2024年4月 1日 (月)

「脱原発」を問い直す時がやってきた

20240401 先月に開催された運営委員会では1月発生した能登半島地震に関して意見交換をし、桜井代表の意見を訊いて、私はドキッ!としました。それは、能登半島地震では志賀原発のトラブルと地域住民の避難場所や避難方法が大きな課題として私に突き付けられ、森びとプロジェクトの規約にある「原発に頼らない・・・」とする活動はどうあるべきかを改めて議論していく必要があるのではないか、と自問自答しました。

 桜井代表は、東電福島第一原発事故時は“能登地震と同じように、道路は寸断され、避難するにも行くところは制限され、住民は孤立するのではないかと思った。県外へ避難しようとした市民の受入れ抑制をかけた一部行政、避難した市民への嫌がらせ等があり、「棄民」としての扱いを感じた”(要旨)と述べました。

 原子力発電関連産業を押し進める人たちには、弱者のいのちや健康よりも目先の利益が優先され、それを支える政治があり、雇用問題と関連業界・地方行政の財政的潤い等が岩盤のようになっています。この岩盤は情緒的な怒りやあるべき論だけを語り合っていくだけでは砕けないと思います。  

    地震大国日本、地震はいつ起こるか分からない、自然界の脅威をコントロールできない私たち。そして日本の原子力発電所は能登半島のような地域に多い。その上、想定外の異常気象が世界中の人々のいのちと健康を脅かし、その猛威は年々巨大化しています。この現実から目を背けずに、いのちと健康を守ることを第一にした活動を練り上げていかなければと思います。

20240401_154249_3    私は、珠洲市の住民が原発を稼働させなかった20数年間の住民運動からそのヒントを見つけだしたいと思います。6月の第5回総会で会員の皆さんと意見交換できることを願っています。(運営委員・大野昭彦)

2024年3月28日 (木)

アジサイの嫁ぎ先が見えたネット修復

本日、足尾の朝9時の気温6度、少し肌寒い曇り空でした。松木郷も気温の寒暖差が激しい日が続きますが、樹々たちの梢の膨らみは日に日に「もうすぐだね」と、春の囁きが聞こえるるようになりました。

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足尾・ダムゲートで森作業の参加者を待っていると3匹の猿に迎えられました。それから程なくして参加者が揃い作業小屋に向かいました。 作業小屋では、ストーブに火を入れてくれていました。そして4人で暖かいコーヒーを飲みながら打ち合わせを行い、今日の森作業は、アジサイを覆っていたネットの修復と剪定を行うことにしました。

みちくさ庭に4人で行って見ると2月、3月に降った雪に重みで、アジサイを食害から守るために覆っていたネットがすべて落ちてアジサイの芽の生長を邪魔していました。

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先ずどこから始めるか話し合いました。

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庭の西側から始めることにしました。ネットを支えていた竹が使えるか点検し、支柱に横の竹を紐で縛り付け骨組みをつくりました。それでも少しグラついているので、何か所かの支柱に紐をつけて獣害柵のパイプに縛り動かないようにしっかりさせました。

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12時を回ったので昼食にしました。

 午後は、柳澤さんが真竹4mもの約60本をトラックに積んで持ってきてくれましたので、トラックから降ろしてうんしゅう亭に保管しました。

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 午前中の続きで庭のアジサイ畑のネット修復を行いました。作業中に庭の獣害柵が何物かに破られていたのを見つけたので、新しい柵を持ってきて修繕しました。その後、アジサイがあまりに密集していて大変でしたが、枯れた枝など剪定しました。3人の恐るべきパワーに感動しました。

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森作業終了後ミーティングではアジサイの本数があまりに多すぎるので移植してはどうか、100本位か、多すぎるので栄養不足か、などの話がありました。矢口さんからは移植するなら秋が良いのではと提案がされました。検討することにして終了しました。お疲れ様でした。

本日の森作業は、清水、柳澤、矢口、そして大野でした。

<報告は大野昭彦>

2024年3月23日 (土)

ほうっておく森があってもいい

私たちが植樹を指導して頂いた宮脇昭先生の「木を植えて基本的に3年後には手入れ不要」という言葉が気に入っている。最初にその話を聞いた時は、人はどうしたらその森と付き合えるのかが理解できなかったけれど、それは森を利用するという側面でしか対象を見ていなかったからだろう。

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その後にいろいろな森を見て、放置することの難しさを知った。宮脇先生が指導して作った森の場合に限っても、結局3年後(またはそのあと)に手を入れているところがそこそこあるように思う(本当に必要な場合もあるけれど)。

