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2011年4月の18件の記事

2011年4月14日 (木)

“路頭に迷う”被災地

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 昨日(13日)は石川啄木の命日(1912年4月13日)でした。筆者は東日本大震災の被災地である宮古市、山田町そして釜石市に立ちました。

P4131935  12日23時10分、東京駅発の深夜バスに乗車、翌朝6時30分盛岡駅着。みちのく事務所で少し横になって休息、仕事明けの泉山理事と一緒に宮古市に向かったのが9時30分頃でした。2時間ほどで宮古市に到着、港から6㎞程にあるボランティアセンターで登録を済ませ被災した市内に向かい、被災した団体賛助会員の皆さんにお見舞いを渡しました。それから2時間後に釜石市に到着。団体賛助会員である山崎さんとお会いしました。彼は自宅が流失されたにも関わらず、救援ボランティアに駆けつけている皆さんのアドバイスをしていました。彼にお見舞いを渡し、救援ボランティアの状況を聞きました。その後、ボランティアセンターで救援活動の意思を伝えてきました。今日(14日)山崎さんに電話してみると、ボランティアの方々と現場で後片付けをしていました。

P4132256 今回、現地に立った分かったことは、団体賛助会員(岩手県)の内本人死亡が1人、会員の家族(3親等)の死亡・行方不明者が47名、自宅と社宅の流失が16名であったことです。そして未だ確認が取れていない方々が数人いるということでした。そして、被災状況に関して色々と言われていますが、実際自分で現場に立って被災状況を見ると“路頭に迷う”、“途方に暮れる”ということでした。大地震と巨大津波がおお暴れして全ての生活手段が目の前で、家族や親戚の尊いいのちが失ってしまったのが被災地でした。反面、巨大津波が襲わない地域では普通の暮らしが営まれていました。一方では路頭に迷っている被災者、他方では普段の生活をしている皆さんの様子を見て、これが現実なのかと思いました。

P4132217 この場で改めて決意したことは啄木がサルに扮して人間へ警告していたこと(「人間は祖先を忘れ、自然にそむいている。ああ、人間ほどこの世にのろわれるものはないだろう」:『サルと人と森』より)を生活に、経済と政治に反映させていかなくてはならないことでした。啄木は100年も前から“自然と共に生きていく”という生き方を世の人間に警告していました。

 今後、宮城県、福島県の団体賛助会員の皆さんにもお見舞いを届けていきます。

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2011年4月11日 (月)

“つらい、悲しい、悔しい”状況を解決する“みちくさ”へ?

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 3・11大震災と原発事故によって「不便な生活」を経験し、その上買い占めや泥棒、詐欺などの嫌らしい人間社会の一面に怒りをもちます。反面、電気の有り難さや支え合うことの大切さを実感しています。また、便利な生活はいとも簡単に不便な生活に変化してしまう脆弱な社会であることが分かりました。これを機会に「便利」や「不便」ということを見直してみるのが良いと感じています。

P4101924  昨日(10日)も第1回舎人会議が足尾で開かれました。会議では、大震災や原発事故に遭った私たちは「便利さ」ばかり追い求めるのでなく、“つらい”“悲しい”“悔しい”という場から試行錯誤しながら改めて「便利さ」を考えていく話もされました。それには仕事や生活の中に“遊び”“時間の余裕”をつくり、つまり“みちくさ”をすることの大切さを、「遊働楽舎」の舎人が発信していくことにしまた。

 帰りの途中、舎人の田岡さんが70歳を迎えるので少し早い誕生祝いを舎人仲間で行いました。JR日光駅の待合室で知り合ったベルギー人とも話が弾み、少し“みちくさ”をして彼女の森を愛する心、自然の恵みを大切にする心そして原発はいらないという考え方を聞きました。昨日は、海外の“森とも”ができました。沼田屋の皆さんご馳走様でした。

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2011年4月10日 (日)

 「遊働楽舎」(みちくさ)の舎人に認定証を授与

P4091912 久々の雨が降りました。乾燥した日が続いた後に雨が降ると樹木も自然の息吹を感じて樹木の色艶が変化していくことを実感しました。昨日はそんな中で第1回舎人会議を開催しました。

