを受けとめて私なりに一生懸命やろう、と思った会議でした。
スタッフがやってこられたことが並大抵なことではないがゆえに、次世代の一人としてこれからの森づくりの形が見えなかった焦りや不安がありました。ですが、2日間かけて話して、発言して、飲んで、聴いて、笑って、また話して、こうした焦りや不安がとても薄まった気がしています。
大勢のスタッフ(インタープリター)が生涯現役を名乗っており、一切の労を惜しまず、本気で教える、伝える、と言ってくださるわけで、私たちは、胸を借りればいいのだとわかりました。また、「仕事」とは違うわけだから、もっと広く自由に考えよう、と改めて思いました。そして、オリンピックのアスリートたちのように、「叶えたいことを思い描いて努力する楽しさ」を自分の中に育てていこうと思いました。(Kさんより)
“森の通訳”とは直訳だけでは人の心や森の悲鳴を伝えきれないのかもしれない。
(理事 髙橋佳夫)
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