2021年3月14日 (日)

森や海の恵みを無駄にすると鬼が怒るぞ

 私の住む秋田県でも雪解けがすすんでいます。山形県ファンクラブでも白鳥の北帰行前の様子が紹介されていましたが、たんぼの籾殻を一生懸命食べている秋田県の白鳥の数はすごいでしょう。コロナ禍の自粛と我慢の生活を強いられている自分にとっては、白鳥の様子がうらやましいです。

2  大震災から10年が経ちましたが、大震災の被災者、原発事故による避難者の気持ちを考えると、私たち森びと県ファンクラブとして何かできないかと、仲間たちと話し合っています。

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Photo_7  下の写真はさくらと栗の木です。キノコの菌を植え込み、なめことしいたけを収穫します。私の春の日課のひとつです。雪のある季節にチェンソーで伐りました。キノコも共生する木を選びます。菌糸の宿になる木々との共生が、やがて私たちの栄養に結実します。

Photo_8  春の海の幸、野の幸を愉しめない福島県の一部の皆さんを悔しさを思うと、大地と海も森を元気にできれば思います。秋の「鎮魂復興市民植樹祭」でお会いできることを楽しみにしています。(秋田県FC・船木藤典)

2021年3月11日 (木)

早春の中倉山ブナ保護と苗木受け入れ準備 

 本日(11日)の足尾・松木沢の「森びと広場」到着時点での気温は2℃でした。先に到着した大野さんがストーブに火を付け、小屋を暖めていました。全員そろったところで打合せ、責任者の加賀さんから、中倉山のブナ保護の準備登山と17日に納品する苗木の受け入れ準備をすることにしました。

 ブナ保護は筆者と小川SPの二人。培養土(10L)と植生袋と道具を背負い登山口からスタート。Photo_9

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 早春を感じる山道を落ち葉を踏みながら、太陽の暖かい恵みを受けて登りました。約1時間40分で頂上と稜線到着しました。早速、荷物を降ろして、植生袋に培養土を入れ、流されないように金属の金具を打ち込みました。ところが土が凍っていたので、容易に刺さりませんでした。

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 今年初めてブナに会うことが出来ました。煙害に耐え抜き、100年以上も生きている姿を見ていると、いつも元気をもらえます。そして、ブナの力強い生命力が、10年前の巨大地震と巨大津波に被災した方々、原発事故で避難を強いられた方々に届いてほしいと願いました。いつものことですが、中倉山の「無言の語り木」には森と生きることの大切さを教えてもらっています。

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3年前に設置した植生袋には充分な草が生えていました。土砂流失が止まっています。

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森びと広場では、臼沢西の植樹地の獣害のネットをビニールハウスに収納しました。

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また、暖かくなってポットの土が緩んできましたので、苗木に散水をしました。Photo_21本日の作業は、大野、加賀、小川そして筆者でした。(報告・済賀正文)

新しい故郷の土台を育てる南相馬市の仲間たち

Photo  今日は、東日本大震災・フクシマ原発事故から10年。被災した方々は心の痛みや悲しみは10年経った今でも消えることはありません。南相馬市の森の防潮堤近くでは白鳥がのんびりと旅たちの準備をしている写真が南相馬市に住む岩橋さんから送られてきた。

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Photo_3  私は、10年前の震災ボランティア以降、南相馬市の森の防潮堤づくり応援で出会った市民の皆さんと付き合っていられることがとても嬉しい。被災した市民の様々な思いが詰まっている瓦礫と山砂等の盛土に木を植えている市民の皆さんの森づくり活動やその写真を見ると、元気が湧いてくる。

Photo_4  津波に流された松の木の根で家を壊された渡部さんが、ふるさとの木による命の森づくりに共鳴してくださり、森の防潮堤づくり応援の責任者になって8年間も苗を育て、木を植えている渡部さん。副代表の菅野さんは、家族全員が津波で犠牲になり、奥様とは未だに会えていない。70歳を迎えて、年を重ねながらの一人暮らしの菅野さんも、苗木を育て、木を植えている。そんな方々のムードメーカー役と愚直に森を育てている松林さん。男性が多い中で温かい汁やお茶で場を和ます山田さんと岩橋さんの奥様。

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P1010828  寂しさや、悲しみそして原発事故への不安を語らずも、皆さんは何かに希望をつなげているのだろうと思う。その気持ちを大切にしたい。その希望は命を育む土台の森が、未来につなげてくれると信じている。私は健康である限り、その希望の土台を元気にしたい。(広報スタッフ・高橋佳夫)

2021年3月 9日 (火)

間もなく北帰行!籾を探す白鳥と人の心の距離感

 雪国の3月7日なのに朝から晴。先月までは降雪量が多かく、寒かったのですが3月に入って日中は暖かい日が多くなりました。雪の下で耐え抜いていたナズナが顔を出しくれました。ナズナが顔を出すと、我が家の庭の草取りを始める頃になります。

Photo_2 Photo  周辺の田んぼの雪が溶け出すと白鳥がやってきます。そしてくちばしを泥に入れて、何やら餌を探しています。クチュ、クチュという音が忙しなく聴こえてきます。間もなく、北帰行が始まるので、山形県米沢周辺の米(籾)で栄養補給をしているようです。

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Photo_4  必死なって籾さがをしている白鳥を観ていると、近所の人の稲刈りが白鳥の命の営みにつながっていることを感じます。コロナ禍の活動自粛の生活で見つけた嬉しいひと時です。また、白鳥も鳥インフルエンザを運んでいるのではないか、という意識が頭をよぎりますが、これも自然界の一員である人間の心得ではないかと思います。

Photo_5  白鳥を観察するために餌を与えるというのは人間の都合です。こんな事を考えられるようになったのも、コロナ禍の生活のお陰です。生きものたちと人間の付き合いを考えさせられているこの頃です。無事にシベリアに帰って子育てをして、来年は親子で籾探しをほしいと願います。(山形県FC・佐々木一志)

2021年3月 8日 (月)

森の防潮堤よ!新しい故郷の希望の森になってほしい

Uff0e  本格的な春もすぐそこまで来ている本日(3/8)。南相馬市応援隊メンバーは暖かい陽射しの中で、森作業を行いました。現場近くの神社から苗場には、梅の甘い香りが海風に運ばれてきていました。その方向を観ると、白い花が春霞の雰囲気を醸し出していました。甘い香りを嗅ぎながらの森作業へ向かうメンバーの気持ちを穏やかにしてくれました。

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Uff0e_3  コーヒーを飲みながらの作業打ち合わせでは、防風ネット外し、培養土の積み下ろし、撒水とタンクへの給水を行うことにしました。

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Photo_6  あと3日もすると東日本大震災・フクシマ原発事故から10年です。「鎮魂と復興」といえど、10年経っても原発事故による放射能汚染によって故郷に戻れない帰還困難地域等や津波による行方不明者がおります。私たち応援隊は、被災者に寄り添いご冥福を祈るために祈念植樹(シロダモの苗木40本)と海に向かって黙とうを行いました。

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Uff0e_6  2月の森作業で福島中央テレビの取材を受けた応援隊副代表・菅野さんは、今月11日の18時から放映されることになったそうです。ご覧になってください。今日の森作業は、渡部、菅野、松林、岩橋、道中内、岩橋(恵)そして筆者でした。(報告 東城敏男)