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2018年5月30日 (水)

荒れ地に木を植えた感動と微笑みを分かち合えたか植樹祭

 自分の時間とお金を拠出して植樹祭に協力してくれた方々にどんな感動や微笑みをプレゼントできたのであろうか。命の源である木々を荒れ地に植えて、未来を生きる全ての生きもの生存基盤をいつまでも続くようにと願った植樹祭でしたが、300名(スタッフ除く)のボランティアを迎えたスタッフたちの気持ちを紹介する。

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Photo_2  足尾・松木沢に植えられた幼木はこれから強い西北の風に耐えなければならないし、草との競争も始まる。風で根が動かないように、除草作業で幼木を伐らない目印として篠竹を大地に刺した。4千本の篠竹を用意したのは鎌田スタッフ。足尾に入らない日に、自宅近くの篠竹を一人で確保してくれた。 

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2  植樹祭の3日前、故・岸井理事長の奥様から「植樹祭が盛会でありますように」とメールが届いた。松村宗雄スタッフは「森ともの 松明かかげる 岸井かな」と詠った。松村さんは、「松明は季語でないと思いますが松明を消すことはできません」と語っていた。

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Photo_4  また、1ケ月前の4月、岸井さんと一緒に森びと設立に尽力した竹内巧アドバイザーも天空の森に旅たった。竹内さんが南相馬の「鎮魂復興市民植樹祭」にシロダモの苗木を提供したいと拾っておいたシロダモの実を、なんとか足尾で元気な幼木に育てたいと願い、松村さんは「白梻(しろだも)の 苗床のぞき 芽吹き待つ」と詠った。こんな気持ちを込めて、植樹祭の準備に汗を流した。

2_2  植樹祭では筍の汁がふるまわれた。300名分の筍を調達してくれたのが福原スタッフ。植樹祭本番の2日前、一人暮らしの実家のお母さんが骨折してしまった。本番では手伝えないとして、筍を灰汁を取り除いて植樹祭の朝、足尾ダムに届けてくれた。その後、息子を待つ新潟県の実家へ向かった福原さん。その他、色々な想いや願いをもって歓迎していたスタッフたち。

Photo_5  反面、荒地に一本でも多くの「木を植えようと現場に行ってみると、ほとんどの幼木か植えられていたので、何をすればよいのか迷った」という声もあった。もっと細やかな歓迎ができなかったことに反省している。(理事 髙橋佳夫)

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