2023年9月 2日 (土)

いつまでも四季を体感できる”松木郷”を夢見て森作業

 昨日(9/1)の足尾の天気は晴れ、天高い青空のなかを爽やかな風が吹いていました。しかし、陽射しは強く、長時間野外作業を続けると肌が痛く感じました。20230902gi6y
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 森作業は古希世代の3人が行いました。柵の設置作業はそれぞれの持ち場を阿吽の呼吸で認め合いながら、ウワミズザクラの木陰で爽やかな風と水分を摂りつつすすめました。20230902_2

20230902_3 足尾・松木渓谷を訪れる方々から“人は森に寄り添って生きている”ということを感じられる“松木郷”にできないかと始めている「森びと広場」周囲の手入れ。廃村に追い込まれた村びとに思いを馳せて、当時の“郷”に生きていた草木を植える。その場を柵で囲って、草木が自立できるようにする作業。20230902_4

20230902_5 柵の設置は残すところ50㍍程まで行うことができました。森びとスタッフの古希世代の気持ちからすれば、20年間の森を100年後の森へ引き継ぐ襷を還暦世代へ手渡していきたいということです。20230902_6

20230902_7 20230902_8 森作業は、鎌田さん、橋倉さん、髙橋(筆者)が行いました。

2023年9月 1日 (金)

私たちの大切な人間性とは

 古河機械金属㈱などが共同で設立した一般社団法人古河市兵衛記念センターが、創業150年記念事業の一環として、渡良瀬渓谷鉄道の足尾駅付近の一角で大きな工事が進めています。看板を読むと、当時の旧足尾鉱業所があった所に「足尾銅山記念館」を建設し、2025年5月に開館する予定のようです。

 古河機械金属㈱所有地内の松木村跡地で森づくりをさせていただいている私にとっては、この記念館の完成が楽しみであり、「脱炭素社会」で生きていかなければならない将来世代に向かって、どんなことを遺してくれるでしょうか。

 森びと秋田県ファンクラブの仲間たちは、銅の精錬で排出された亜硫酸ガス等で破壊した森の跡地での森づくりを応援しています。その森づくりは、故・宮脇昭さんの指導によって、同和鉱業㈱が私たちよりも一足早く始めています。秋田の仲間から紹介された森づくり主催者の同和鉱業㈱の碑文に心を打たれました。

1 碑には、「美しき峰々が広がるここ小坂の地は、明治17年当社の前身藤田組が官営鉱山の払い下げを受けて以来、122年間、地域と一体となって鉱山製錬事業を営み、日本の産業を支えてまいりました。しかし、掛け替えのない四季折々の花鳥風月を、黒き丘に変貌させてしまうものでもありました。時代は、地球温暖化、資源枯渇、土壌汚染など山積された問題の解決と、自然との共生を望み、大きな変革の時をむかえております。私たちは、大切な次世代の子供たちのために、地元の夢と期待に応えるべく、県北部産業の中心的な役割を担い、リサイクル事業を中心とする環境に優しい循環型社会の構築を目指します。当社発祥の地小坂を、春夏秋冬豊かな自然の息吹きと、力強い地球の鼓動を聞くために、覆土植栽を施し、再び開発することなく「ふるさと秋田」にふさわしい、モデル地区にすることを宣言いたします。たおやかな小坂の風景と歴史を一望しながら。平成18年9月18日同和鉱業株式会社代表取締役社長吉川広和」と、刻まれています。

2 この碑文は、将来世代が生活していく人間社会で失ってはならない最も大切な人間性ではないかと私は思っています。また、「負の遺産」を“未来の遺産”へ結びつく“希望の森”を、秋田県小坂町と栃木県足尾町で育てられていることに感謝しています。(運営委員 大野昭彦)

2023年8月28日 (月)

地球温暖化にブレーキをかけたい!組合員の希望(植樹)が命の森になった。

 8月27日にJR東労組(以下、JREUと略す)本部の佐藤委員長をはじめとするリーダーが森の生長観察に来てくれました。JR東労組の組合員は、2005年から始めた森づくり活動をサポートし、植樹地の開墾・階段づくり・黒土の荷揚げ・獣害柵の設置、植樹と育樹を長期間手伝ってくれました。

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 待ち合せは足尾ダム10時、森びと広場の「うんしゅう亭」に皆さんを案内し、オリエンテーションを済ませた後、小林運営委員の案内で「森の観察」に出かけました。現地の天気は晴れ、10時の気温は28℃でしたが、気温は徐々に上昇し、移動するだけで汗が出ました。