 5月14日にオープンする「遊働楽舎」(愛称名:みつくさ)に任命された舎人のみなさんが足尾に参集し、あと一ヶ月後に迫ったみちくさの運営について意思統一しました。

 会議の冒頭、第4回理事会で承認した舎人に対して理事会を代表して石島悦子理事から「認定証」が授与されました。今後の運営は舎人全員が責任者となって足尾松木沢を訪れる皆さんとの出会いを大切にして、“森とも”の輪をつくりだしたいと思います。

 会議後は、石島さんが用意してくれたけんちん汁でうどんと蕎麦を食べました。その後、舎人の皆さんは“みちくさ”の改装を行い、オープンを前にした舎人の任務を想い描いているようでした。

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2011年4月 8日 (金)

森とも(鹿)に合掌!

P4081908  鹿が死んでいるのを発見しました。発見は昨日の夕方、仕事が終わって帰る支度をしている時でした。今日の仕事はまず、鹿を葬ってやることにしました。事務局の小川君が広場に到着するのを待って、穴を掘って埋めてやりました。墓石も運び出して合掌して葬ってやりました。

P4081914  昼過ぎ、作業をしていると大型バスが1台ヘリポートに到着し、バスからは黒い制服を着た新入社員風の男女が降りてきました。会社の制服を着た方が対岸の岩山を指さして何やら説明をしていましたので、多分、古河機械金属㈱の新入社員研修ではないかと思いました。そうであれば会社の理念がそこに見えているなあー、と感心しました。昨日の日立製作所の中西社長に見せてやりたい、と感じました。

 今日は来月14日にオープンする“みちくさ”の屋根の塗装をしました。雨を心配しながら作業しましたが、なんとか雨に遭わずに塗装が終わりました。塗装を終えて広場から“みちくさ”を眺めてみると、塗る前の白い色よりも茶色が周囲にマッチしていることを実感し、二人で納得して喜び合いました。

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2011年4月 7日 (木)

足尾の桜のつぼみも膨らんできました

P4071903  関東地方の全県では本日、桜の開花宣言が発せられたようです。足尾でも昨年植えた桜のつぼみが膨らんでいるようです。今日の森びと広場も昼頃には気温が20度になりました。松木の杜に入ってみると水仙のつぼみも膨らんでいました。大震災被災地にもこんな暖かさを伝えてやりたいです。

P4071897  ところで今日の毎日新聞を読んでビックリしました。原発災害で多くの方々が避難生活を強いられ、世界の各国が心配している原発事故に対して、原発を建設した日立製作所の中西社長は「国の基準にのっとって設計しており、責任を問われる立場ではないと思っている」、ということを強調しているといいます。この記事を読んで呆れました。いや冷静に振りかつて見ると、原発推進してきた企業経営者、政治家そして県知事、市長、町長の一部とそれを支援してきた地域住民の一部の皆さんも国を信じて原発建設を認めてきた、と国の責任を求めています。確かに国の責任はありますが、自分も原発を推進してきた一人として反省することなく国の責任だけを求めていては新エネルギー時代をきり拓くことは難しいと思いました。サルの社会ではこんなことは起こりません。小さなサル社会ではサルのボスはサル社会のために責任をとります。

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2011年4月 5日 (火)

コスト万能主義では繰り返す原発大惨事?

