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2009年2月12日 (木)

“助け合い”の心は共に歩むことによって育まれる

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 “夕川に葦は枯れたり血にまどふ民の叫びのなど悲しきや”。この歌は、石川啄木が盛岡中学三年(明治34年)にうたったものです。足尾鉱毒事件で明治政府や当時の古河鉱業と戦っている農民たちの苦しみをうたいました。
 そして啄木は、翌年の35年には当時の岩手日報の号外を売って得た益金を、鉱毒に苦しむ農民たちへ贈りました。これは遙か遠くの渋民に生きる啄木が、友人とともに起こした連帯行動でした。この歌碑は栃木県佐野市内にある惣宗寺境内に建立されています。
 109年前の明日(13日)はこの農民たちが官憲に弾圧された日です。この川俣事件では多くの農民たちが起訴されましたが、田中正造を先頭にした裁判闘争は多くの支援者に支えられて無罪を勝ち取ることができました。
 明日の川俣事件踏査は、100年以上も前の啄木の想い、農民を支援した人たちの心、そして鉱毒被害と戦った農民たちの心に少しでも近づければ、と思っています。(写真は蔵王観音です)

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