特定の生態系を守る重要性や、ある種の人の管理する森が大切だということは理解はしているつもりだし、人工林(経済林)の話をしているわけではないことは断っておく。

ただ、森を管理する、という名目で、ガソリンを使って木を伐って枝を落とし木を弱らせ、ガソリンを使って草を刈りゴミに出し、はたまたガソリンを使って葉っぱを吹き飛ばしていたりさえするのは本当に意味があることなのだろうか。

森が暗いから、木が細いから、健全じゃないから(健全って何?)、人が近づくと危ないから、このままじゃ役に立たないから云々。いろいろ理由はあるけれど、たいていは無駄に伐る方向に圧が働くのが常な気がしている。自然は放置しておけばその中で持続的なエコシステムを作るということは誰でも知っていることなのに。

そろそろ人間さまの価値基準の範疇から離れた「放置した森」をもう少し見直した方が良いのではないか。奥山においては当然だけれど、これからは都市部においても実はそうした森が特に重要になっていくと、私はひそかに思うのである。(運営委員 小黒)

2024年3月22日 (金)

冬に逆戻り、北風冷たく寒くても、熱い心で森作業

 本日3月21日、足尾ダムゲート付近からジャンダルム方面を見ると、吹雪いているようで山は見えませんでした。8:30、森びと広場の気温は-2℃、北風が冷たく粉雪も吹っ掛けていました。ホットコーヒーで体を温めながら、今日の森作業の打ち合わせを行いました。

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Img_0008 作業は、3班に分かれて行いました。1班は、森びとプロジェクトに多大な貢献とご指導を頂いた岸井成格さん、宮脇昭さん、青木淳一さん、松崎明さん4名の記念樹の看板立てを行いました。Dscn0566

Img_0031 2班は、臼沢の森の貨物労組植樹地が急斜面で作業が大変なことから、以前から「階段が欲しいね」と言っていましたが、済賀さんが材料の甲羅板を自宅から持ってきてくれたので早速作ることにしました。(5月に貨物労組の人たちが森作業を行う予定)Img_0014_2

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Img_0026 階段は、17段作りました。

 3班は、4月9日に20年間、森づくりを現場で体を張って頑張ってきてくれた「第1期シニア」の方々から次世代へのバトンタッチを祈念してカツラを植えます。そのための穴を掘りました。直径2m、深さ50cmほどの穴を掘り、黒土を20袋入れました。Dscn0569

Img_0030 午後には、ビニールハウスの屋根が強風のために剥がされていたのを修理しました。その後、4月6日「原発回帰と気候変動に向き合う生活を考える」意見交換会への参加確認と今後の取り組みなどのミーティングを行いました。今日も大きな地震が栃木県・埼玉県でありました。地震大国の日本には原発は合わない、再稼働や新設は止めてることをみんなで確認・共有できる意見交換会にしたいものです。

本日の作業者は、鎌田、本間、山本、橋倉、大野、済賀、矢口、田村、山田、坂口、清水、キンバリー(敬称略)、筆者加賀でした。(報告:加賀春吾)

2024年3月20日 (水)

手塩にかけて育てた苗木を受取りました

   9年ほど前にJR東労組東京地本が取り組んだ森の防潮堤作りの一環としてポット苗を駅頭で配布し、里親として育てていただくようお願いしていました。この度、里親からご連絡をいただき、大きく生長した姿の苗木が帰ってきました。

20240320_220307    長年里親として育ててくださったのは、長野県にお住いの遠藤仁美さんです。娘さんがポット苗を持ち帰り育てていました。途中、長野県に引っ越し等があり、自立して生長できる大きさには届かず、今日まで持ってくることができなかったということです。また、連絡先が繋がらず、JR東労組のホームページの相談コーナーから連絡をしてくださり、JR東労組東京地本副委員長の対馬さんから森びとプロジェクト・済賀さんと私で苗木を受け取りました。

Dscn0164_2   少しお話を伺うことができ、今年は雪が少なく廃業するスキー場や経営形態の変更等が多く発生しているとのことでした。また、夏もエアコンなしでは過ごせなくなっており、地球温暖化の影影響なのか、環境の変化を実感せずにはいられないとの事でした。

Dscn0166    預かった苗木は、6月9日に開催される第12回南相馬市鎮魂復興市民植樹祭に持参し、南相馬市民のいのちを守る森の防潮堤に植えることとを約束しました。遠藤さん、これまで里親になっていただきましてありがとうございました。今後ともよろしくお願い致します。

(事務スタッフ・坂口真理)