2024年6月11日 (火)

第12回南相馬市鎮魂復興市民植樹祭開催

 9日、第12回南相馬市鎮魂復興市民植樹祭が開催され、1,200名以上が参加し、21種類20,000本の苗木にいのちを吹き込みました。天気は曇り、気温は25℃、風が強く吹いていました。

Dsc00610_2 ここ南相馬市では、2011311日に発生した東日本大震災と東京電力福島第一原発事故により、南相馬市では636名の方が犠牲になりました。高盛土にはがれき等を活用した海岸防災林に被災した方々の一人ひとりの思いや祈りを込めて植樹を行い「鎮魂の森」をつくり、震災の経験や教訓を忘れずに後世に継承する場をつくるために、「いのちを守る森の防潮堤」の実現を目指しています。 今年から森びとは、植樹リーダーの任は行わず、参加者として南相馬市の行う復興計画の一つである命を守る森の防潮堤づくりを応援していくことになり、私たちの後任には南相馬市民が中心で作る南相馬市鎮魂復興市民植樹祭応援隊(通称:応援隊)が就いて、引き継いで下さっています。

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 開会宣言に立った実行副委員長である応援隊の松林英夫代表からは、全国各地からこの植樹祭に参加をしてくれている紹介がされ、鎮魂復興の祈りを込めた植樹祭へ心を一つにする開会宣言がされました。

20240611_063202_2 植樹会場に移動をし、植樹リーダーである市役所職員等が心構えとして一つひとつの作業(植樹説明・苗木運搬・植樹・マルチング・ロープ張り・集合写真撮影)を区切り、参加者の協働作業で最後まで丁寧に植えよう!を徹底していました。 今まで植樹リーダーを担い、じっぐりと植樹をすることのなかった森びとインストラクターも心なしか興奮をしている様子でした。

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 また、9年前に東京都内の駅街頭で配布したポット苗の里親になっていただいた遠藤さんより預かったスダジイを南相馬に持参し、いのちを守る森の防潮堤に植樹をしました。Dsc00384_2

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 遠藤さんより受け取ったJR東労組東京地本の副委員長・対馬さん、森びとの済賀さん、坂口さんがいのちを吹き込んでくれました。Dsc00469

 当日の開催にあたり、応援隊の方々は6日より前段準備に携わっていました。毎年、市内外から来る参加者が滞りなく植樹をできる環境を作っていただきましてありがとうございました。

(報告:運営委員小林敬) 

 

2024年6月 5日 (水)

地震大国・日本では原発と共存はできない

 今年1月1日、石川県で震度7の揺れを観測する大地震が発生し、建物の倒壊や津波の被害などで死者は240名以上、地盤の隆起は最高4mが確認をされています。運転停止となっている志賀原発のある志賀町は最大震度7を観測し、1号機・2号機共につなぎ目に亀裂が入るなど一部の危機から油が漏れる不具合が発生しました。石川県が定めた避難計画では、志賀原発から30キロ圏内にある市町村のうち北側は能登半島方面へ、南側は金沢方面へ避難することになっています。しかし、今回の地震で原発から30キロ圏内の7路線は通行できない状況になりました。あらゆるリスクを想定して避難計画はつくられたものですが、自然災害はそれをも超えてくるということであり、原発の再稼働には大きなリスクがあることを実感せざるを得ません。

Photo 現地に立ち、被災地から現実を学ぶため、一般財団法人日本鉄道福祉事業協会と森びとプロジェクトとの共催で脱原発・脱炭素社会への課題は何かを掴み取り、広く社会に訴えていくべく、6月1日~2日に4名が能登半島地震視察へ向かいました。

 初日は志賀原発のある志賀町に向かいました。志賀市は震度7を記録しており、町役場の敷地内外には亀裂や隆起が目立ちました。

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Photo_6 2日目は、2003年に凍結された珠洲原発建設計画の反対運動を中心で闘われた円龍寺の住職・塚本真如さんに同行していただきました。珠洲市に向かう道中では途中から激しい亀裂や段差が目立ち、土砂崩れにより片側通行の箇所がありました。

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Photo_9 珠洲市に入ると、1月1日の地震直後と思うほど復興とは程遠い状況を目の当たりにしました。5か月が経過し、TVや新聞で報道をされることが少なくなっています。意識をしないと風化してしまう恐ろしさを感じるとともに、なぜ復興は進まないのか疑問に感じました。建物は甚大な被害を受けたため、建て直しをするために公費解体を待っている状態で、石川県では申請の1%ほどしか済んでいないと言います。

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Photo_12 その後、高屋地区に向かいました。この地区では、道路が寸断され、津波と海岸の隆起によって海路での避難もできず、一時孤立状態となっていました。

Photo_13 海岸に向かうと、陸域が広がり、白い部分が多くみられますが、ここは海の中だった場所です。子供のころ、塚本さんが遊んでいた場所で、変わり果てた様子に気を落とされているように映りました。

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 続いて、塚本さんの円龍寺に向かいました。本堂やご自宅にも入らせてもらいましたが、そこは生々しい様子で5か月経過した現在も時は止まったままでした。お寺の立て直しをするための公費解体の申請について尋ねると「最後で良いんです」と、まだ申請を出していないそうです。自分のことよりも周りの住民の方が先にという姿勢に、どうしようもできない悔しさや無念さを感じました。

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Photo_29 高屋漁港は2mほど隆起しました。漁船が停留していますが、岸壁から船に乗り込むことができないほどの高さでした。地震前は黒いゴムのあたりまで海水が来ていたそうです。船も出航することができずに困っていました。