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 菅総理大臣をはじめ閣僚の皆さんがスーツ姿で登場してからテレビやラジオのニュースでは、原発災害問題は今後のエネルギーはどうあるべきか、ということがクローズアップされているような気がします。今日、原発推進をしてきた日本原子力委員会の女性の方が涙を流して原発事故に謝罪しているようでした。議論がスタートしたことは良いことですが、電力源の80%を原発に依存しているフランス大統領の来日やアメリカ大統領の原発推進継続発言を背景にした議論では「人間と自然との生命が躍動する理想郷」は描けないような気がします。

P4041886 批判ばかりしていても発展性はないので私の提案は、“森は敵ではなく友達なんだ”(森トモなのだ)だから“自然を支配しては駄目ですよ”そして“幸せはいのち(生命)が第一なんですよ”、という心をもって今後のエネルギー問題を議論すれば間違いはないような気がします。迷ったら原点に立ち戻って今後のエネルギーを想像してみたいものです。想像力は効率性、合理性だけの枠内に身を置いていては発見できないと思います。

作業効率だけを求めてグリスがきれてギイギイと音を出している重機を無視して操縦していると、作業効率が悪くなります。このような時にはコーヒーでも飲んで、重機に感謝しながらグリスを注入してやることです。結果は作業効率が良くなり、重機の破損にもつながりません。余裕、寄り道がそして“みちくさ”が心を耕してくれます。“みちくさ”は想像力を豊かにしてくれますし、心のエネルギーを発現してくれる気がします。

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2011年4月 4日 (月)

「理想郷」を掲げて事務局が活動開始!

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 昨日は第一回の事務局会議が東京事務所で行われました。清水事務局長から小林敬事務局長にバトンタッチされた新事務局体制の会議は、3月20日に開かれた第1回理事会で決定された今年度前半の事業を推進していく具体的内容を議論しました。特に、4月から6月の間に集中して行われる3・11大震災被災者の救援ボランティア活動に関する議論に時間を費やしました。その結果、具体的には4月は岩手県被災地、5月は福島県被災地、6月は宮城県被災地の救援ボランティア活動を実施していくことを決めました。ボランティア活動は森びと会員の皆さんにホームページ上で呼びかけていくことになりました。

 会議では、ボランティア活動を通じて被災者と被災地から教えられ、学んだことを「人間と自然との生命が躍動する理想郷」(神野直彦東大名誉教授)創りにつなげていこう、と高橋理事から訴えられました。また、高橋理事からは「炭による樹勢回復実証調査」をスタートさせる意味について提起され、ナラ枯れが毎年拡がっている原因の解明に挑戦しくいくことになりました。第1回会議は5月に開催し、原発被害と雪解けを待って現地調査をすることにしました。

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2011年4月 2日 (土)

自然は「友人」と考えてきた日本人

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 事務所の近くには飛鳥山公園があります。JR王子駅の西側にある丘が公園で、これからは桜の花見で賑わうところです。今日は3・11大震災後はじめて群馬県の自宅(山小屋)に行き、震災被害の有無を見てきました。まだ残雪がありましたが、標高1300㍍付近の森でも春に向かっていました。その帰りに飛鳥山公園の桜を見ながら帰宅しようと公園に入ったところ、園内は花見をしている皆さんで賑わっていました。あまりの賑わいでのんびりできないので、公園の外れにある庭園を散策しましたらサンシュユとマンサクの花(写真中)がひっそりと咲いていました。

1  サンシュユは春を告げる花木の代表的な樹木だそうです。約300年前に薬用として待ちこまれたそうです。葉に先駆けて黄色い花をつけます。薬用は秋に付ける赤い果実から種を取った果肉を乾燥させて煎じて耳鳴り、目まい、頻尿、疲労回復、腰痛等に用いると言います。果実酒も作れるそうです。

 ところで大震災被災地の報道を見ると、鉄筋コンクリート建築が巨大津波で倒壊流失した地域に松や桜そして梅などが流されずに生きていました。海岸近くの松は折れていましたが、折れた幹の下はしっかり残っていました。その梅や桜の花が咲いた様子も報道されました。樹木の根の力強さにびっくりしています。東大名誉教授の神野直彦さんは「自然を敵だと見なし、自然の支配者として君臨したいという野望の結果は、原発事故に象徴されている。自然を友人と見なして、ただ手をこまぬいていれば明るい未来がやってくるという受動的希望でなく、意思と責任との一体感のある能動的希望を携えれば、被災地に人間と自然との生命が躍動する理想郷を必ずや築くことができる」(3・28日付け『日本農業新聞』)と述べています。

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