2021年3月24日 (水)

東日本大震災・福島第一原発事故の記憶を風化させない

 自宅(南相馬市)の庭のぼけの花が、かすかな甘い香り放ち、薄いピンクの色は目の疲れを和らげてくれています。

P1010924  早いもので東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から10年が過ぎました。自宅は福島第一原発から25kmの所でしたので、5日後の16日から福島市あずま運動公園体育館に自主避難しました。体育館には約2,500人が避難し、ほとんどの方が原発事故の放射線を恐れての避難生活でした。1週間後には横浜市の叔母の家にお世話になり、5月連休後に自宅に帰ってきました。

Dscn4360 10年が経ち、福島第一原発の廃炉作業工程は不透明です。汚染処理水は溜まり続け、海水で希釈して海洋放出する計画案が政府・経産省内で着々と進められているようです。海洋放出が強行されれば、またも海水産物の風評被害が大きくなります。

Dscn4316  震災当時、「福島の復興なくして日本の再生なし」と野田元首相、安倍前首相は言い続けていましたが、その本質は疑問だらけです。原発事故周辺の被災地、被災自治体の住民は1割程度しか戻っていません。特に、若い世代は戻ってこられないのが「復興」の実情です。インフラ整備や建造物はすすめられていますが、原発事故以前のような暮らしが可能な環境は整っていません。

Dscn4204  ポストコロナの新しい心の故郷づくりを、市民の皆さんと探していきたいと願っています。(福島県FC 岩橋 孝)

2021年3月23日 (火)

大地と海洋の森に寄り添える暮らしを望む

東京都内ではソメイヨシノが満開を迎えました。花の蜜をなめる生き物たちはこの速さを感じとっているのでしょうか。

Photo  「100年に一度の大雨」、「観測史上最高の○○」と、これまでの人間の基準が暮らしを脅かしています。当然、他の生きものもそのような生息環境にいるのかもしれません。

Photo_2  新聞報道によれば、海の森も衰弱しているようです。四国の太平洋側沿岸では、海水温度が上昇し、南方系のサンゴが増え、海藻の生育が悪化しています。高知県では、藻場が激減し、昆布の一種のカジメが姿を消し、それを餌にするアワビが激減だと言います。海水温度の上昇はオニヒトデの増殖をもたらし、南方系のサンゴもオニヒトデに食べつくされているようです。

P2214261  大地の草木の葉などや海の海草など餌にする生きものたちの生息環境が激変しています。この激変は私たちの暮らし方をも激変させることにつながってくるでしょう。

P2234303  私たちの生活の基盤の今後を考えると、人間を含めた生物が生きていける自然環境の保全に欠かせない大地の森、海洋の森に寄り添うことのできる社会へ、その仕組みを激変させなければならないのかもしれません。皆さんの知識と知恵を出し合い、その案を実現する心をひとつにすることが求められているようです。来月から、森びとはそのアクションをはじめていく計画です。(広報スタッフ・高橋佳夫)

2021年3月19日 (金)

自然をたたえ、生物をいつくしむことを感じて森作業

 明日の春分の日を前の今日(3/19)、今年2回目の森作業を行いました。いつものようにホットコーヒーを飲みながらの作業打ち合わせ。前回に引き続き今日の作業は、ポット草取りと水撒き、苗木のチェック、トレイの整理を行う事にしました。

12021319  シャリンバイのポット内は追肥したこともあって、他の苗木よりも草が伸び、草取りは大変でしたが、苗木もスタッフの心もスッキリしましたのでよかったです。

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2021319_2  休憩タイムには、山田スタッフからのお茶、佐藤スタッフからはお菓子をいただきました。天気の良い日に、笑いながらの楽しいひと時は健康によいと感じました。

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2021319_7  松林副代表からはカボチャの種の差し入れがあり、秋の収穫際にはみんなで持ち寄ろうとの話しがあり、4月からの森作業は苗木の補植・草刈りに重点を置いていこうとの話がありました。話の中では、「春分の日」とは、自然をたたえ、生物をいつくしむ日であるということも改めて感じ取りました。