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Photo_28 一昨日(3日)早朝、輪島市と珠洲市で震度5強の地震が発生しました。地震大国・日本では、原発と共存できないことがハッキリとしています。能登半島地震によりいのちと生活が脅かされ、特に高屋地区などではさらに避難ルートや支援物資、通信手段なども途絶えました。珠洲市に原発が建設されなくて良かった、志賀原発が稼働していなくて良かったと実感できます。塚本さんたちが原発建設計画阻止の闘いで貫き通した"最後までやり抜くこと”を捉え返し、脱原発・脱炭素社会に向けて発信をし、行動していきます。

(報告:運営委員・小林敬)

2024年6月 2日 (日)

雨を吹き飛ばす笑い声での植樹

Dsc00170 本日(6月2日)の足尾・松木は、小雨で肌寒く15℃(8時30分)でした。Dscn9973

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Dsc00163 足尾ダムゲートに野田さん「笑うヨガ」の8名の皆さんが、11時20分に到着しました。強い雨の中で、森びと広場の作業小屋で橋倉さんの歓迎の挨拶をさせて頂きました。昼過ぎから大雨の予報も出ていて、天候の回復が臨め無いことを説明して植樹後の昼食に変更になりました。

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Dsc00166  早速、カッパに着替えて森びとのサポートの3名と合計8名で臼沢西の植樹地に向かいました。事前に通路の草を刈りましたので雨で足を滑らせる事はありませんでした。Dscn9978 植樹地に到着し、筆者の植樹レクチャー後に14種類の苗木(土地本来の木)を雨の中で植樹をしました。

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参加者は、この苗木が100年後に森となり地球上の人々の為になることを願い丁寧に植樹をしてくれました。

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Dscn9985  植樹を終えて作業小屋に戻るときには、雨が小降りとなり雨に濡れた新緑を目に焼き付けると元気を頂いたようでした。

薪ストーブに暖められながら遅い昼食後に感想を頂きました。Dsc00172 「初めて参加したが、植樹地を見て育てるには、時間がかかる。」、「苗木が、自然の中で育って欲しいと願って植えた」、「一年一年と自分の体力が弱っていくが、苗木とのギャップを感じる」等の意見が出されました。帰る時間になると雨が止みましたので、森びと広場で「笑うヨガ」で元気を頂きました。

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Dsc00181 本日は、雨の中の植樹に参加して頂きありがとうございました。お礼申し上げます。Dsc00177 本日のサポートは、橋倉さんと坂口さんと筆者でした。(報告:済賀正文)

 

2024年6月 1日 (土)

「みちくさ」は開店休業、森作業は大忙し

 今日から6月、足尾の天気は晴れ、8:30気温は17℃でした。明日は、東京から会員の野田さんのグループ9人が植樹に来ることになっています。そこで、舎人担当ですが、午前中は準備の森作業をすることにしました。打ち合わせでを行い、作業開始しました。スコップ、移植ごて、篠竹、鉄筋、幹ガード、背負子、苗木を軽トラに積み込み、植樹地である「臼沢西の森」に向かいました。

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Img_0003 苗木と幹ガードは、「臼沢の森」前の柵の中に置き、その他は背負子に載せて運びます。植樹地に着き、穴を掘り、先日運んでおいた黒土を穴に入れかき混ぜ、篠竹を指して置きます。これで、明日は移植ごてでも植樹することが出来るでしょう。Img_0010

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Dscn9964 苗を植えるところは準備できました。下山する途中に鳥の巣があるのを濟賀さんが発見しました。何の鳥か分かりませんが、既に巣立った後のようです。

Dscn9966 臼沢へ行く道は草が伸びています。少し早めですが昼食をとり、午後は草刈りと植樹場所の上・下の段の草刈りを濟賀さんと山田さんが行いました。Img_0011

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 橋倉さんと加賀は本来任務の舎人に戻りましたが、「みちくさ」訪問者は一向に現れません。そこで、先日福原さんがコスモスの種を持ってきてくれたので「心の園」に撒こうということになり、草刈りをして、秋には綺麗に咲いてくれることを期待してコスモスの種をまきました。


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Img_0016 その後、「記念樹の森」の草刈りも行いましたが、雨がポツリ、ポツリと降ってきましたので、本日の作業は終了しました。Img_0023

Img_0021 「みちくさの庭」を覗くと、野イチゴの実がかなり大きくなってきました。もう少しで食べられそう。楽しみです。

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今日の舎人は、橋倉さんと加賀でした。森作業は、済賀さんと山田さんでした。

 

能登半島地震の現場を視察して

 5月11日、12日に石川県を訪問し、能登半島地震の現場を視察した。Image3 珠洲市をはじめ被災したほぼすべての市町を元県会議員北野進さんの案内で視察させていただいた。珠洲市までに行くまでに道路が各所で崩落し、片側通行を余儀なくされていた。地震、津波被害の凄まじさを目の当たりにした。地震で隆起した港、珠洲原発予定地を視察した感想として、珠洲原発を作らせないために長年に渡り多くの住民が原発建設反対の運動を粘り強く展開し原発建設断念させたことに感銘すると共に地震で隆起した原発予定地を見て原発が建設されなかったことが、能登半島全体を始め、周辺の放射能汚染を防ぐことにつながったと確信した。

Image2_1 志賀原発を視察では、サイト内の地震で被災した箇所の多いこと、原発建屋が道路のすぐそばであるのに驚いた。視察して、原発に頼らないエネルギー政策の必要性を再認識した。

(運営委員会代表・櫻井勝延)