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Dsc03422   最初に向かったのは「民衆の杜(北)」。2014年にJREU千葉の組合員が植樹した森を観ていただきました。この植樹には、下村副委員長や武田スタッフも参加しており、足尾に訪れた長谷執行委員共ども植えた当時の苗木(40㎝程)が今では樹高4mを越えていたことに驚いていました。皆さんは杜の中を飛び交うチョウやトンボ、木の葉が食べられた跡、しっとりとした落ち葉の積もる地面など、目に見えない生き物の息づかいを感じているようでした。

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 「民集の杜(北)」の東側の銅精錬の滓の堆積場の斜面の現在の写真と植樹祭当時の現場を見比べると木々の生長は素晴らしいものです。木々は、荒廃した土地であっても人間が少し手を加えることによって生長し、風や鳥たちが新たな種を運び、生態系豊かな杜にしてくれることが実感できました。

P5212297 (2016年5月 足尾・ふるさとの森づくり)

 続いて、「臼沢の森」に向かいました。森の入り口までのなだらかな登り道を歩きましたが、皆さんは汗だくでした。気温を計ると34℃。「臼沢の森」が目の前に迫ってくると、皆さんは木々の生長に圧倒され、丸太の階段を上りました。

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 “山と心に木を植える活動”の提唱者である故・松崎明さんと故・宮脇昭さんが2006年に対談した場所につくられた「М&mベンチ」に座った皆さんは、しばし森の機能を体感しているようでした。足元を見ると、大きな岩の落下をくい止めている木々、積もる落ち葉、根に水を貯めミネラル豊かな水を川から海へと流している様子を頭に描いているようでした。

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 2006年当時のこの現場からは正面に中倉山が見えていましたが、今では木々に遮られ見えなくなっています。その木々を見上げると、葉っぱの間から光が刺しこみキラキラと光る葉の美しさを改めて感動している様でした。「空気がうまい!」と深呼吸した皆さん、松木川から吹く風が林内を吹き抜け火照った身体を冷やしてくれていました。温度計を見ると27℃でした。天然のクーラーの素晴らしさ驚いている様子でした。

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 気候変動の影響は、気温上昇による氷河の溶解、海水温度の上昇による豪雨被害・干ばつ・山火事として世界中の人々に被害を与えています。人間の経済活動は人間を含めた生物の命と生活を破壊している現実を考えてみると、私たちの生存基盤そのものを危うくしているのではないかと危機感を持ちます。天然クーラーの中で皆さんは、故・松崎明さんと故・宮脇昭さんが語り合った「公害の原点」と言われる足尾銅山跡地での森づくりの意味と社会的な意義を捉え返してみました。 

M (松崎明対論集 バチが当たるぞ! より)

 次に、「臼沢西の森」へ移動。コロナ過での「里親植樹」を担ってくれたシニア世代のボランティアとJREUのOBが、岩だらけの通路を歩きながら、急斜面での植樹地づくりのご苦労話を聞いていた皆さんは、感謝の念を表されていました。上部から対岸の中倉山北斜面と上流に広がる荒廃地を眺め、一度壊した自然を回復するには100年、1000年単位の時間と労力がかかることを実感していました。未来を生きる子供たちや次世代の皆さんの命を支える“希望の森”が着実に育っていることも体感できたようです。

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Dsc03455_2  午後は、森を観察した感想を聞かせていただき、意見交換を行いました。JRの労働現場では、体温を超える気温下での屋外作業や駅構内の草刈り、電源を落とした車両内の清掃が行われていることや、豪雨によって鉄道の走る斜面の崩壊、河川の決壊によって線路が土砂に埋まり、流されていることが報告されました。働く者の命と安全が第一であり、働き方を考えると同時に、災害が起きる根本にも目を向けなければならないことを足尾の森を歩き気づかされたことが話されました。

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 土砂崩壊は人間の暮らしに影響を与えますが、地面の下の生物社会を揺るがす事態であること。温室効果ガス削減と自然エネルギーへの転換も行われていますが、温室効果ガスを吸収する森を守り育てなければ激化する豪雨と気温の上昇を抑えること。「地球温暖化」から「地球沸騰化」へと気候変動への認識を転換しなければならない中で、私たちは、働く者の安全・健康・雇用、利用するお客様のいのちを守るために、「人間の都合」から物事を考えるのではなく、「生物社会の一員」の視点から社会現象を考えていく意識の転換が求められているのではないかということを共有することができました。Img_3813_2

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 足尾の荒廃地での「いのちを守る本物の森づくり」に参加された組合員の皆さん、ご家族の皆さん。皆さんの情熱と希望は足尾の森に宿っています。ぜひ、多様な生き物たちが暮らす命の森に生長しつつある森の散策にお越しください。そして、この森が百年も千年も生長できますように、私たちと共に、森の手入れをしていただければ幸いです。私たちは足尾でお待ちしています。

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 お忙しい中、足尾の森を観察していただいた、JREU本部・佐藤委員長、下村副委員長、長谷執行委員、JREUバス関東本部・井上議長ありがとうございました。森びとスタッフは清水、小林、加賀、武田でした。(報告・清水 卓)

気候変動を考えるお茶会!