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12021319_2  次回の作業日を確認し、本日の作業を終了しました。帰宅途中、松林副代表と筆者は第1回植樹会場(2013.10・6)に向かい、ヤマザクラの開花の様子を見てきました。ヤマザクラはまだ蕾でした。周りの木々は樹高3~4メートル程に生長し、防潮堤として機能できる森に向かっている様でした。嬉しく思いました。

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12021319_4  今日の森作業は、渡部、菅野、松林、小川、山田、道中内、松本、佐藤(正)、今野、そして筆者でした。(報告・東城敏男)

津波と向き合う心得を後世に伝えたい

 10年前の東日本大震災と言うと、多くの方は東北地方に目が向きますが、私が住む千葉県旭市でも多くの方が亡くなり多大な被害を受けました。

1616137554763  この大震災による千葉県内の死者は22名、行方不明者は2名です。旭市では震度5を観測し、死者は14名、行方不明者は2名、全壊家屋は340棟です。このような被害が出た原因のひとつに、「大津波警報が出ても避難しなかった。」「まさか九十九里に大津波が来るなんて思ってもみなかった。」「防波堤を乗り越えて波が来ることはないだろう。」という海に対する油断がありました。

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1616137575400  自宅近くの飯岡海岸は浸食の長い歴史があり、平安時代から波との戦いを長年繰り広げてきたところです。台風による高潮、高波、そして多くの津波災害に遭っている地域です。

1616137566466  戦前戦後にかけ固定教科書にも載った物語「稲村の火」のモデル「濱口儀兵衛」は幕末から明治にかけ活躍した人物で、隣町の銚子市のヤマサ醤油7代目当主でした。「稲村の火」の内容は割愛しますが、銚子から山ひとつ超えた飯岡海岸の浸食や高波、高潮に苦しんだ人々の生活を見聞きしていたものと思います。

1616137547511  旭市では、被害経験や教訓を後世に伝えたいという運動が起こり、2014年7月に「旭市防災資料館」が「いいおか潮騒ホテル」1階脇に併設されています。入場は無料で、これまで約1万人が来館しています。2代目館長の宮本英一さん(72歳)は、「津波に遭って一番反省することは、大津波警報が出ても避難しなかったこと」との反省から、波にのまれた経験や教訓を語り部として来客に伝えています。

1616137560719  大震災後から10年経ちました。私は月に数回は飯岡海岸に行きます。その都度、防災会館を訪ね、次世代の語り部に私たちがならなければと自分に言い聞かせています。(千葉県FC・高梨 厚)

2021年3月17日 (水)

春らしい陽気の中で、爽やかな汗を流した森作業

 今朝の足尾松木の里は雲一つない青空。気温も8℃とかなり暖かい陽気となりました。今日は月に一度の作業集中日です。10人のスタッフがボランティアに集まってくれました。早速、恒例のコーヒーを飲みながらの打ち合わせを行いました。

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5月から始まる「里親植樹」を行う会場の臼沢西の森は、ウサギが柵の下に穴を掘り、柵内に入り植樹した木の芽を食べているようで苗木の頭がカッターナイフで切ったようになっています。そこで、ウサギが入れないように、柵の下に金網を張ることにしました。また、本日は「里親植樹」で植える苗木を搬入することになっています。7人と3人に分けて作業に取り掛かりました。

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18種1080本を、樹種ごとにトレイに仕分けをしました。

Img_1216_2 臼沢西の森金網班も現地に向かい、西の端から二手に分かれてぐるっと一周に、緑色の金網を取り付けていきます。

Img_1233Img_1222Img_1245 Img_1248 午後は、彼岸の入りということで、松木村のご先祖様にお祈りするため鎌田さんが花を持ってきてくれましたので、松木の里にあるお墓に花を手向けてお参りしてきました。Img_1239

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獣害対策も万全に行い、臼沢西の森の木の里親になってくださる方に、何年後かには元気に育った森の姿を見せたいと思います。

Img_1251 本日のスタッフは、鎌田、松井、山本、大野、小川、福原、濟賀、小西、小野塚、筆者でした。

(報告:加賀春吾)