気候変動への関心どう広めるか?悩んでいる。 

「第2回東京FCお茶会」を8月26日真夏日、会場を提供して頂いているJR東労組八王子地本原島雄二委員長同席の基、開催しました。16名の参加予定でしたが、病気・介護・訃報・所用が重なり5名が欠席となり11名の参加でした。

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「お茶会」の内容は、ビデオ(2030年未来への分岐点)の観賞と(神宮外苑再開発)への森びと意見書について話を進めました。

261 人間活動が原因で地球温暖化が進み、体温を超える気温上昇で日本をはじめ世界各国で猛暑、熱波、台風、山火事等で多くの人が犠牲になり、財産を失っています。国連アントニオ・グテーレス事務総長が沸騰の時代と発言しています。

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皆さんからは、「このビデオやマスコミで気候変動・地球温暖化が進み大変な事態になっていることは受け止めているが、どう広めるのか?」「ヨーロッパ人から比べて日本人はお人よし・他人任せの所があり自分もその1人」「ゴア副大統領時代には地球温暖化問題がクローズアップされたが、日本は広まらなかった」「自分に何が出来るか悩む」「お茶会、森びとが折角やっているのに参加者が前回から比較すると減っている現実」「若い人に、森びとの活動や温暖化問題を伝えることが出来ないのが自分の課題である」「DVDを鑑賞して今まで関心の無い1人でしたが、過去には足尾の植樹に参加していましたが少し意識が離れていました。今日の報道や雪国育ちの一人としてスキー場が早めに店閉めをしなければならない現実。どう向き合って広めて行けば良いのか考えさせられた」「平和の取り組みは、それなりの団体が有って進められるが、森びとは大変である。会員になっているが活動には積極的でなかった自分ですが、広める為に難しいが何が出来るか考えて行きたい」

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「ビデオを観て感じる所がある。自分が行動出来ない虚しさ。8月24日に原発の汚染水が排出された」。色々考えるがそれに対する行動が出来ない己。温暖化問題もしかりであるが何が出来るか問うて行きたい」「そこにある現実から問題を掴み取り何が問題なのか?をはっきりさせことが大事ではないか?命を守るため真夏日・酷暑の中での野外作業・昼の2時間は会社も社員も中止を徹底する」等の率直な意見が出されました。

身近な課題から温暖化を考え、出来ることから始める。その出来た事を広める。個人で出来ないものは、会社や行政にお願いする。森や海に人間は生かされていることを忘れない。生態系を変化させる行動を慎む意識を育んで行ければ良いのではないでしょうか?温暖化問題は避けて通れない事を学べた終日なって頂けたでしょうか?貴重な意見有難う御座いました。第3回お茶会に繋げて行きますので宜しくお願いします。

                               東京FC:松井

2023年8月24日 (木)

暑いけれど爽やかな風吹く足尾の森作業

 8月24日朝、足尾・松木の8時30分の気温は24度、晴れて清々しく感じました。

 いつものように、モーニングコーヒーを飲みながら打ち合わせを行いました。今日は、8名のボランティアの参加、全員が9時前に作業小屋に集合しました。

Cimg0017  加賀スタッフから、9月13日に行う「JICA 2023年観光振興研修」の準備を行い、その後は、土置き場の土を移動した跡地に残る獣害柵を解体するとの説明がありました。

 直ちに、軽トラックに刈り払い機とノコギリ鎌、背負子を積んで臼沢西の森の入口に向かい、40袋の黒土を背負子で運び上げました。JICAの皆さんが植える場所を決めて、草刈りをし、休憩をとりながら黒土を置いてきました。小一時間で終了しました。

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 その後、土置き場の獣害柵の解体を行いました。イノシシにいたずらをされないように太い針金止め、柵を鉄筋で止めるなど施してあり、解体・片付けが結構大変な作業でした。

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鎌田さんは、午前中は臼沢西の森への通路、午後は広場の北側斜面の草刈りを行いました。

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 午後は、外した金網柵で再利用できるものは北側斜面に設置しました。今日は、盛りだくさんな森作業でしたが、樹々たちが運んでくれる爽やかな風が肌に優しく、森作業を加勢してくれているようでした。お疲れ様でした。

本日の森作業は、鎌田、福原、山本、本間、矢口、山田、加賀、大野でした。

<報告者は大野昭彦>